新着Pick
1686Picks
シェアする
Pick に失敗しました

人気 Picker
休日の早朝からありがとうございました!
1月24日から始まる落合さんの展覧会「質量への憧憬」を前に、今日から4日連続でインタビュー記事を掲載します。テーマは「見る力」。メディアアーティスト落合陽一が「見る」ことを通して、今何を考えるのか。お楽しみください。
落合さんの話を聞いてから、写真撮影でも美術鑑賞でも「見る力」をより強く意識するようになりました。「見る力」を試す場として、「新・北斎展」はオススメです!
個展開催、おめでとうございます。
撮りためた写真をこうしてある意図に沿ってまとめるのはご自身の感性をさらに高める上でも価値あることと思います。
ふだんフォトンフォトン仰ってる方の最初の個展が質量を伴った表現とは、いかにも落合さん風の気の利かせ方ですよね。
銀塩野郎の僕としても大変興味深く、応援してます。
なお1/26に伺います。

そして「見ること」について。

我々が生きる現代ではほとんどの物体に名前が付いているので、多くの人は、自分の眼に映る世界を「壁」「花」「錆」のような簡単な言葉で粗雑に切り落としてしまっていると感じます。
まだ言葉すらもたない原初の人類がはじめて何かを美しいと感じた時、そこにあったのは自分の意思が及ばない力によってつくられた形態やリズムだろうと想像するのですが、そういうものに心動く感性は観察力を高めてくれるので現代でも価値があるのだと思います。

言葉はその情報伝達力と再現性を以って様々な価値を我々に与えてくれましたが、明確に定義された言葉は世界を決まった形に切断してしまう性質がありますので、科学の発展・利便性の追求に伴って、我々は原初的な喜びの多くを切り落としてしまっているのではないかと思います。
そうして捨てられてしまった世界の切れ端、言葉にならなかった「気配」のようなものを拾い集めるのが落合さんの作風なのかなと思います。
仕事や創作活動で計算機科学を駆使しているバリバリのデジタルの人がこういう視点を持っているのがユニークですよね。ギャップ萌え?

要するに何が言いたいのかというと、漫然と見ずに質感まで(分かる人はそこにある分子の形や運動の様子、光が吸収散乱される様子まで)楽しむつもりで観察すると世界の解像度が上がって、多くの情報が脳に入ってきますよということです。(前にもどこかで書いたような??)


ところで僕もそういう「素材感」を撮りたい派なのですが、常用しているカメラシステムというかセンサーがアレ(※)なので、常にバッキバキに解像しないと気が済まない体になってしまいました。撮りたいならどんなカメラを使うかは割と大事な気がします。

アレ
https://www.sigma-global.com/jp/cameras/dp-series/technology/
落合さんって本当に多動的で凄い。一度写真を撮ってる姿をお見かけしたことがありますが、それはそれは不思議な光景でした。個人的には「見る力」には物語的を見る力もあるのかななんて思ったりします
「見る力」そして「観る力」

「写真的に見る力」つまり客観的に見ること、とても大事です。人は思い込みや固定観念で、自分の都合がいいように見ますから。

そして、もう1つ大事なのは、客観的に見たものを観察する力、「観る力」です。見えたものを、好奇心をふくらませて観察するんです。

観ることにより、感性や創造力が磨かれますよ。もちろん柔軟な思考力も。観て感じたことを信じましょう。

日本人は、もともと極めて繊細な視覚を持っています。多彩な日本の伝統色を見ればよくわかりますよね。
英語で「理解する」ことを「I see」と言ったりします。日本語でも「百聞は一見にしかず」とか「見りゃわかる」などと言われます。それまでただの雑草や風景だったものが、ある木や花を学び理解することで急にそれらが見えるようになります。このように「見える→理解する」面もあるし「理解する→見える」面もあり、見え方と理解は表裏一体なんですね。それは何故でしょうか。

実は信念って信念→思考→言葉→行動→感情→体験→信念という創造のサイクルにより体験化されるので、見るという体験が新しい信念を生めばその理解が深まるし、理解により新しい信念が生まれればそれが見えるようになる訳です。そのため例えば「人生は天国だ」という信念があればその通りの体験ができるので、文字通りの意味で「人生は自作自演のドラマ」なんですね。
今回の記事では物質的な物を見ることに言及されていますが、これは形の無いものにも応用できるのだと思います。落合さんは様々なメディアで「超高齢化社会を迎える日本は、本当に強くなる」と仰っていますが、それが良い例だと思います。大抵の人は目先の高齢化社会にどう対処するべきかという観点でしか問題を見ませんが、落合さんは超高齢化社会を乗り切ったあと、そのノウハウを海外に販売するというところまで捉えていて、「日本はこれから強くなっていく」と唱えています。物事を見る切り口を複数持つだけで、弱みを強みに変えることもできるので、物の見方には意識して拘っていきたいと思います。
昔、ある外国人のカメラマンに、自分のカメラを使って写真を撮ってもらったことがありますが、同じカメラで同じ対象を撮ったのに全然テイストが違ったことがあって、機材の問題ではないと痛感したことがあります。
同じ風景でも人によって見ている事実はまったく異なる。
「見る力」とは、映像を手段として自己の感情を文脈化してアウトプットする力でもある。
落合さんが撮る落合陽一はどんな感じになるのか、というのは見てみたい。
主観的でなく、客観的に見るためにカメラを通してみるといい感覚は分かります。カメラで撮られてる自分を意識することで客観的になることができるとずっと思っていました。

このような振る舞いをすれば撮る側も撮りやすくて、こうして撮ってくれるだろうというのはいつも意識してやっています。