【STEAM人材】一貫教育にデザイン思考を取り入れる──ヌエバ・スクール
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よく、この時期に出会う新人のデザイナー志望の方に、どうアートとの違いを伝えたら良いのか。考えちゃうことががあります。
デザインは機能設計であって、アートとは目的が違う。という話を何度もしなくてはならない。
自分のオリジナリティ、表現のユニークさ、自分の個性やアイデンティティについて拘るタイプが一定数います。
求められていない。
デザインはあくまで対象(の目的)をどの様に表すか(伝えるか)であって、あなたを伝える事ではない。誰もあなたのデザインである事は求めていない。
これを理解させるのが、とても難しい。
デザイナー=クリエイター=自己表現するイケてる職業、と勘違いしてこの業界を志望してきた方は、そもそもの目的が違うので「でも…」となかなか納得してくれないんです。
アートは自己の表現ですが、デザインは対象の目的をどう最適なカタチにする(伝える)か、という設計とそのプロセス。そこに「あなた」である事に意味はないんですね。
デザインの個性は、それはブランドの個性あって、アーティストの個人とは違う。
でもって、デザイン思考ですが。
その対象を伝えるなり形にする為のプロセスやアプローチをどうします、って話で、それは元々製造なり設計の現場でずっと行なわれてきた事なんですねぇ。
それを分かりやすい手法や方法論に落とし込みましょうというアプローチなので、モノを作らずノウハウのなかったコンサルなどの業界が持ち上げているだけの話な気もします。
他方、アート思考はゼロからイチを産み出す、なんて言われる事もありますが、これも違和感。着眼や目的が自分のやりたい事や疑問(に対する表現)で、そこに徹底して向き合おう、というのがアートの世界。別に奇抜さや他にない個性を追求する事ではないのです。アートの世界でもゼロからイチは産まれませんよね。
なので、デザイン思考やアート思考なんて言葉に惑わされずに、技術や自然や科学や歴史や文化芸術、それら活動を普通に学びましょう、というのがsteamなんじゃないですかね。親族が公立校教師だらけなのですが、この記事のような話をすると”自主性がない人はどうするんだ”という話で終わります。
彼らは中学3年間、高校3年間のように短期的にしか関われない立場で、確かに中学高校から急にこうしろと言われたら対応できない人だらけだと思いますが、幼稚園の頃から45分でアウトプットまでする訓練(遊び)を続けたら自然と身につくんだろうなと。最近子供が生まれましたが、これからの教育格差が少し怖くなります。遊びと学びが接近していますよね。というか、分けて考えるという考え方自体が違うのかもしれません。
生成的なアプローチが内面の気付きや実感を高めるものであるなら、そのアプローチの起点には快の感情がないと進まないように思えます。
遊び要素を教育や仕事に融合できれば、働くことへの感情も変わっていくかもしれないですね。