• 特集
  • 番組
  • トピックス
  • 学び
プレミアムを無料で体験

大前研一"ついに失われた30年になった" - なぜ平成という時代は失敗したのか

1439
Picks
このまま本文を読む
本文を読む

コメント


のアイコン

注目のコメント

  • badge
    (株)TOASU特別研究員(経済評論家・コンサルタント)

    30年間の停滞の原因は様々に言えるでしょうが、それを財政支出と日銀による国債購入といった景気対策で補おうとし続けた結果「景気回復やデフレ脱却を本当に達成した場合、そうしたこと(国債暴落)が起こりうる危険な状況に日本経済は置かれている」というのは間違いないように感じます。国民が生み出す540兆円のモノやサービスの価値(GDP)のうち、政府の取り分は税金で国民から集める50数兆円。政府に税金を払った残りは国民の取り分です。政府は取り分だけでは足りないから毎年国債を発行して盛大にモノやサービスを消費する。国民はせっせとモノやサービスを節約してデフレを起こし、余ったモノやサービスを外国に売って経常収支の黒字稼ぐ。そういう形で政府の借金を倹約な民間が補っているから日本はなんとか安定しているわけで、景気が本当に回復して政府と民間が共に盛大にモノやサービスを消費し始めたら、この補完関係は崩れます。
    とはいえ、過去の政府の借金は過去の民間の貯蓄でなんとか賄える。危ない話ではありますが、ここまで来たら、もう、そう信じるしかありません。その上でなお破綻を防ぐには、インフレ圧力が本当に高まる前に、政府の毎年の支出だけでも毎年の税金で賄う体制を作る必要がありそうです。でも、出来るかな・・・・ (・。・;


  • badge
    アニマルスピリッツ 代表パートナー

    「失われた10年」がいつの間にかしれっと「失われた20年」にすり替わり、気がつけばいつの間にか「失われた30年」になりつつありますね。
    常々思うことですが、「失われた」という言葉には「本来得ることができるはずのものがあったにも関わらず、実際には得ることができなかった」といった暗黙の前提を含んでおり、「X年」と表現することで、現状をあたかも一過性の現象と過小評価しているように感じます。
    もちろん、政官財、各界の自失によって得べかりし利益を逃したという側面も多々あることでしょう。拙著『ファイナンス思考』では「PL脳」がその一因であると指摘した次第です。

    一方で、「失われたX年」を主張する面々が、バブル崩壊以前の好景気や、より長い時間軸では戦後の経済成長が持続することを暗黙の前提としているのだとすれば、それは少々現実離れしているのではないでしょうか。
    長い目で見れば、むしろ戦後から昭和の終わりにかけての体験こそが、生産人口・消費人口の急増といったファンダメンタルな規模拡大と、一時的な特需が追い風となった一過性の成長であって、現在直面している状況は「失われた30年」などではなく、「順当に衰退してきた30年」と表す方が、よりフェアではないかと考える次第です。
    現状認識を改めない限り、今後も「X年」は「40年」「50年」と順当に延長され続けることでしょうし、「バブルよもう一度」といった願望を拭い去れないのではないでしょうか。

    そうした現状を踏まえたうえで、衰退の持続にいかに抗うか、どのようなソフトランディングを図るか、先人が遺した負のレガシーにどうケリをつけるか、しんがり戦、敗戦処理、ターンアラウンドこそが、我々現役世代が向き合うべきテーマなのだと感じています。暗いですね。
    一方、個人レベルでは、いかに衰退するマーケットから抜け出すかという、脱出作戦なのかもしれません。

    できることなら、右肩上がりの経済成長というものを母国で味わってみたかったですけどね。


  • badge
    第一生命経済研究所 首席エコノミスト

    過去の財政赤時の推移を見ると、ほぼ名目GDPと連動してますので、デフレを放置してきた要因が大きいと思いますが、近年は名目GDP増えてますので、財政赤字は縮小してます。


アプリをダウンロード

NewsPicks について

SNSアカウント


関連サービス


法人・団体向けサービス


その他


© Uzabase, Inc

マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか