イーストウッド監督主演最新作。前代未聞の実話『運び屋』公開

2019/3/4
幾度となく麻薬を運び、巨額の報酬を得ていた伝説の「運び屋」は、なんと90歳の老人だった! 3月8日から公開される映画『運び屋』は、クリント・イーストウッドが4作連続の「実話モノ」の集大成として、自ら演じた監督・主演最新作だ。
現代アメリカの悲哀を切り取りつつも、軽妙なロードムービー的側面を持つ本作を、私たちはどう観るべきか。試写直後の夏野剛氏、前嶋和弘氏に作品の魅力を語ってもらった。

全米が驚いた! イーストウッドが演じる90歳の「運び屋」

『グラン・トリノ』(2008)、『アメリカン・スナイパー』(2014)、『ハドソン川の奇跡』(2016)……。映画『運び屋』は、数々の傑作を世に送り出してきた巨匠クリント・イーストウッドの、監督最新作にして主演作だ。
『アメリカン・スナイパー』にて、主演のブラッドリー・クーパーと、監督クリント・イーストウッド
クリント・イーストウッド演じる主人公・アールは、金もなく、身勝手な振る舞いのせいで家族からも見放された、孤独な90歳の男だ。
ユリ科の名花「デイリリー」の栽培事業に行き詰まり、自宅も差し押さえられたとき、「車の運転さえすればいい」という仕事を持ちかけられる。その「簡単な仕事」が実は、メキシコの麻薬カルテルの運び屋だったのだ。
この仰天ストーリーのベースになったのは、2014年6月に「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」に掲載された「シナロア・カルテルの90歳の運び屋」という1本の記事。つまり、実話だというから驚きだ。
『グラン・トリノ』の名手、ニック・シェンクが脚本を手がけ、麻薬捜査をめぐるサスペンスフルな展開と、軽妙なロードムービーの顔を併せ持つ、魅力的な作品に仕上げている。
出演陣もさすがの豪華さだ。アールを追いつめる麻薬取締局の捜査官に、『アメリカン・スナイパー』でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたブラッドリー・クーパー。さらに、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシアといった名優たちが脇を固める。
家族との関係、事業の失敗……人生も終盤を迎え、後悔の念を抱きながらもトラックを運転し、麻薬カルテルの男たちから何度も積み荷を受け取るアール。徐々に深みにはまっていく最年長の“運び屋”は、果たしてどんなラストを迎えるのか。
試写直後の夏野剛氏、前嶋和弘氏の感想をお届けしよう。

【夏野剛】ハードな仕事人にこそ見てほしい、21世紀の人間ドラマ

ジェンダーレスのご時世にこんな薦め方をするのは気が引けますが、あえてはっきりと言いましょう。映画『運び屋』は「働く男」にこそ、「一人で」見てほしい映画です。
主人公・アールは「働く男」の悪い部分を集めたような男です。仕事が楽しくて、つい働きすぎる。「きっとわかってくれるだろう」と、家族をないがしろにしてしまう。
たとえば、熱を出した子どもを奥さんに託して仕事に行ったり、「次は必ず行くから(重要な仕事だし)」と、子どもの試合より出張を選んだり……。今ビジネスの最前線にいるNewsPicks読者は、きっと身に覚えがあると思います。もちろん私もです。
働く女性も仕事か家族かの選択を迫られるシーンはあるでしょうが、多くの女性は大前提に「できるだけ家族との時間を大切にしなければ(したい)」という思いがあります。
ビジネスパーソンであると同時に、母であり、妻であることの責任をきちんと果たそうとしているのです。そう考えると、男たちは家族に甘えて、仕事に依存しているんですよね。
自分の美学に酔って、仕事を優先し続けた男が、家族から孤立してしまうのは当然の流れ。『運び屋』というタイトルからは、およそ想像できないと思いますが、男性なら誰でも共感できる耳の痛い映画でした。
みなさん、『運び屋』を見て、一人で反省してください(苦笑)。
と言っても、これは決して後味の悪い映画ではありません。家族にも世の中にも見放された男が、「自分にとっての本当の幸せ」に気づくまでの、どストレートな人間ドラマです。
テクノロジーの進化が著しい今、映画の世界でも最先端の技術を駆使したテック系作品が多数作られています。私もその手の作品は大好きですが、これはいい意味でその真逆をいく作品。21世紀の本物の人間ドラマなのです。
どこまでも続くかのような広大な道をアールのピックアップトラックが走っていく、「ザ・アメリカ」な画もいいですね。運び屋なので、トランクには大量の麻薬が積まれているわけですが、ぜひ映画館で見てもらいたい、大好きなシーンです。
この映画を通してイーストウッドが伝えているのは、大きく2つ。
「家族を大切に」
「好きなことをやれ」
作中では、アールが若い世代の男たちにアドバイスするシーンもありますが、人生経験ゆえの拒否できない迫力があります。また、彼自身が「ダメじじい」なので、こんなストレートなメッセージもまったく説教臭くないのがいい。
これは、忙しい毎日を送るみなさんにとって、生き方を考えるピボット・ポイントになる映画です。人生経験豊富なアールの言葉は、きっとみなさんの心にも、スッと入ってくると思いますよ。

【前嶋和弘】90歳の老人をトリックスターにして描くリアルなアメリカ

第二次世界大戦を戦い、現代アメリカの基礎を築いた世代のことを、アメリカでは「グレーテスト・ジェネレーション(偉大なる世代)」と呼びます。映画『運び屋』の90歳の主人公・アールも、それを演じるクリント・イーストウッドも、まさにその世代。
努力すれば、誰もが「もっといい暮らし」を手に入れられた時代は終わり、人々の格差は広がるばかり。テクノロジーの進化のスピードは早くなり、時代に取り残されれば「過去の人」になってしまう……。
EC化のあおりを受けたアールは、冒頭でユリの栽培事業を廃業に追い込まれ、90歳にしてすべてを失ってしまいます。仕事一筋で家族をないがしろにしてきたために、みじめな気持ちを慰めてくれる相手もいない。
「昔はよかった」
「こんなことになるとは思わなかった」
グレーテスト・ジェネレーションの嘆きが聞こえてくるようです。
作中では、人種や年齢によって捜査対象を選別する、アメリカでの「レイシャル・プロファイリング」の描かれ方も非常にリアルです。
アールが30歳の黒人、もしくはラテン系の男なら、すぐに捕まっていた。彼がなかなか捕まらなかったのは、「90歳の白人男性」という、レイシャル・プロファイリング的な「運び屋像」からもっとも遠い存在だったからでしょう。
ロードムービー的に流れていくシーンからは、人種や貧富の差による「住み分け」の現実も見えてきます。アールが暮らす郊外は、白人だけで構成される閉じた世界で、メキシカンがいれば注目され、なんなら職務質問される世界。
私たち日本人が旅行やビジネスで訪れる、多様な人種が行き交う大都会・アメリカとはまったく事情が違います。
「90歳の老人が運び屋になる」と聞くと、奇想天外なストーリーですが、この映画を見ればトランプ大統領誕生の必然性が浮かび上がってくる。現代アメリカの閉塞感や、グレーテスト・ジェネレーションの悲哀がリアルに描かれた映画でした。
とはいえ、イーストウッドがこの映画に込めたのは、「家族を大切に」というストレートなメッセージではないでしょうか。ネタバレになるので多くは語りませんが、ブラッドリー・クーパー演じる麻薬捜査官とアールが交わす、家族についての短い会話に、ハッとさせられる人は多いはずです。
ビジネスの最前線で働くNewsPicks読者のみなさんも、時に家族との時間を犠牲にして、仕事に打ち込んでしまうことがあると思います。私も自分を思い返せば、家族を二の次にして研究に没頭した時期がありました。
それ自体が悪いことだとは言いません。でも、本当に大切なものが何かを見失うと、アールのような孤独な晩年を送ることになるかもしれない。人生の後半戦を迎えた私には、非常に「滲みる」メッセージでした。
心の隅に置いておいて、10年後、20年後にまた見たい。映画『運び屋』は、そんな不思議な魅力のある作品なのです。
(取材・文:大高志帆 撮影:加藤ゆき デザイン:九喜洋介)