新着Pick
382Picks
Pick に失敗しました

人気 Picker
なんか難しいフレームの文で正直詳細まではイマイチ頭に入って来なかったが、すぐ得られる知識を「勉強」することは大事だということと、「お勉強」とここで称されている、勉強してもそれをうまく使う術を学んでいないのに無駄に知識だけ重ねるのが最悪だというのはめっちゃ同意する。
自社内製、日本製にこだわってる暇があったら外部のすでに確立しているものを学んで使ったほうがいい。英語は勉強すればいいし。マーケティングやブランド・マネージメントなんて勉強した知識を元にさっさと実践してさらに日々進化しているところや足りないところを学んで行くのが手っ取り早い。

最後にちょっと論文の話が出てるが…博士論文書くのまじ死ぬと思った。ってまだ口頭試問が残ってるからどうなるか全然わからないけれど。
そもそもは、博士論文書くのは辛いものだ、と言うことをちょいと主張してみたくてこの記事のPickボタンをポチッとしたんだな〜
「お勉強」は、答えの決まっていることを効率よく間違わないでやること。「仕事」は、答えのないことを問題を見つけて解決策を見出すこと。全然求められる能力が違います。
「お勉強好き」が仕事ができないのではないと思います。
勉強と仕事は必ずしも同じスキルが求められるとは限らないのですが、お勉強好きな人は勝手に仕事もできるとハードルを上げられてしまい、その期待に応えられないと「仕事ができない」という印象になってしまうという側面もあると思います。
私の感覚だと、洗練された作業手順がある仕事の場合は、「つべこべ言わずにさっさとやれ」で良くて、お勉強してる暇があれば手を動かせという感覚。

でもそれ以外はやっぱり、どれだけ普段から勉強しているかが仕事の成果を左右すると思っています。

たとえば良くありがちな「売上が落ちてきた、なんとかせよ」みたいな場合に、良くあるのは一部の人で会議が開かれて新対策を議論したりします。値引きをしたらどうかとか、キャンペーンを打とうかとか、色々考える。この時に過去の経験からしか考えないのか、他社や歴史の成功や失敗からも学べるのかは大きな違いです。

あと最近は最低限知っておかないといけないことも増えました。ITリテラシー、セキュリティリテラシー、時代の変化が早いので業界動向のアップデートもしないといけない。3年前の常識が今の非常識ということも多々あります。

※追記
>石井 敏宏さん
それは色々偏見な気が・・・
「問題解決」にとどまっているから。

勉強して問題解決力などスキルを高めることはできる。

しかし、ビジネスにおいてもっと大切なのは、変化の兆しを感じる「知覚力」や、本質的な問題を見出す「問題発見力」だ。

そして、どう取り組んでいけばいいかを考える「課題設定力」が必要になる。これらの力を磨いていないことが、まさに課題だ。

勉強して知識を詰め込み、ケーススタディなどで型を覚えるだけでは、それを使う知恵も身に付かない。正解がない問題に取り組むことが苦手なことも一因。

自分は勉強したからという満足レベルにとどまらず、さらにその先の領域へと自分を進化させなければ、勉強したことを活かすことはできません。
勉強が身につくのは演習があってこそです。

「「問題解決段階」以降がパスされやすい原因の1つは、 日本企業の人材教育部門に文科系出身の学士社員が多く、ちゃんとした修士論文、博士論文を書いた経験のある人が絶対的に少ないことが理由ではないかとも考えられる。」

これはちょっと同意。よく大学院で学ぶことを批判される方がいらっしゃいますが、存在しているからにはちゃんとした存在意義があります。特に、博士課程で教えているのはある特定の分野の専門性だけではありません。それを例題にしながら、問題発見能力と問題解決能力を養います。

ちょっとだけ便乗させていただくと、武井 涼子さんのコメントに完全同意で、私も博士論文・審査は辛かったです。タイムマシンが実現できたとしても高校3年生と博士3年生だけには戻りたくない。
この記事にあるようなプロセスを考えたことはないのですが、「勉強」だけができる人、「仕事」だけができる人を比較しないほうが良いと思う。

「仕事」ができる人が「勉強」するともっと良くなるし、
もちろんですが、「勉強」ができる人が「仕事」もできるってこともある。

「勉強」x「仕事」なのか、「仕事」x「勉強」なのかは、自分がその掛け算をしたければすればよくって、「勉強」VS 「仕事」って考えることがそもそもおかしい。

「学ぶ」ことが人間の「仕事」
そのくらいのつもりで、シームレスに「勉強」と「仕事」を融合させていくのが良いと思う。

いつまでも「学ぶ」ことが仕事においても、勉強においても大切ですから。
まずこの記事を読む力、筆者の主張を消化する力を得るには、お勉強が必要です。また、論理的文章の基本構造、道具概念を把握するには、お勉強が必要です。

法的思考方法では、まず概念定義から始め、対象の主張の要素分解を経て、個々の論点ごとの批判的考察と自説の論証に至りますが、この記事は、正確な概念定義から始まっていない、いわば散文です。まあ、こういう考えもありえるなという感想に終わりました。
学者でも同じことが言えそうだ。「お勉強」好きでも学術論文が書けない人がいる。先行研究を「お勉強」して詳しい人が、学術論文をどしどし書けるというわけではない。指導する大学院生にも、「お勉強」だけしてはダメで、論文を書くべく手を動かすことが大事だと。
【意識と行動の関係性】
”意識高い系”が揶揄されるのと近い話。意識高いことそれ自体が問題なんじゃなくて、「行動足りない系」であることが問題なんじゃないかと。インプットとアウトプットのバランスと、行ったり来たりの往復回数が大事なので、勉強することそのものに罪はない。打席に自ら立つべしってことですね。