自律走行車は誰を犠牲にすればいいのか? 「トロッコ問題」を巡る新しい課題
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実は超奥深い議論。AI時代、複雑な問いに判断を下す「基準」を誰がどう設定するのか/していいのかという議論に直結します。
例示は交通事故における人命の扱いでしたが、実は日常にも見えない形でこういった問題は存在しているはずであって。たとえば、AI機器がハラスメントを「判断」したり子どもの才能資質を「判断」し教材や例題を与えたりする時代は遠くないであろう中、その「判断」の基準と正誤の『判断』をどうするのか。技術進歩の先には哲学的な問いが付き物ですが、本記事はよくある議論に見えつつも示唆的でした。https://newspicks.com/news/3347137
<再掲>
この状況に陥ったら、制御は負けです。
この状況にならないように制御するしかない。
できる事は被害を最小限に食い止める為、運動エネルギーを下げる(車速を落とす)だけでしょう。【過去コメント再掲】
自動走行のトロッコ問題、重要ではないとは決して申しませんし、面白い問題でもあります。
でも面白いが故に、実際の相対的重要性に比べてメディアに取り上げられる頻度が不釣り合いに多いように感じます。
現実の自動運転は、もっと低いレベルでの信頼性確保が目下の最重要課題です。つまりそもそも道に急に走り出てくる女の子をちゃんと認識できるか、その行動を予測できるか。
まあわざわざ小言を言う必要もないかもだけど、実際の重要性ではなく、メディアへの取り上げられやすさによって技術開発への投資の優先度が付いてしまうのだけは避けて欲しい。
もう1つ辛辣なことを言うと、メディアに取り上げられやすい技術ネタというのは、倫理学のように「理系でなくてもわかる」ものが多いですね。一方には技術側が一般の方に分かりやすい言葉で説明することを怠けているのが原因でしょう。他方では、最先端のことに首を突っ込みたいけれども今から数学や工学を勉強し直すほどガッツのない人が、勉強しなくても分かる物だけ手にとって技術的最先端に関与している「気になっている」面もある気がします。
今の時代、理系の人間はコミュニケーションを、そうじゃない人間は理系的知識を、真摯に勉強する必要がありますね。
【追記】それと。注目される理由の一つに、MITがやっている、という点があるでしょう。MITの中でもメディアラボは、普通の研究室とはかなり毛色が違う。論文になるような学術的研究より、良い意味でも悪い意味でも「話題になる」「メディアの注目を集めやすい」研究をしているところです。