【落合陽一】「見る力」を鍛えたら、世の中はもっとよくなる

2019/1/21
1月24日(木)から展覧会「質量への憧憬」(主催:株式会社アマナ・落合陽一)を開催するメディアアーティスト落合陽一。展覧会初日までの今日から4日間、落合陽一が写真を通して向き合い続けてきた「見る力」に迫る。

3つの「見る力」

──今日は「見る力」をテーマに話を聞いていきたいのですが、「見る力」に落合さんが注目するのはなぜなのですか?
ビジネスの文脈では「考える力」、特にロジカルに思考してパターン分類する力が重視されますが、そこで抜け落ちているのが「見る力」です。「どのようにものを見た上で思考するか」という視点が欠けています。
「見る力」とは文字通り、目でものや空間を見る力ということですが、僕はそこには3つのタイプがあると思っています。
「写真的に見る力」「デザイン的に見る力」「建築的に見る力」です。
言い換えるなら、風景や対象を写真のように切り取って2次元の絵として見る力、形状や構成や機能をデザインとして見る力、立体や空間がどう構築し空気を作っているかを見る力、ということです。

写真的に「見る」ということ

このうち、「写真的に見る力」については、カメラのフレームを通した画角や露出による絵作りの感覚、動画であれば時間尺まで含めて意識しながら「見る」ことが重要です。
しかし、これまで日本人はこういった「見る力」をあまり養ってこなかったと思います。実際、ここ数年でロジカルシンキングはかなり普及しましたが、ビジュアルシンキングはまだ社会にそれほど受け入れられていませんよね。
僕が写真やメディアアートを手がけている理由のひとつは、「見る」ことにすごく興味があったからです。
修士時代に、物体の表面の質感をどうやって再現するかをずっと研究していました。
例えば、アルミや鉄、植物の葉や人間の皮膚は、表面の質感によって滑らかに反射したり、キラッと反射したり、あるいはザラッと反射することもあります。
これを専門用語でBRDF(Bidirectional Reflectance Distribution Function)と言います。BはBidirectionalの略で、双方向に反射する分布の関数を指します。つまり、入ってきた光がどのように反射したり広がったりするかを記述する関数を使って、CGでシミュレーションしていくのです。
CGでは現実と違い、何もないところに目に見えるものを一から創らなければなりませんが、その発想で世界を見ると、ものの見方が変わってきます。ある物体を見たときに「なぜこんなふわっとした広がりを持っているんだろう?」といった疑問が湧いてきたりするんです。

展覧会を開く理由

実際に、メディアアートをやっていると、ある瞬間にしか見えない現象や体験に出会うことがあります。
例えば、雪の降る寒い日に外に出ると、霜がふわーっときれいに見えたり、煙がふっと立ち上がる瞬間が美しかったり、稲妻がパシンと落ちる瞬間を目撃したり。
人はそうした瞬間を永遠に残したいと思うから、絵を描いたり、写真を撮ったり、あるいは、プラズマ装置を使って稲妻が落ちる瞬間を再現しようと考えるかもしれませんね。実際に僕は、テクノロジーの力でさまざまな瞬間を再現することで、それがもたらす感覚や体験を追求し続けてきました。
そして今回、現実の時間と空間を、写真というテクノロジーを使って切り取ったものがたまってきたので、ここでもう一度、「自分は何か好きなのか」「そこに何を見るのか」を確認し、それを知ってもらうために写真の展覧会を開こうと思ったのです。
画像タップで展覧会公式HPに遷移します。
多くの人は、空間や時間をビジュアルで切り取ることについて、あまり意識したことはないと思います。今はビジュアルストーリーテリングという言葉もありますし、スマホを使えば誰でも簡単に写真や動画が撮れますよね。
しかし、毎日写真を撮っている人は珍しくないのに、「見る力」を意識しながら撮影している人はほとんどいません。また、それについて学校の授業で習う機会もありません。そこに僕は問題意識を持っています。

主観でなく、客観的に見る

──日本人は写真が大好きな国民ですが、単に人や料理や風景を撮影して、記憶に残すということだけに偏っていますよね。
そうですね。海外の人に比べると、日本人はめちゃくちゃ写真を撮影していると思います。でも、目の前の空間を把握した上で、どこを切り取るかといった部分に関しては、多くの人はしっかり考えたことがないと思います。そういう写真展とかに触れることでそこを見直すきっかけになったらいいと思いますね。
──落合さんの写真を見ていると、日本人が大好きな、食べ物の写真がないですね。
確かにそうですね。僕は食べ物を撮ることに本当に関心がない。今回展示していない写真を含めても食べ物は全くないですね。それよりも、コンクリートとか電線といったものばかり撮っています。
レオナルド・ダ・ヴィンチは「対象を目で見る行為は主観的だが、鏡を通して見ると主観的ではなくなる」という意味のことを言っています。つまり、カメラで覗くと同じ対象であってもすごく客観的に見えるのです。
例えば、月を撮るときに、肉眼で認識している月は大きく見えるのに、写真で撮影すると意外と小さくて驚くと思います。カメラを通して見ると客観性が高まるんですね。テクノロジーを使って客観的に対象を見ようとする習慣が、現代人にはもっとあってもいいと思います。

「見る力」を鍛える

最近はスマホのカメラがすごく優秀になっていて、ファーウェイの「P20 Pro」にはライカと共同開発したトリプルレンズカメラが付いています。しかも、AIプロセッサーが搭載されていて、食べ物や人間を認識して、それに合わせた補正を行ってくれるので、かなりきれいに撮れます。
確かにデバイスは飛躍的に進化しています。しかし、それを使いこなせている人が少ない。
例えば、コンピュータがあれば誰でもプログラミングができますが、実際にプログラムを書いている人はそれほど多くありませんよね。それと同じように、スマホがあれば誰でも写真は撮れます。しかし、「見る力」を意識しながら撮っている人は少ないのではないでしょうか。
多くの人がその力を鍛えられたら、世の中はもっとよくなるのになあ、と思うんです。言語能力だけでなくてビジュアルの洞察能力が個々に繋がってきたときに見えるものがある。
<撮影:TOBI、デザイン:砂田優花、取材場所:株式会社アマナ芝浦オフィスPORT>