【NPマガジン】未来の子育て。森岡毅、親ができることは3つ(1)

2018/12/20
「NewsPicks Magazine」第3号を本日12月20日に発売します。今回は「未来の子育て」を約120ページにわたり大特集。その中から、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)を再建した稀代のマーケター森岡毅氏の子育て論を公開します。4人の子どもを育てた実体験に基づく結論は「親ができることは3つしかない」。1つ目は何か。
日本の教育システムは、優秀なサラリーマンを大量生産する仕組みとしてはよくできていました。実際、日本ほど人材のクオリティが一定レベルでそろっていた社会もそうそうないでしょう。
ただ、優秀の定義が変わり、システムが時代に合わなくなっている。「大きな組織で機能する情報処理能力の高い歯車」ではこれからの時代、生きていけない。その意味でも、教育の根っこを変えることが大切です。
では、親は子どもをどう教育すべきか。私は親が子どもにできることは3つしかないと思っています。

①パースペクティブを広げる

1つ目は、子どものperspective(パースペクティブ)を広げるための手助けをしてあげることです。パースペクティブという言葉はあまり聞き慣れないかもしれませんね。辞書を引くと「観点」「見方」とありますが、私自身は「自分が認識できる世界の広さ、視野の広さ」と解釈しています。
森岡 毅(もりおか・つよし)/刀 CEO
1972年兵庫県生まれ。神戸大学経営学部卒。96年にP&G入社。日本ヴィダルサスーン、北米パンテーンのブランドマネージャー、ウエラジャパン副代表などを経て、2010年 USJに入社。CMOとしてアイデアを次々投入し、窮地にあったユニバーサル・スタジオ・ジャパンをV字回復させる。17年マーケティング精鋭集団の刀を設立。著書『マーケティングとは「組織革命」である。』。
人間はパースペクティブの外のことを認識できません。それ以外の世界があること、外に別の生き方や考え方があることがわからない。自分の生きてきた世界しか見えないのです。
固定観念に縛られるのもそのため。だから可能性や選択肢を狭めないためにも、パースペクティブを広げることが非常に重要なのです。
親は子どものパースペクティブが広がるような教育、子ども自身が広げることを習慣化できるような教育をしなければなりません。
親や教師などがセットしたパースペクティブの中で、周りの期待に応えるべくうまく立ち回るのではなく、自らパースペクティブを設定して拡大、改変し、コントロールできるような子どもをいかに育てていくか。
これは、日本の親が取り組まなければいけないテーマだと思います。私自身、これを気にかけて子育てをしてきました。

親のとらわれが子どもにも連鎖

現時点では「パースペクティブを広げる」という視点で、子どもを教育できている親はほとんどいないでしょう。
それ以前の問題として、親自身が、例えばサラリーマンというパースペクティブに埋没しているケースも少なくない。親がとらわれていれば、子どももとらわれる。親子で連鎖するのです。親は親で、パースペクティブを広げる努力が必要でしょう。
私が〝サラリーマン・パースペクティブ〟の枠から抜け出せたのは、元USJ社長のグレン・ガンペルのおかげです。彼は私に会社とは、株主とは、資本主義とは、社会とは何かを教えてくれました。
パースペクティブを広げるには、人と会話して、交わることです。パースペクティブを交換して、お互いのパースペクティブを大きくするのです。
私は人見知りでしたが、この原理を理解して、人と話すこと、人から話を聞くことの意味、価値を感じられるようになりました。

謙虚さを持って子どもに話す

親が自分のパースペクティブを子どもに話して聞かせるのは、決して悪いことではありません。ただし、押しつけはダメです。
多くの場合、人生経験とパースペクティブは比例するので、親が子どもよりも広いパースペクティブを持っている可能性が高い。
そのサイズの違いを無視して、親にしか見えないパースペクティブの領域から頭ごなしに「どうしてこんなこともできないんだ!」と叱っても、子どもには理解できません。
また、「自分のパースペクティブがすべてではない」という謙虚さも持ったうえで、親は話すべきです。
私が今、話していることは私のパースペクティブなので、その枠の外側に知らないパースペクティブがたくさんあります。
人と重なる部分もあれば、まったく重ならない部分もある。それでも自分のパースペクティブで判断するしかない。今の自分のベストではこう。だけど、それがすべてではないという可能性を常に疑って、話すことが大事です。
親と子どもでは育った生活環境が異なるので、残念ながら親が子どもにパースペクティブをすべて手取り足取り教えることはできません。
パースペクティブを広げていくことの重要性は親が子どもに伝えなければならないものの、子どもが自分でパースペクティブを広げていくことが重要です。親ではなく、あくまで子どもの人生です。誰でもない、子ども自身が自分で世界を広げていく必要があります。
私は4人の子どもがまだ小さい頃から「あなたが知っている世界の外には、もっと面白い世界がある。人生はそれを広げていく旅なんだよ」と耳打ちし続けてきました。
子どもがパースペクティブを広げるために親ができることは、いろいろな経験をさせてあげること。「可愛い子には旅をさせよ」とはよく言ったものだと思います。親子で一緒に新しいことにチャレンジするのもいい。親子ともどもパースペクティブが広がります。

タンパク質は現地調達のキャンプ

もっとも、個人的にはこれに行きづまりを感じています。私は仕事でも遊びでも何でもとことん真剣に取り組み、極めないと気が済まない性格です。P&Gに入社して1年目、つけられたあだ名は「ミスター・エクストリーム」でした。
相手が子どもだからといって、その姿勢は変えません。
家族で、真冬の日本海に釣りに行った時もそう。3.5mの波でも船頭を説得して船を海に出しましたからね。船が揺れて、子どもが甲板をごろごろ転がっていても「何をやっているんだ!群れが来たぞ!」と叱咤激励し続け、寒ブリを釣って帰りましたよ。
高知県の四万十川にキャンプに行った時も、米だけを家から持参して、タンパク質は現地調達しました。
1番上の子に「お前はウナギを捕れ」、2番目の子に「お前はモクズガニを捕れ」、3番目には「テナガエビを捕まえろ」と指示したのです。「それがお前らのミッションだ。捕れなかったら、タンパク質がないからみんな飢えるぞ、さあ行け!」と言って、私は私で鮎を捕ってきました。
私は一人一人に役割ができ、家族のインテグリティも増えて、「キャンプっていいな」と悦に入っていました。
(写真:Ippei Naoi/GettyImages)

自分の趣味に付き合わせていた

それが最近になって、子どもたちから「お父さんが喜ぶし、お父さんが言うことは正しいと思うからやっていたけど、本当につらくて、面白くなかった」とフィードバックされました。
この頃は、誰も私と一緒にアウトドアに出かけてくれません。私が強引にやりすぎたから自業自得なのですが、子離れできない私の代わりに、子どもたちが親離れを猛烈にしてくれました。
親子とはいえ、やはり別の人格です。これが悲しくもあり、現実なのですよ。
こうした私自身の反省から、親と子どもで何かをするときには、子どものパースペクティブを広げるためという目的を忘れてはいけないということを痛感しています。
私の場合、気がついたら自分が楽しむことが最上位の目的になっていました。自分にとって楽しいことが、子どもたちにとっても楽しいことだと思い込んでいたのですね。
「ほら、これが天然のウナギの味なんだよ」「こんなきれいな水の川で捕れた鮎はワタまでおいしいだろう」と分かち合いたかった。
それも独り善がり、イケイケドンドンで、自分の趣味に子どもを付き合わせていただけ。まったくピントがずれていたと、深く反省しています。
今ならそれが理解できますが、子育て真っ最中の20代後半、30代の頃はそこまでわかっていなかった。
教育とは、親が自分の価値観や行動様式を子どもに教えることではありません。子どものパースペクティブが広がるようにサポートをすることです。
議論の余地なく、主導権は子どもにあって当たり前だったのに、私は自分に軸を置いていた。ゲームで例えるなら、「モンスターハンター」で、オトモアイルーをオトモに連れて狩りに行っていたようなものです。
こんな激しい父親は子どもたちにとってさぞ迷惑千万だったでしょうね。私の子育て、こと教育に関しては、正直に言って自分でも自分自身にクエスチョンマークをつけざるを得ません。

厳しい方を選ぶ生き方は父親譲り

ここで少し、私自身がどのように親に育てられたかをお話しします。
父は言葉で多くは語りませんでしたが、生き方自体を1つの重要なパースペクティブとして私に与えてくれました。真面目に働くということが当たり前であるということです。それがカッコいいと、私に思わせてくれたことが一番大きいですね。
それに加えて、AかBか迷ったとき、厳しい方を取ることが、結果として経験値を蓄えていくことになると、父は見せてくれました。
常に厳しい方を選んだ父の人生は、パースペクティブを広げる人生でした。そういう生き方の一番太い芯棒みたいなところは父からもらいました。
どんなときも挑戦度合いが大きい方を選ぶことが私のデフォルトになっているのは、父親譲りだと思います。この積み重ねが今の私のキャリアにつながっていることは間違いないでしょう。
*明日の「2つ目」に続く。
(聞き手:佐々木紀彦、編集:上田真緒、構成:荻島央江、撮影:竹井俊晴、イラスト:平田利之、バナーデザイン:砂田優花)