映画『フロントランナー』公開。なぜ大統領候補は消されたのか

2019/1/24

1988年の米大統領選で一体何があったのか

映画『フロントランナー』の舞台は1988年の全米大統領選。
46歳の若さで大統領候補になったゲイリー・ハート(ヒュー・ジャックマン)はJFKの再来と呼ばれるほどのカリスマ性を備え、次期大統領になるのは確実とみられていた。
しかし、たった一つのスキャンダルが報じられたことで、政治とメディアの関係、報道の在り方を変えるアメリカ最大の<事件>に発展。ハートは政界から葬られてしまう。
ハートの政治家としての才能や理念を捨て置き、一斉にスキャンダルを報じるマスコミ。
報道に踊らされ、迷走する世論。そして、政治生命を抹消されるハート。
大統領最有力候補、選挙スタッフ、マスコミ、家族、国民──12人の視点から圧倒的なリアリティとスピードで描かれるサスペンス。
大統領選の裏で、一体何が起きたのか?
主演は、『グレイテスト・ショーマン』や『X-MEN』シリーズのウルヴァリンで知られるヒュー・ジャックマン。
監督を務めるのは、『マイレージ・マイライフ』や『JUNO/ジュノ』などを代表作に持つ賞レースの常連、ジェイソン・ライトマンだ。
脚本には、監督のジェイソン・ライトマンの他に、原作者でもあり政治ジャーナリストとしても活動するマット・バイ。さらに、ヒラリー・クリントンの報道官を務めた経歴を持つジェイ・カーソンが加わり、大統領選の裏にあった<真相>に迫る。
政治とメディアの関係、報道の在り方を描き、私たち一人ひとりに問いを投げかける映画『フロントランナー』を、厚切りジェイソン氏、選挙プランナーの松田馨氏はどう見たのか。試写直後のお二人を直撃した。

【厚切りジェイソン】Why? いつから選挙は人気投票になったのか

僕は政治の専門家ではありませんが、マスコミは政治家をアイデアと実行力で評価するべきだと思っています。
たしかに有名人のドラマチックなゴシップは、世間の関心を引く。でも、特に政治家に関しては、国のため、国民のために何ができるのかが重要で、そこに人柄はあまり関係しないはず。
日本では、スキャンダルが報道されると、有名人も政治家もすぐに謝罪会見を開きますよね。
でも、よくよく聞いてみると、自分のしたことについて謝っている人はほとんどいません。「お騒がせしてすいません」。加熱した世間の熱を冷ましたいだけの謝罪なんて、何の意味もないですよ。
だから僕は、ゲイリーのとった行動にはかなり共感できました。僕でも同じようにすると思います。もちろん、夫として、父としては、そもそも家族に心配をかけるようなことはしないよう、肝に銘じていますが(苦笑)。
「鶏が先か卵が先か」という話ですが、世間がスキャンダルを望むからマスコミもそれを報道するし、マスコミがスキャンダルを流せば世間はそれに食いついて、選挙はどんどん「感じのいい人」を選ぶだけの人気投票になっていく。
世界中の民主主義の国で起きている不毛な悪循環について考えさせられる映画でした。
1988年という時代を考えると、主人公のゲイリー・ハートが争うはずだった大統領選は、元ハリウッド俳優のレーガン大統領の後任を決めるためのものでした。つまり、テレビが国民に浸透して、政治家の見た目も重要なポイントになった後の時代。
そう思って見ると、あの展開にも「なるほどな」と納得です。
とはいえ、アメリカでの状況は少しずつ変わってきています(……と信じたい)。スキャンダルを3つくらい抱えたトランプが、いまだに大統領でいられるのがその証。
彼の政治家としての資質はさておき、ピカピカの経歴を持った「感じのいい政治家」が何も変えられなかった状況を鑑みて、国民も自分たちの判断軸に少しは疑問を持ったのかもしれません。
僕自身はこの映画を、ゲイリー・ハートの選挙キャンペーンスタッフになったつもりで楽しみました。
候補者をどう魅力的に見せるのか、どういう戦略で、問題が起きたときにどう対処するのか。誰か一人の視点に偏らないフラットな語り口の映画なので、普通の生活をしていたら触れることのない「選挙の裏側」に参加した気持ちになれるんです。
作中、ゲイリーが地方のイベントに参加して斧を投げる(!)シーンがあるんですけど、みなさんもトランプが自動車工場を見学したり、炭鉱で石炭を掘ったりしている姿を見た覚えがあるんじゃないでしょうか。
あれは、「大統領候補も働く男と同じ目線だぜ」というポーズ。もちろん、オバマだってブッシュだって似たようなパフォーマンスをしていました。
彼らが本当はどんな仕事をしているかなんて、大統領候補がわかってるはずないのに、今も昔もそういうイメージ戦略が必要なんでしょう。それこそ「Why?」ですよね(笑)。

【松田馨】人生のクライシスにどう行動すべきかのヒントがある

選挙プランナーという職業柄、まずは必死に働く選挙対策チームに共感しました。そして、現代日本の選挙や政治を取り巻く状況につながる過去の大事件を見ながら、日本の将来についても考えさせられました。
ゲイリー・ハートという政治家は、政策面では非常にキレ者で、若者からも支持を集める、最近でいえばオバマ元大統領のような大統領候補だったようです。
彼が大統領になっていれば、アメリカだけでなく、世界が今とは違ったかたちになっていた可能性もあります。だからこそ、スキャンダル報道から、あんなかたちで失脚させられたのは非常に残念ですね。
J.K.シモンズ演じる選挙参謀がゲイリー・ハートに対し、「立候補者が多くの選挙スタッフの命運を握っている」と諭すシーンがありますが、本当にそのとおり。
さらにいえば、アメリカ大統領選挙は、言うなれば「世界最高の権力者」を決める選挙であり、権力闘争の最高峰です。その最中に自ら爆弾を抱えてしまうというのは、脇が甘すぎる。
私が過去にお手伝いした選挙でも、対立候補がスキャンダルで自滅したおかげで勝てた経験があります。選挙は運も絡むもの。それを知っていれば、マスコミに隙を見せるようなことは、本来はないはずなのですが……。
どこかに「勝てる」というおごりがあったのでしょう。
立候補を目指す人に僕がまず話すのは、「家を出たら、男女のスキャンダルどころか、ゴミの出し方、車の停め方すら見られていることを意識してください」ということ。
配偶者や家族も同じように世間の監視の目にさらされるため、配偶者を説得しきれず立候補を断念する人もいます。
現実に今の日本で選挙に勝つためにそうしたアドバイスをしていますが、その一方で、政治家に対して過剰に清廉潔白を求め、能力とは関係のないことまでメディアと有権者が騒ぎ立てる風潮に、僕は疑問を持っています。
奇しくもゲイリーの失脚と同じ年、日本ではリクルート事件が発覚しました。以降行われた、政治改革、選挙改革には功罪どちらもあると感じていますが、清廉潔白な人柄が好まれ、日本の選挙で“人気投票”の側面が強くなったのもこの時期からでしょう。
こうした能力よりも人柄を重視する傾向というのは、有権者はものすごく損をしていると感じます。政治家の仕事は大きく2つ。税金の使い道を決めること、そしてルール(法律・条例)を決めることです。
人柄よりも能力や結果で判断をしたほうが、自分たちの税金がより良く使われるわけです。メディアも、法律の内容や公約が守られているかにこそフォーカスして伝えるべきではないでしょうか。
ただ、クライシスに直面した政治家がメディア叩きに終止してもどうしようもありません。ゲイリーも対応さえ間違えなければ、再起できる可能性があったはず。後のビル・クリントン大統領の「モニカ・ルインスキー事件」を考えれば、いくらでもやりようはあったと思います。
ゲイリーと質こそ違えども、誰の人生にもクライシスは訪れます。窮地に陥ったときに「○○が悪い」と責任転嫁をするのではなく、自分を冷静に見つめ、荒波を乗り越えるためにはどうするべきか。映画の中には、そのヒントも確かに描かれていると感じました。
(取材・文:唐仁原俊博、大高志帆 撮影:加藤ゆき デザイン:九喜洋介)