合理 vs 感情。人生のリスクをどう回避するか

2019/2/18
日本人の生命保険の加入率は88.7%。これは世界各国と比較しても断トツで高い水準だ。しかしその一方で、将来に備え投資による資産形成を行う人の割合は低く、家計金融資産1800兆円のうち、「株式・投資」はわずか14.9%。米国の30.1%に対し、半分以下にとどまっている。なお、トップは「現金・預金」で51.7%。米国の13.7%を大幅に上回っており、安全資産といわれる現金や預金に傾いていることが分かる。こうした傾向は、なぜ生まれたのだろうか。

この記事の前半では、この日本特有の資産運用感覚を、感情と経験による「リスク判断のバイアス」という観点から行動経済学者の友野典男氏に分析してもらう。後半では、「時代によるリスクの捉え方や価値観の変化」から、プロパティエージェント代表取締役・中西聖氏に「保険から運用へのシフト」という新しい潮流について聞く。

リスク判断は、感情と経験に支配されている

1954年生まれ。早稲田大学商学部卒、同大学院経済学研究科博士課程修了。2004年より明治大学情報コミュニケーション学部教授。専攻は行動経済学、ミクロ経済学。主著に『行動経済学 経済は「感情」で動いている』(光文社新書)、『感情と勘定の経済学』(潮出版社)。監訳『ダニエル・カーネマン 心理と経済を語る』(楽工社)など。
── 日本では、結婚や出産という人生の転機に生命保険を検討する人が多いそうです。これは合理的な判断に基づいていると思われますか?
いかなるタイミングであれ、金融商品選びにおいて合理的判断はほぼ不可能です。たとえば死亡率のような客観的な数値は出せますが、人はそのリスクを自分のこととして捉えることができません。保険に入った方が得か損かは、基本的にはわからないものなんです。
── となると、多くの人は何を判断基準に生命保険への加入を決断しているのでしょうか。
個人的な経験に影響されている面はあるでしょうね。たとえば、自然災害が起きた直後は地震保険や生命保険の加入者が増える傾向にあります。どちらかというと感情が大きく関わっていると思います。
── 合理的な判断のつもりが、実は経験や社会環境に左右されている?
そうです。日本人の生命保険加入者数が多いのは、これまでの歴史的背景から生まれた習慣だと思います。戦後の混乱期に投資詐欺事件が数多く発生したことから、株や不動産などの投資は長い期間、大きなリスクを伴う危ないものだと考えられてきた節があります。それもあって、生命保険の方が安全だろうという社会通念が形成され、多くの人はそれに従っているだけです。
── 確かに生命保険は掛け金も保険金も細かく設計されていますよね。
しかし、だからといって合理的に加入の判断ができているかというと、そうとは限りません。ある事象が起こりやすいかどうかを判断するときに、「主観確率」と「客観確率」という二つの考え方があります。
たとえば、飛行機の墜落事故があった直後に、飛行機に乗るのを控えようとする心理状態になったとしたら主観確率が大きくなっていると言えます。客観確率は年代別の死亡率などのデータですが、データに基づいて自分が病気になる確率、死ぬ確率が高いと思えば保険に入るわけです。
現実的には、私たちの判断は主観確率と切り離すことはできません。実際、生命保険のコマーシャルには、「家族が病気になったら」というような、主観が大きくなるように誘導するアプローチが多く用いられていますよね。

感情に左右されないリスクとの向き合い方とは

── 株式や不動産投資は「大損するのではないか」と悲観的に考える人と、「自分なら大丈夫」と楽観的に考える人とで、二極化しているように思います。
本来、投資に関しては客観確率に重きを置いて、冷静な心で判断することが必要です。それなのに、自分だけは儲かる、自分はリスクを回避できるなどと思っている人は、危ない思考の癖がついているとしか言えません。そうした考え方自体が一番のリスクです。
── 主観確率に左右されず、客観確率に基づいた判断力を養うにはどうすればいいのでしょうか?
目の前の事象に疑問を持ち、自分の感情を客観的に捉えるトレーニングは有効かもしれないですね。それを突き詰めると、統計的な数値を無視できなくなります。私は大学の授業でクリティカルシンキング(批判的思考)を教えていますが、学生たちは半年くらい経つと「血液型と性格に関連がある」といった話を信じなくなり、衝動買いをしなくなるという効果が見られます。
── クリティカルに考えた結果、やはり投資や運用が必要という判断に至るかもしれません。
ただし、焦らないことです。多くの人は短期で儲けようとして失敗します。冷静に考えると、そんなうまい話があるはずないのに、「自分だけは…」「もしかしたら…」と欲をかいてしまうんですね。
将来起こりうるリスクには備えた方がいいですが、そのための対策には長期で緩やかに利益が出るものしかないと知っておくべきです。
── 主観的に判断する方が、うまくいくこともありますか?
そうですね。ある程度、思い込みや楽観主義がないとリスクは取れませんから。
たとえば起業家が会社を興すなんて、クリティカルシンキングではできません。楽観的、かつ主観的に「うまくいくはずだ」と考えられる人がいるから、世の中にイノベーションが生まれてきました。
そういう意味では、やたらクリティカルシンキングが蔓延するのもいかがなものかと思いますが、少なくとも個人の人生のリスクに備えるためには、主観よりも客観で冷静に判断することが重要だと思います。

堅実なのは、保険か、それとも運用か?

保険か運用か、という選択には、人生のリスクをどう捉えるかという価値観が現れる。それが今大きく変化していると語るのが、中西聖氏。彼が代表取締役を務めるプロパティエージェントでは、「保険としての不動産」として都心のワンルームマンションを中心に不動産運用を展開している。その事業を通して感じた時代の変化とは?
1977年、高知県生まれ。1995年に西砂建設へ入社し、施工管理を経験。その後、大芳計画で不動産販売事業に従事する。2004年、プロパティエージェントを設立し、建物内サービスシステム特許を取得。2010年、日本プロパティ開発株式会社取締役に就任。2012年大連理工大学研修プログラム修了。城西大学大学院経営学研究科イノベーション専攻修了。2015年明治大学大学院グローバルビジネス研究科修了。プロパティエージェントは2015年にJASDAQ上場。2018年、東京証券取引所市場第1部銘柄に指定。
── 保険か運用か、という選択には人生のリスクをどう捉えるかという価値観が現れます。中西さんは、若い世代の不動産運用に対するスタンスに変化を感じますか?
感じますね。とりわけ20代の女性は、10年、20年先をすごく真剣に考えています。当社が販売している40平米前後のマンションも契約者の約7割が女性です。独身のうちはその部屋に住んで、将来結婚して子どもが生まれたら購入した部屋を人に貸そうとか、子どもが大学生になったらそこに住ませようとか、いずれまた2人になったらここで暮らそうとか。かなり現実的に考えているようです。それだけ将来の生活の変化やリスクに向き合う若者が増えているということだと思います。
── 不動産運用には、儲けが出る可能性もあれば、価値が下がるリスクもあります。そういった不安は感じていないのでしょうか。
バブルの崩壊はいまや昔で、彼らにしてみれば不動産で大儲けする話自体を「そんなうまい話ないでしょ」と冷静に見ていますよね。かつての不動産はキャピタルゲインとして「点」で儲ける考え方が主流でしたが、いまは「線」としての長期運用を考えるようになっている。だからこそ、私は不動産を“生命保険を代替するもの”として考えるべきだと思うのですが、その概念はまだ浸透していないですね。
── 不動産運用のリターンは賃料収入にあたるわけですが、それが保険に置き換えられるということでしょうか。
賃料収入という恩恵ももちろん受けられますが、不動産ローンを組むときには、多くの場合「団体信用生命保険」への加入が義務づけられています。これは、ローンの契約者が死亡したり高度障害になったりした場合に、保険会社が残債を代理返済するという保険で、がんや生活習慣病による長期入院に適用される特約もあります。
つまり、不動産ローンでマンションを購入すると、ローンの返済は家賃収入と相殺され、万が一のときには返済が免除されることで、以降の家賃が遺された家族の収入になるわけです。もちろん管理手数料や修繕費がかかることはありますが、ローンの負担がなくなるのはかなり大きいでしょう。
一度に貰える200万円はロウソクと同じでいつかなくなりますが、毎月20万円貰える保険は実のなる木のようなものです。こういったメリットとリスクを合理的に考えて、自発的に選択しているところに、「生きる」ことに対する進化を感じます。それを考えないといけないというHave toではなく、Want toで面白がって考えているのが、今の若い世代の特徴ではないでしょうか。
── でも、人はリスクを正しく捉えられるでしょうか特に不動産のような価値が変動するものの将来を、どうすれば合理的に考えられますか。
わかりやすいところでは、制度的なメリットがあります。団体信用生命保険もその一つですし、不動産ローンは低金利の状態が続いており、毎月生命保険料を払うよりも安いコストで、生命保険と同等かそれ以上の効果を得られるケースも十分にあります。
それに、不動産価値が上下するといっても、長期的な運用を目指すのであればリスクを下げるための工夫はできます。そのノウハウが、当社の売りでもあります。

主観に頼らない不動産価値の見極め方

── 不動産は、地価の下落や空室のリスクとも無縁ではいられませんよね。どうすればリスクをコントロールできるんですか?
大きく分けると「選定」と「仕入れ」です。
多くの不動産会社では、担当者の主観的な好みで物件の良し悪しを判断しています。居住目的ならその指標も大事ですが、資産運用を考えるとリスクが高すぎます。
当社では、物件価値をできるだけ定量的に測るため、50〜60項目の指標で資産価値・収益性・移動率をプロットしています。重要なのは、10年間で価値や収益性がどれだけ下降するのか。不動産運用に必要なのは、現在ではなく、未来の指標なのです。
── 具体的にはどんな指標がありますか。
たとえば資産価値では、数年間の最寄駅の乗降者数のトレンドや、駅からの距離、利便性などを見ます。また体感距離も重視しています。たとえばマンションから駅までの道中に何もない住宅街なのか、それとも商店街があるのかで体感距離は変わりますよね。それに、周囲の競合物件や、その街に新しく開発できる余地が残っているかどうかも重要です。大きなマンションが建って需給バランスが変われば、家賃相場の下落が起こりますから。
こういった項目を細かくスコアリングし、仕入れる用地を選んでいます。その結果、当社は東京23区よりもさらに狭い範囲の物件しか扱っていません。
地方で利回り10%の物件があったとしても、5年後、10年後にそれを維持できるかどうかは怪しい。でも、これからも人口が増え続ける東京で利回り4%の物件は、10年後もそのまま4%を維持できる可能性が高い。目先の利益を追うのではなく、長期的な視点を持つことが投資・運用には不可欠です。
── もうひとつの「仕入れ」の強さとは? 優良物件を大手のデベロッパーと競い合えるのはなぜですか。
先ほど述べたスコアリングにより、ターゲットエリアを絞り込んでいるからです。地方や郊外では大手には勝てませんが、我々が注力しているのは東京23区の中の限られたエリアです。土地情報を提供してくれる不動産会社の方とも深い付き合いがありますし、プロパティエージェントの物件は空室率が低く金融機関の融資審査においても有利になるという信頼もあります。確実に買えそうな会社と買えるかわからない会社、どちらに売りたいかは一目瞭然ですよね。
全国的には無名でも、我々が得意とする都心エリアに限っては、全国展開している大手企業に負けないブランド力と仕入れルートを持っています。これが、選定と同じくらい重要な、高い入居率の理由です。
── ちなみに、来年スポーツの祭典が東京に来ることで運用への影響はありますか?
長期的な運用で大事なのは長期金利と世界の金利なので、そういうイベントの影響はあまりないか、相殺されるでしょうね。
もし影響があるとすれば、一時的な景気によって、本来100の実力しかない物件が120と評価されてしまった場合です。この場合、120で買った物件はブームが過ぎれば本来の価値に戻るので、結果的には損をすることになります。
一般的に、利回りがよい物件は下落リスクも高い。よくある儲け話は変動幅の大きい高リスク案件でしかないんです。我々の考える、ライフプランに沿った「保険としての不動産」は、目先の儲けを求めるのではなく、長期にわたって自分自身や家族に安心を与えるためのものです。このような考え方で不動産運用することが、人生のリスク回避の基本だと思います。
(取材・執筆:末吉陽子[やじろべえ] 編集:宇野浩志 撮影:小島マサヒロ デザイン:Seisakujo)