• 特集
  • 番組
  • トピックス
  • 学び
プレミアムを無料で体験

「死ぬ前1か月の医療費さえ削ればよい」落合陽一氏×古市憲寿氏対談で見えた終末期医療の議論の難しさ

Yahoo!ニュース 個人
311
Picks
このまま本文を読む
本文を読む

コメント


のアイコン

注目のコメント

  • 総合内科専門医・循環器専門医 医長

    想像できる方がいるかどうかはわかりませんが、我々の日常の一例です。

    患者は80代。他の病院だったらとっくに諦めらているであろう重症な心筋梗塞。救急での治療にも難渋し、非常に状態の悪い中で集中治療室に。
    半年ほど集中治療をして、機械的循環補助、24時間の持続透析、大量の強心薬、、、

    やっと点滴も全部なくなった。
    ベッドで「もう殺せー」なんて悪態ついてたこともあったけど。
    アイスを食べて、一言。「おいしい。せんせーありがとう。」と笑顔。

    正直治療している時はこれほど高齢の重症心筋梗塞とか助かったのを見たこともないし、何を目指してるのだろうとも思った。

    その笑顔を見て、ムダじゃなかったかな、と。

    数か月後に転院して。。。

    転院先では2週間くらいで肺炎?誤嚥?で、死亡。



    場合によっては搬入時の心機能をみて諦める選択肢もあったでしょう。ベット上生活を余儀なくさせる機械的サポートが必要な時点で諦める選択もあったでしょう。集中治療のどこかで手を緩めてたら看取りになってたかもしれません。

    でも、それではあの笑顔を見ることはありませんでした。

    どこに線引きがあったのでしょうか?患者のQOLはアイスが食べられたくらいで、長い集中治療の辛さに勝ってたのでしょうか?
    また、それは結果をみて話せることで、前もって誰が何を予測したでしょう。

    でも、医療費はきっと月に100-200万円は少なくともかかっていたでしょう。半年で1000万円くらいかかったかもしれません。



    とても難しい問題です。



    医者をやっていれば、もう今すぐにでもこんなムダな医療はやめた方が良いと思うことはたくさんあります。
    風邪の抗菌薬や、そもそも感冒薬すらたいした効果はありません。明日からどこの病院に行っても風邪薬や抗菌薬が処方されない、そんな改革を望んでいる人がどれくらいいるでしょうか。

    みんなのQOLが保たれて、医療水準も下げず、なんならムダが省かれてレベルが上がる、win-winな医療政策ができればと僕も思っています。

    総論・各論、様々な側面から検討・議論する必要があります。

    対談の「部分」が切り取られて炎上していますが、多くの方が関心を持って考えるキッカケになったのならそれは良いことかと思います。


    答えがないので乱文ですみませんでした。これからも微力ながら考えていきます。


  • デス・カフェ@東京主催

    お二人のお話もそう感じたのですが、こうしたお話は「自分の死」か「自分とは直接関係の無い誰かの死」のどちらかで語りがちです。でもわたしたちがこれからまず直面するのは「身近な人の死」。つまり親の看取りです

    そうした親の死を目の前にしたときに、財政や優性思想はどうでもよくなるのではないかと思っています
    そこには、とにかく出来ることは何でもして一日でも長く生きて欲しいと願う方もいれば
    こんなにも苦しんだり。医療によって生かされる姿は自分は観たくもないと思う方もいるはずです
    でもそう思ったり願うように現実をコントロール出来るかは、そうなってみない限り誰にも分りません

    「俺は日本の社会保障費(財政)を圧迫するのが嫌だから親(子)の延命治療を拒否した」

    という決断をみながみな、できるのでしょうか?


  • 医師・医療経済ジャーナリスト 南日本ヘルスリサーチラボ 代表

    この話題、議論が白熱していますね。他でも言いましたがもう一度言います。

    終末期医療は「高額」だから問題なのではなく、「患者の幸福な人生に向き合わずお得意の医療的ルーチンワークに終止している(その場合医療費も必要以上にかかる)」からこそ問題なのだと、個人的には思っています。国民の多くがそう感じていることがこの議論の根底にあるのではないでしょうか。

    これはもう医療経済やエビデンスなどの数字で語られる部分のみでの理解では片手落ち。「患者の幸福な生活・人生」に向き合うための医学教育や、「国民全体の看取りの文化」に思いを馳せるべきだと思います。

    たとえば記事中のグラフの、bは「死亡する1か月もしくは2か月前から入院した」ケース。記事では「何かの病気を抱えながらも自宅で過ごしていたけれど、急に脳卒中などになって入院し、手を尽くした(それによって高い医療費がかかった)けれど残念ながら亡くなってしまった」というケースが想定されていますが、施設によっては終末期は全例病院に搬送する(施設内看取りがない=つまりほぼずべてbパターン)というところもあります。ていうか、大半は病院死ですし。。。いや、どっちで亡くなってもそれがその人の幸福な人生の終末であればいいのですが、もちろんそれは別問題。でも医療費はあがります。

    また、aは「死ぬまでの1年間、全く入院しなかった」ケースです。つまり在宅or施設療養→在宅死ですね。cは「死亡する前の1年間、ずっと入院していた」ケース、つまり長期入院→病院死、です。

    どちらも長期療養の末の「死亡」という事実は変わらない、でも医療費は入院の方が圧倒的に多い。では医療費を使ったほうが幸福度が高いのか?そんなことはないでしょう。

    「患者の幸福」はデータに表れません。本人と家族、それに現場の医療・介護従事者にしかわからないものです。だからこそ、我々は「患者の幸福」にもっとフォーカスすべきで、それが医療の本来の役割だと思います。


アプリをダウンロード

NewsPicks について

SNSアカウント


関連サービス


法人・団体向けサービス


その他


© Uzabase, Inc

マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか