2008年の金融危機の渦中に「なぜわれわれはお金に翻弄されるのか」との疑問を抱いたウォール街の投資銀行家が著した『貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで』。著者のカビール・セガールが25カ国以上を訪問し、さまざまな専門家の取材を重ねて著した同書には「貨幣の文明論」が展開されている。

第2回はローマの歴史を振り返りながら、現代にも通じるハードマネーの教訓を中心に、ソフトマネーに傾く貨幣の歴史を紐解いていく。

【貨幣の新歴史】第1回:お金はハードか、それともソフトか
繰り返された「グレシャムの法則」
硬貨はギリシャで社会の民主化を促す影響力を発揮したが、政治の道具として権力者に利用されるときもあった。
ローマ帝政期、支配者は莫大な支出を賄うため、硬貨をどんどん鋳造して貨幣供給量を増やした。その一方で、硬貨の金属含有量を減らして改鋳も行なう。
ローマの歴史からはハードマネーに関する教訓が得られる。政治目的のために、発行者は貨幣の価値を操作できるのだ。この教訓は今日でも生きている。
ローマでは紀元前300年頃に硬貨の鋳造が始まった。初期の硬貨はギリシャのデザインの影響を受けており、しかも交易をスムーズに進めるため、近郊のギリシャの町で作られるときもあった。
標準的な貨幣単位として流通していたのがアスという青銅貨で、そのほかにディドラクマという銀貨があった。1ディドラクマに対して10アスの交換レートが定められていたが、金属の含有量は市場で変動を繰り返した。
たとえば銀貨の実質価値が、硬貨に印されている額面価値よりもかなり高かったとしよう。すると人びとは銀貨を貯めこみ、流通から外してしまう。その結果、額面価格よりも価値の低い青銅貨ばかりが流通する。
この現象はグレシャムの法則として知られる。悪貨は良貨を駆逐するのだ。共和制の時代と帝政の時代を通じ、この現象はローマで繰り返し発生した。
戦争と財政危機に銀貨改鋳で対応
ピュロス率いるギリシャ人との戦いで勝利を収めると、ローマは地域の覇者としての地位を盤石にした。そして紀元前269年頃から自国硬貨の大量生産が始まる。
ローマの硬貨のほとんどを製造した鋳造所はカピトリヌスの丘の頂上にあり、敵の攻撃を受けにくい立地だった。女神ユノ・モネタ(Juno Moneta)の神殿に隣接しており、そこからmoneyとmintという言葉が生まれたと考えられる。ユノがモネタという名まえを獲得したいきさつについては、いくつかの物語が残されている。
ある言い伝えによれば、神託が地震について預言し、それを防ぐためには豚を犠牲に捧げるしかないと警告した。ほかには、ガリアからの侵入者に神殿内のガチョウが気づき、ローマ人に大声で警告したため大事に至らずにすんだという伝承もある。
どちらの話にも共通しているのは、女神が間接的に警告を発している点だ。ラテン語のmoneoには「警告する」という意味がある。
さらに、貨幣単位がこの神殿と密接に関わっていることも道理に適っている。なぜならここはpes monetalisまたは“monetal”、すなわちローマ人の足の大きさなど、重量や大きさについての正式な記録の保管場所だったのである。
紀元前218年から前201年まで続いたカルタゴとの第二次ポエニ戦争のあいだ、ローマは財政危機に直面した。軍隊を維持するためには多くの資源が必要とされたからだ。
そこで政権は銀貨を改鋳し、純銀の含有量を全体の98パーセントから36パーセントにまで減らした。おかげで硬貨そのものの価値は低下したが、兵士たちに支払う硬貨の数は増やすことができた。
ローマは戦争には勝利を収めて地域の覇者になったものの、ハードマネーの価値は大きく損なわれ、価値の高い硬貨は退蔵されてしまう。
カエサル、遠征先から金を大量剥奪
そこでローマは巻き返しを図る。紀元前211年頃、ローマの指導者はデナリアルという硬貨の制度を導入した。ここには銀貨のデナリウスと青銅貨のアスが含まれる。
デナリウスの語源となったラテン語には〝10を含む〟という意味があり、実際、1デナリウスは10アスに相当した。最終的には、1デナリウスが16アスというレートに変更される。
この制度は、ほぼ純銀を材料とする四種類の硬貨から成り立っていた。(1)デナリウス。重量は四4.5グラムで最も大きく、最も価値が高い。(2)ウィクトリアトゥス(4分の3デナリウス)。(3)クィナリウス(半デナリウス)。(4)セステルティウス(4分の1デナリウス)となる。
デナリアル制度のもとで初期に発行された硬貨の多くには、有翼の兜をかぶった女神ロマのイメージと、ROMAという文字が刻まれていた。しかし後には、ほかにも様々な文字や神々が使われるようになった。
ユリウス・カエサルは遠征先のガリアから金を大量に略奪し、ローマの貨幣史に足跡を残した。この略奪品のおかげで金貨アウレウス〔デナリウス銀貨25枚に相当〕がかつてないほど大量に発行され、流通するようになったのだ。
カエサルが最高権力者だった紀元前49年には金融危機が発生したが、この新しい金貨の導入によって事態を収拾することができた。当時は戦続きで、軍隊に給与を支払うために大量の硬貨が必要とされていたのである。
金貨を導入して貨幣供給量を増やしたおかげで、大量の硬貨が退蔵される事態には至らず、カエサルの改革は経済の回復を後押しした。
アウグストゥスは政争を勝ち抜いて紀元前27年、カエサルの後継者として権力の座に就くが、カエサルと同様に貨幣不足という経済問題に直面した。
当時はデフレが発生し、不況が長引いていた。そこでアウグストゥスはエジプトからの略奪品を使って公共工事を積極的に手がけ、福祉政策を充実させた。財源となったのは遠方の地から持ち込まれた貴金属で、溶解されてから鋳造され、兵士たちへの報酬として支払われた。
ネロとルーズヴェルト、政策の共通点
さらにアウグストゥスはカエサルの貨幣政策を踏襲し、紀元前10年まで大量の硬貨を鋳造し続ける。やがて金利は12パーセントから4パーセントにまで下がり、経済は回復した。ふたりの経済政策の成功は、将来のローマ指導者たちにとって教訓となった。
アウグストゥスの後継者のひとりネロ帝の治世下の西暦62年は、長引く不況の最中にあった。おまけに2年後の64年にはローマで大火が発生し、さらにダメージが広がった。
古典学者のメアリ・ソーントンはネロの政策とフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領の政策に共通点を見出し、ネロは〝ローマのためにニューディール〟を構想したと考えている。たとえばネロは市民を対象にした食糧助成金を増やし、運河などの公共工事に投資した。
フランクリン・ルーズヴェルト大統領は大恐慌の最中に政府の支出を増やしたが、それと同時に貨幣政策に変更を加えた。金に関する政策や購入計画によって、ドルの価値を意図的に引き下げようとした。
同様にネロも貨幣政策に積極的に取り組み、貨幣供給量の増加を目指す。具体的にはカエサルやアウグストゥスの経済戦略を見倣い、硬貨の供給量を増やす一方で改鋳を積極的に進めた。
たとえばデナリウスの銀の含有量を97.5パーセントから93.5パーセントに、重量を3.9グラムから3.4グラムに減らし、貨幣としての価値を15パーセント引き下げた。さらにアウレウスの重量を8グラムから7.2グラムに落とし、貨幣としての価値を10パーセント引き下げたのである。
一連の政策によって、貨幣供給量は7パーセント増加したと推定される。ハードマネーの改鋳は、景気を回復軌道に乗せるために有効な貨幣政策であることが証明された。
西暦238年に発生した「金融危機」
改鋳が積極的に進められたネロの治世は、ローマの貨幣史の転換点になった。
貨幣は固有の価値を失っていくが、改鋳された硬貨が取引で使われる機会は増えていった。ただしインドなど一部の国は改鋳された硬貨の受け取りを拒んだため、銀や金、あるいは改鋳されない硬貨を国外に放出して交易の円滑化を図った。
当時のローマの都市ではモノづくりがさかんではなく、必要な商品を輸入に頼ったため貿易赤字が膨らみ、それを解消すべく国庫から資金がどんどん流出しているのが現状だった。
一方ネロは自分の発行する硬貨に、金属としての固有の価値以上のものが備わっていることに気づいていた。硬貨は価値のシンボルであり、プロパガンダの手段でもあったのだ。
ネロが皇帝になってまもなく発行された硬貨には、即位したばかりの16歳の皇帝が後見人である母親のアグリッパと一緒に刻まれている。やがて時代が進むと、ひげをたくわえ王冠をかぶった肖像に変わり、一人前の男性になったことを誇示している。
ローマ帝国の影響力は拡大し、領土は中東や北アフリカにまで広がり、総面積は400万平方マイルを超えた。多くの略奪品はローマの収入だけでなく支出も増やした。押収された金属は溶かされてから硬貨に鋳造され、増加する一方の軍隊への給与に当てられた。
おまけに役人たちの贅沢な生活を支え、貧しい市民に補助金を提供する必要もあったため、国の支出は一気に増加した。西暦2世紀には、ローマの年間予算は2億デナリ以上にまで膨れ上がった。
しかし、莫大な支出はついに経済への大きな圧力になった。西暦238年に金融危機が発生すると、金融政策の一環としてデナリウスは実質的に消滅した。銀の供給量が著しく減少したからである。それでも国は大量の貨幣を必要としていた。
これに先立ち214年には、まったく新しい硬貨アントニニアヌスが造られていた。この名称は考案者のアントニウスにちなんでつけられたものだが、結局のところ悪貨が良貨を駆逐してしまった。当時人びとは固有の価値の高いデナリウスを貯めこんだため、ほとんど流通しなくなっていた。
退蔵される硬貨が増えれば、貨幣供給量は縮小していく。こうなるとローマ当局は、さらに改鋳されたアントニニアヌス貨幣を発行するしかなかった。270年に鋳造されたアントニニアヌスは、銀の含有量が僅か2.5パーセントしかなかった。
金銀複本位制度とインフレの猛威
こうして貨幣制度から〝良〟貨が徐々に消えていくと、物々交換や債務取引が増えていった。
一方、硬貨の価値低下を補うために商人は商品価格を引き上げ、それをきっかけに今度はインフレが発生する。深刻な経済状況に市民の不満は募り、271年には鋳造所で職人のストライキが勃発した。
ローマの悲惨な経済状態は何年も続いた。293年から301三年にかけて、物価は1年で23パーセント近くも上昇し続ける。
3世紀末、ディオクレティアヌス帝はネロの経済政策を見倣い、軍隊を増強して道路の建設を増やすが、その一方で貨幣改革にも着手した。その結果、金銀複本位制度が復活し、額面金額は実体を正確に反映するようになった。貨幣は固有の価値を持つ金属に立ち返ったのだ。
しかし、金属価格が急上昇したためインフレは解消されず、またもや悪貨が良貨を駆逐した。
そこで301年、ディオクレティアヌス帝は最高価格に関する勅令を発し、ワイン、穀物、衣服など1000以上の商品の価格に上限を設けた。しかしそれはほとんど無視され、インフレはさらに猛威をふるった。
ローマのインフレの原因について学者は長いあいだ議論を続けてきた。ハードマネーの供給量と価値に干渉したことが大きな影響を与えたのは間違いない。貨幣を改鋳し続けたローマの経験は、ハードマネーこそ経済問題の万能薬だと考える人たちに再考を促すはずだ。
しかしハードマネーの改鋳も、今日進行しているソフトマネーの価値低下と比べれば色あせてしまう。今日のドルには金属の裏付けがない。そして一部では、長いあいだ人びとを魅惑してきた金属への回帰を求める声が聞かれている。
中央銀行による貨幣供給量の調整
政治目的で貨幣を操作したのはローマ皇帝だけではない。
政治的目標の達成を支援するため、中央銀行が貨幣供給量を調整するのは未だに各国共通の習慣になっている。ただし金属を採掘する必要はない。国家はソフトマネーをどんどん創造するだけでよい。
たとえば日本の中央銀行は大量の国債を購入し、銀行に資金を注入する。その結果として円安が進行すれば、トヨタや日産などの輸出業者は世界市場で自社製品を安く販売できるようになる。売り上げが伸びれば新たな雇用が創出され、日本政府の目標は達成される。
このような貨幣戦略や通貨の操作は、かねてより世界の経済制度の一部だった。しかし2008年に世界を見舞った金融危機をきっかけに、通貨調整の規模は大きく膨らんだ。
各国の中央銀行は景気刺激策として、大量の貨幣を新たに発行するようになった。経済のなかで流通する貨幣の量が増えれば、貨幣の価値が下がって物価や賃金が上昇し、個人も企業も将来ではなく今のうちにお金を使おうという気持ちになり、経済活動が刺激される。
貨幣の供給量や価値に国家が介入する習慣を酷評する専門家や政治家は多い。金属の裏付けのない貨幣を国家が大量に操作する行為は、かつてのハードマネーの改鋳と比べものにならないほどの悪影響をおよぼすと考えているのだ。
金本位制に戻ればある程度のチェック機能が働くだろう。金の総供給量は限られているから、貨幣供給量が際限なく膨らむ展開にはならない。
ソフトマネーへ傾く貨幣の歴史
金本位制の復活というアイデアは、金属主義者と表券主義者のあいだに論争を巻き起こしている。これは債権者と債務者の論争と言ってもよい。
債権者は投資した財産を守ろうとするもので、返済時に貨幣の価値が変わらないことを望む。これに対して債務者は、貨幣供給量が増える展開を期待する。そうすれば返済時の金額が同じでも、価値は目減りしている。
しかし、お金の性質はひと言では説明できない。借金を誰に頼るか、そしていつ申し込むかによって、問題の解決法は異なってくる。
たとえば19世紀末の銀行家は、通貨供給量の増加につながる複本位制の導入に抵抗した。貸し付けたハードマネーの質や価値が返済時にも変わらないことを望んだからだ。
今日、ハードマネーへの回帰を提唱する銀行家はほとんどいない。融資の提供が限られ、事業が抑制される恐れがあるからだ。
いまや貨幣の歴史はソフトマネーへと傾いている。経済学者のグリン・デービスはこれを〝質から量へ振り子が揺れ動いた〟と表現している。この数世紀で貨幣供給量は大きく増え、それに伴い貨幣の価値は低下した。
ソフトマネーは作りやすさも幸いし、今日では大量に流通している。おそらく国家は、新たなタイプの錬金術をずっと変わらずに実践しているのだろう。
※ 次回は日曜日掲載予定です。
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本書は『貨幣の「新」世界史 ハンムラビ法典からビットコインまで』(カビール・セガール〔著〕、小坂 恵理〔訳〕、早川書房)の第4章「ハードな手ごたえ ハードマネーの簡単な歴史」の転載である。