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おおたとしまさ『「偏差値が高い子だから、自由のなかでも自律できる」は「偏差値差別」ではないか』

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  • OCA OSAKA COLLEGE OF DESIGN & IT General Manager

    1969年て何年前か知ってるのかな?この筆者(笑)
    親の世代に勝ち取った自由を、今の子供たちも「俺達の先輩たちが戦って勝ち取った自由なのだ!」って思ってるとでもおもってるのか?50年近く前のことなんて、今の子供からすれば、歴史の教科書の中の事であって、それは、縄文も平安も昭和も同じ文脈でしか感じられないんだよ。

    確かに最初は、偏差値の高い連中が勝ち取った自由であって、与えられたものではなかっただろうが、高校ってとこは3年で何もかもがキレイさっぱり入れ替わるので、最近どころか「校則改変」に立ち会った1年生が卒業した時点で、その後の学年には「与えられた自由」でしかない。

    という事も推測できない筆者が、間違った論拠によって何を語っても、それは「戯言」以外のなにものでもない(笑)


  • 久留米工業高等専門学校 専攻科生

    この考え方に共感できます.そしてこの自立できるかできないかの決めつける問題に他に,教育者の生徒の成長への配慮も存在するのだと思います.

    校則の厳しく,指導が細やかな学校は,生徒にとって考える必要性がなく,日々求められることをクリアしていれば,ある程度の域に達しているはずです.それは,落ちこぼれ(と尖った人材)を減らし,卒業時には平均として優秀であると考えられます.
    一方,そうでない学校は生徒にとって日々考えながらトライアンドエラーを繰り返すことになり,一部の人材は素晴らしい結果を挙げることが出来ても,下位層は留年を繰り返すような状態にもなりかねません.結果として卒業時には入学時と平均して変化していないように思えます.

     つまり,偏差値で自律できるかを決めつける論理に加えて,「優秀な人なら能力は青天井に伸びるけど,そうでなければどんどん落ちこぼれるよ,でも君は偏差値高いから自律的にどんどん伸びてね」か,「優秀でなくても細やかな指導をするからある程度の結果を約束しますよ,でも細やかな指導のために自律は認めないよ」という論理で考えれば,合点がいくように思えます.


  • ミュージシャンとか太陽光発電とか

    差別かどうかは知らんけど、偏差値が低い学校に不良が多くなりやすいってのはあるんすよね。偏差値が高い子はそれなりに頭がキレるから荒れることにメリットを感じないから自制できるってのはある。


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