「いまがいいとは思わない」94歳の母を介護するフジテレビ・須田アナウンサー 施設か自宅か葛藤の日々
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自身の親はまだ現役であるため、介護という認識が薄い。しかし、親の親はすでに認知、介護状態で施設に祖母が入居しています。
そこでみるのは穏やかな祖母。しかし、いつもわたしは疑問を抱きます。果たして彼女は幸せなのか、寂しさを抱えていないのか、仕方ないと諦めているのか。どうしようもない不安はないのか。
現状。施設入居に対する費用、そして毎月のそれ。どこから出ているのか。年金や貯蓄、それでもまかなえない時はその子供達の資産から。その子供達の子供にも少なからず影響は行くはずです。
そしてその教育費への影響は、タイミングによりますがあるかもしれない。スパイラルです。
そんな問題に対して、解決方法もわからない自分自身にも不甲斐なさを感じるし、国家に対して不満も持っています。
国や自治体が対処できる余地がないならば、ソーシャルで、地元でなにかを動かすしかないと考えています。
しかしながら、それができるのは局所的。
なぜなら介護はとても大変。人も必要であるし場所もなにもかも。若い人がいない地域がまだ増えるはず。とても大きな問題なのですが、都会にいるわたしはまだまだ知らないことが多い。
子供たちに対するいろんな活動はあれど、高齢者に対してなぜ、ここまでみんな関心がないのか。そして知らないのか。
記事にあるような、スゥエーデンやオランダのような取り組みができないのは何故なのか。
自分の欲しい未来は、みんなで作るしかない。
その意識や現状を知ること、体験すること、いずれわたしにも来るその時にわたしは寂しさは抱えていたくないなぁと深く、考えました。介護に関わると、人間って人の善意に支えられて生かされてるんだってすごく感じます。
赤の他人でも本当に優しくて親身になってくれる人もいるし、行政の当事者なのに酷薄な人もいる。
祖母の介護に関わり天国に送った経験は、宝以外の何者でもないと今は思っています。介入のポイントは、お母様の
「ここはイヤなのよね」
という発言で、その理由を探ることからだと思います。
もし自分がその場にいたらお母様のコミュニケーション障害(言語理解も表出も苦手になっている点)に配慮して、正面から目線を合わせて"ここは嫌なのですね。"と声をかけて、次の発言を傾聴していきます。
認知症があるというと、"何もわからない人"としてしまいやすいのは注意が必要でコミュニケーションを諦めないことがまず必要かと思います。
何かここが嫌な理由があるけれど、誰も聞いてくれないので、表出できず、誰にもコミュニケーションを取ってもらえないので、テーブルで突っ伏しているという状況ではないでしょうか?
どんなに認知症が重度の方(検査で点数が取れなくても)、こちらが十分に相手の立場に立って配慮して関われればちゃんと伝わると思います。
もう一度、お母様とコミュニケーションをとるということを本気でやってみる。
そんな人が周りに増えてくればお母様の生活はより良いものになっていくのではないかと思われます。
追伸
・精神的に落ち着いていることが条件ですが、ある程度発話ができるのであれば、生活歴を聴取してみると良いのではないかと思います。
・ご出身はどちらですか?
・子供の頃はどんなお子さんだったのですか?
など、対象者の方が記憶障害があっても話しやすい事を聞いてみると、思いのほか色々と話してくれた。という事はよく経験することです。
そして、この質問には答えてくれるというものが見つかったら、周りの人に共有してみると良いかと思います。
お母様からしたら、自分と話してくれる人が増えることで、施設がより心地良く生活できる環境になっていくのではないかと期待します。