学校から教科書が消える? ビル・ゲイツの予言は正しいのか
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4月の新学期に貰った新しい教科書の独特の匂いや初めて開くときのドキドキ感がたいへん好きでした。
大学時代の書込み満載の「解析概論」や‘The Cell’は初心として未だに研究室の書架に置いています。
こういうのも旧時代的な感傷なんでしょうか。国が学習内容を管理したい限りにおいては、教科書が無くなることは無いと思いますが(紙がなくなったとしてもデジタルで残るため)、学び手がメディアとして紙媒体を好むかどうか、というポイントや、全員が同じ内容を同じタイミングで学ぶ事是非についてはまた別の話ですよね。
教科書の進化の形は色々議論されていると思いますが、副読本的な存在として使われるのが、探究的な学びを実践する現場では多いと思います。紙と鉛筆は、前時代的なテクノロジーなのです。AIの時代が始まった今の時代に、なるべく使わない方向に、教育もハンドルを切るべきと思います。
教科書が国定教科書化してるのが日本なのです。それ以外、教えてはなりません感がミエミエなのです。数学もこんなん公式化すれば、すぐ解けるやんと思っても、教科書に書いてあると、これは難儀させて解かせるべしとなるわけです。正直、文明の敵が日本の教科書なのです。
紙でできた教科書を毎年買わなければならないのも、不合理なのです。兄弟でおんなじ教科書、家に2冊もあるわでは、税金の無駄使いなのです。PCに保存しておけば、何回でも再利用出来るのです。
これだけ、本の売れない時代なのに、教科書や参考書だけ買わされる親は反乱をおこすべしと思ってしまうのです。
いろいろ書きましたが、教科書は当然いつかなくなるわけで、教科書を読めなくでも全然問題ないわけです。