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会話の前半部分、医療者と患者の距離の話は、sympathyとempathyの違いの話のように思います。

ともに共感というような言葉で訳される両者ですが、その意味合いは大きく異なります。共感には感情的な側面と理性的な側面があります。前者のsympathyには、感情移入する、一緒になって悲しむ、患者さん自身と同じ気持ちになる、というような意味合いがあります。一方、後者のempathyは、患者さんの感情を理解し、より良い状態になるための提案ができること、のように定義されます。

両者は重なりのあるコンセプトですが、医療者は重要な局面でも冷静な判断を求められるため、empathyを持つ必要があると教えられます。

人の死を前にして、なかなかそのようなことを意識することは難しいですが、私個人を内省するとスイッチがあるように感じています。病院にいる間はempathyのスイッチが入っていて、最大限患者さんだったら、家族だったら、と想像し、どうしたらより良い提案ができるだろうかと考えています。その間、不思議と悲しみのような気持ちは訪れません。ところが、ひとたび自宅に帰ると、それまでの出来事を振り返って突然涙が溢れ出すという経験をします。急に医師のスイッチ、あるいはempathyのスイッチが外れ、sympathyのスイッチが入るのだと思います。

それが良いことなのか悪いことなのかよくわからずにいましたが、最近では、このようなスイッチが意識できることもまた、プロフェッショナルの技量なのではないかと捉えられるようになりました。

医療者も数多く人の死に接しているとはいえ、死の捉え方は十人十色、死への準備、理解は十分にできていないものです。そういう意味で、対談で指摘されるように、早いうちから家族や友人、自分をよく理解する方と話をする機会を持つ、そのような機会を通して共通理解を持っておくということが、大切な準備なのだと感じています。
この手の話は長くなってしまいそうなので、簡単に自分の意見を述べます。
医療者としては、自分の死生観を持つことと、他人(患者)の意見をニュートラルに聞けることが大事だと思います。
患者としては、自分の死生観や望んでいることを家族と議論し共有していくことが重要だと思います。
患者家族としては、自分の死生観と患者の生き様を思い起こし尊重することが重要だと思います。