IBM、Notes/Dominoをインド企業に売却へ
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Notesは、私に仕事をする上での武器になった。
当時、クラサバの概念がまだあまり浸透していない時代に、Notesのお陰で先にクラサバの世界に入ることができた。
そこで、大きな顧客との交渉や、英語のできない私がニューヨーク出張で新しい世界を若いうちに経験できた。
私の作った小さなプロダクトは、多くのアプリケーションエンジニアによって汎化され、多くの機能を詰め込んで、横展開された。スモールスタートの始まりでもあった。小さなコールセンター機能を少しずつ、しかし大量のデータを保管することからはじめた。FAQが使えるようになり、ナレッジを共有することができ、利用者も少しずつ増えていった。
自分の作ったものが、多くの場所で利用されると言う成功体験にもなった。
私の活動は、チームの偉いおじさんたち(もうすでに亡くなってしまった尊敬すべき、マネージャーたち)から、絶大な信頼と評価を得ることができました。
ただ、残念なことにその評価は会社からされることはなく、成績は年功序列で巡ってきて、私の作ったプロダクトは、それを利用して展開した別のプロジェクトのリーダーの手柄となりました。そのリーダーの出世ぶりを、彼が会社を辞めるまで、私は間近で見ていました。
その後、何度か、社内でも評価を得ることになりましたが、社内政治によってランクが落とされたり。そもそも評価の対象グループに名前も入らず、まちがわれていたり。自分をアピールできなかったことで、それが評価につながらなかったのか、ただ純粋に会社内の政治活動によって、言うことを聞きやすい私の評価が、他の声の大きい人たちによって落とされた結果だったのか。
とにかく、20年に渡る少しずつの不信感は、私が転職を決意するための大きな理由となったのです。
Notesによる私の成功体験は、会社の不信感を露わにしていました。しかし、当時の若い私は、それに気がつくことができませんでした。私は、正しく私を評価してくれるところに身を置くことを、この年齢になって気づくことができました。それは、最初に武器になってくれたNotesがあったから、今になってようやく気づくことができたと考えています。