STEM教育を単に「理系人材育成」と考えたら大間違いだ
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日本ではSTEMがやや過度な期待を受けていると思います。背景としてはやはり文系大国化してしまった戦後教育の反動というのはあるのでしょう。そもそも英語では文系・理系という言葉はありません。言葉が無いという事は存在がないという事です。つまりコンピュータサイエンスとか哲学とかの学科があるだけです。それをわざわざもう一つ理系・文系と束ねたところに、まさに日本の大学教育の思想があると思います。
教育大国のシンガポールではそんなにSTEMは最近言わなくなったと思います。当たり前だからでしょうし、ちょっとバズワード感も否めない。問題は創造力やクリティカルティンキング、リーダーシップなどのファンダメンタルズを鍛える手法として何が優れているのかであって概念遊びではないので親は真剣です。「STEM教育」なる表現は、言葉が一人歩きしているようで、実際に教育関係者がどこまで理解し、どこまで正しく実践しているのかは気になります。
ただ記事内の「自分の考えを持つ」というのは、昔から言われているものの、非常に大事な要素だと思っていて、「自分の考えとやらなければならないこととのギャップ」を感じることで人は成長するのだと、この歳になって実感します。
何の疑問もなく従えば、深く思考を巡らすこともないだろうし、理想と現実の間を埋めようという情熱も生まれないので。
社会に出ると、必ずしもやりたいことだけやれる訳ではないし、サラリーマンなら会社の方針に従わざるを得ないことも多い。
でも、その時「自分の考え」をちゃんと持てているかどうかが大切。STEMをいわゆるお勉強と捉えてしまうと、本質的な意味を見出せないのかもしれませんね。
「思考の広さ深さ」はどのように育まれるか、というのはたいへん関心があるテーマです。
昨年から、様々な方と様々なテーマを学ぶ取組をしていますが、以前の自分はいかに思考の枠組みが狭かったかということを感じる瞬間があります。
広さは多様性のある環境に身を置けるかどうかで左右され、
深さは探求する時間をどれだけ取れるかで左右される。
こんな風に思います。