自動運転が実現すると、モビリティ空間の価値は激変する
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移動には必ず目的があり、移動は手段でしかありません。
クリーニングだけでも3パターンあります。
①自分の自動移動:クリーニング屋に自動運転車で行く
②モノの自動移動:クリーニング屋の自動配送車が引き取り
③自動サービスの所有:自宅でクリーニングマシンを使う
どれも自動化の未来像です。
食事なら、①外食、②デリバリ、③自動調理機。
散髪なら、①床屋、②訪問散髪、③散髪マシン、ですね。
サービスを受けるのではなく、逆に仕事に行くならば、
①自動運転車で通勤
②仕事が自動配送車で自宅に届き、自動配送車で納品(内職?)
③リモートアクセスやテレビ会議でテレワーク
人の移動だけでなく、モノの移動、そもそも移動しない、
という発想が大事ですね。なんか、いつも思うのだが、技術の進歩って人の幸せにつながってるのだろうか?
この記事を読んでると、確かに便利な世の中になる気はする。
でも、移動中まで、何かしなければいけない程忙しい世の中って何なんだろう?
こういう事をすれば、時間が短縮出来る!とかの記事って多いけど、その空いた時間をせかせか過ごしてたら、結局一緒じゃないの?
時間って、そんなに有効に使わなければいけないのだろうか?
もちろん、誰もが1日24時間しかないのだから、無駄に過ごすのは良くないと思うが、なんか強迫観念のように、時間を有効に使おうとしてる最近の風潮ってどうなんだろう?
例えば、普段走らない道をドライブしていて、景色が良かったら、遠回りして、のんびりしてる方がよっぽど幸せに感じると思うのだが…
なんか、世の中全体が生き急いで、結局本来の幸せを享受してないように感じます。ポイントは移動中に何をするかと言う選択肢が増えることでしょう.
車の運転が好きでどうしても忘れられない人は,運転を体験すれば良い.ただし公道上はあくまでバーチャルの体験で実際に制御しているのは自分ではないのだけど.本物の運転をしたい人は専用場でどうぞ.外の風景を楽しみたい人は外を眺めていれば良い.運転操作に煩わされることなく妄想に浸れます.仕事をしたい人は仕事を,寝たい人は寝れば良い.