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注目のコメント
石原裕次郎主演の「栄光への5000キロ」サファリ・ラリーを見なかったら、今の自分はいないと思う。1972年に初めて乗ったのがスカイライン。このクルマとの出会いがなかったら、他の人生を歩んでいたに違いない。団塊の世代からその下の世代の人々にとって、クルマは憧れであり、人生の最高の友だった。走ることで、出会いがあり、出会うことで、人が繋がっていった。
そんな魅力的なクルマを作ってきた日産がなぜ凋落したのか。ジャーナリストとして、ずっと気になっていた。元日産の幹部に会うだびに、日産が凋落するターニングポイントがどこにあったのか聞いてきた。だが、誰一人として、納得できる答えは持っていなかった。なぜ、日産が低迷したのが、みんな分からなかったのだ。
NewsPicksの池田記者から原稿を書いてほしいと依頼があったが、どこから、何を書くのか迷っていた。色々考えた末、自動車技術の黎明期に活躍した日産(プリンス自動車も含む)の栄光を振り返り、その後、時代の変化にもがく日産の姿を書きたかった。日産にはチャンスもあったが、それを生かせないまま、ルノーの傘下に下ったのだった。日産の問題は、多くの日本企業にも当てはまるのではないだろうか、、。外部識者として日産の技術課題や開発にも携わってきた、ジャーナリストの清水和夫さんによる「熱弁1万字エッセイ」をお届けします。
政府は日産という企業を「虎の子」と捉えていますが、しかし果たして日産という自動車企業は、本当に国として守るべき「宝」なのでしょうか。
「技術の日産」と言われていた時代を知らない私にとっても、非常に勉強になりました。日産を通じて、日本の自動車立国の歴史をおさらいできるはずです。読ませるリボートです。企業の歴史を振り返るだけでなく、その時々の経済や文化を包含した時代精神をも描いています。日産という企業が、日本社会にとってどんな存在だったか改めて感じ入りました。サーキットでスカイラインがポルシェを抜いた瞬間の半世紀も前の興奮が今も共有できます。私が大学生の時、初めて買ったのは中古のブルーバード510でした。名車でした。当時の日産ユーザーは、例えばマックやアイフォーンのユーザーのような矜持がありました。ケンとメリーのスカイラインに乗るのがずっと夢でした。そんなことを思い出させてくれました。