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素晴らしい内容。私も父がユダヤ人なので後から考えればこういう思想だったのだなって思うことがいっぱいです。例えば私が小1の時、私だけ周りと違う朝顔のスケッチをして他の子と違うので恥ずかしいなと言ったら、親が「人と違うことは素晴らしいことだ。周りが見る朝顔と違う見方が出来たことは良いことだ!」と褒めてくれたことを覚えています。

私自身子どもをただただ褒めちぎるのでこの間日本の友人に「ともえさんは叱らない方針なんですね」と聞かれてハッとしました。叱らないわけではなくただ興味の芽を伸ばしたいんですよね。そのための土壌を用意することには妥協しない。実際、私の娘は今すごく石や岩石が好きなので来年世界一の石のコレクションがあるヨーロッパにある博物館に行く予定です。
「教育」というのはどこでも宗教やその世界観と抜きがたく結びついています。今や世界中で「教育が重要」ということはいわれますが、各々が「教育」ということで思い浮かべる中身はかなり異なっており、それは各々の宗教や世界観が異なるからです。宗教や世界観は、本人たちが意識していようとしていまいと絶大な影響力があり、何に意味があると考えるのかを決定します。日本社会で行われている教育というのは、どれだけ欧米の教育を輸入して模倣しようとしていても、昔からあった儒教や仏教の世界観の延長上にあり、欧米の教育とは自ずと別のものになります。同様のことは中国やインド、中東についてもいえます。
 宗教や世界観というのはオペレーション・システムのようなもので、技術にしても制度にしても、様々な領域の学問にしても、よそからソフトウェアを持ってきてもOSに適合しなければ機能しません。ここに、近現代の中東やアジア・アフリカで続いた混迷の大きな原因があります。現在世界を席巻しているヨーロッパ起源のソフトは、世界のあらゆる事象の原因と結果、メカニズムを解明することで世界をコントロールできるという世界観の上に組み立てられています(デカルトの機械論的世界観といわれるもの)。中国・日本の儒教・仏教・道教を混合したOSは、欧米とは別物ですが、独自の論理で世界を理解して人間をつくりあげる(陰陽道、仙道や解脱、君子など)ことを追究してきたため、辛うじて欧米のソフトウェアを動かすことができました。
 ユダヤ教のOSは、教会と精霊の概念によって社会と人間に秩序と規律をつくりだして操作しようとするキリスト教のOSとは若干異なるのですが、互換性は非常に高いです。教育というのは世界観の目的とするところを達成できる人間になるためにソフトウェアを使いこなせるようになることなので、一神教が示した世界観の中で人間がその役割を果たすのに必要なソフトウェアー科学であれ芸術であれ―を用いて神の創った世界で啓典の示した人間の生き方をする、というのが意味のある自然な生き方になります。他の宗教、他の世界観の人間だと、その多くは何の意味があるのかわからなかったりします。
先日のNPコンフィデンシャルに出ていたイスラエル女子部の三木アリッサさんが、「ユダヤ教というのは、13歳の時に、あなたは何者か?について答えを出させるような教育をする」と教えてくれました。これってめちゃくちゃ大事だと思っているので、この連載で、今回が一番楽しみな会でした。
子育て、という意味より、自分のために。

まず、記事を読む前に、なんで「自分は何者か?」を大事だと僕が考えたか。
それは、去年参加した、経産省主催の始動、という研修がキッカケです。各人が事業化したいビジネスプランを持ち寄り、研修を通じて、自分自身が成長して、事業化を目指す、という研修なのですが、当然、最初に自分が提案したビジネスプランなんて、どうしようもなくて、「ピボット」しないとお話になりません。バスケしてたので、この、ピボットの、概念は、よく分かる。
この時に、自分の中に軸がないと、ピボットのしようがないことに、気がついたんです。バスケでいうと、ボール持ってて、ディフェンスにプレッシャーかけられて、ピボットでかわせず、トラベリングしちゃう感じですね。
その軸は、「この社会課題を解決したい、というパッション」かもしれないし、「この技術を世に出したい」という技術へのこだわりかもしれない。多分、何でもいいと思うけど、結局軸になりうるのは、「自分とは何者か?」という問いにヒモヅクはずです。
僕には、これがなかった。ただただ、今の部署がつまんないから、ほかのところに行きたい、という意味で新規事業やりたい、と言っていただけ。軸がない。だから、自分のビジネスプランがイケテナイことがわかっても、ピボットできなかった。
それが、ユダヤ教では13歳で「自分は何者か」に答えられると。やばすぎる。

でも、仮にそういう宗教が本当にあるとしたら、それって全部が人の先天的な能力の話じゃないはずだし、制度がどうこうでもなく、マインドセットの話になるはず。つまり、僕らも真似できるはず。

そして、記事を読んで、予想が当たっていることが、わかった、という、感想のような壮大な自分語りでした。

最近、「科学的な思考ってなんだろう」って考えるんですが、その時に大事だな、と思うことが散りばめられていて、そうか、これもイスラエルで理系が活躍する理由の一つか。と感じました。
子供を持つ多くの親がハッとさせられる内容だと感じました。

最近の親は子供に対する投資に抵抗が少ないので、子供に何か少しでもキラッと光るものを感じると、その道で成功を収めることを期待してサポートする傾向にあると推測します。ユダヤ人は大成するか否かを求めないとのことなので、ここが決定的に違うと感じます。親の過剰な期待は子供の多様な興味の移り変わりにブレーキをかけてしまうこともあるので、注意したいと思います。

学びは生きていることと同義という認識も新鮮に感じます。記事では勉強の定義を広く持っていて、学校で習うことだけでなく、子供の好きなことに取り組む姿勢全てを”勉強”と定義すれば、それが日常に溢れるのも当たり前で、それを全力で肯定することで、才能を伸ばせるのだと思います。一昨日の記事のミリオンズではありませんが、親としては大きなピラミッドを見がちですが、子供が興味を持ったら小さなピラミッドであろうと全力でサポートしていく考え方を忘れないようにしたいです。

『ユダヤ教でよく用いられる副読書『タルムード』は、1つの事案に対してラビAとラビBの異なる解釈が書かれ、それに対してまたラビCとラビDの意見が書かれている、というようにさまざまな意見が並べられた本だ』とありますが、これはまさにNewsPickじゃないですか。NewsPicksは現代のタルムード、子供がある程度の漢字が読めるようになったら勧めてみようかな。
親として、大人として、自戒も込めて。

人生において大切な「もの」は誰にも奪われることのない頭脳。
そして、人生において大切な「人」は自分ではなく、次世代。

彼らにいかに学びは生きることの一部であり、好きなことを追求できる力であり、それが生きることであること理解してもらえるか。

Educationとは引き出す(エデュカーレ)という言葉が語源。
彼らの力を引き出してあげないと。

やっぱり、変な大人、変人をたくさん生み出さないといけないな。
そして、理系重視な傾向があるけど、リベラルアーツの大切さも認識してほしい。

そして、私は私なりのやり方で、教育業界に貢献していきたい。
「学びは生きていることと同義であって、目的を達成するための道具ではないのです」という部分に、強烈に共感しました。

学びを決められた知識の受容と捉えると、学びの範囲はすごく小さくなります。しかし、カナダの教育学者ベライターが提唱したように、学習者は新しい知識を創り実践するナレッジビルダーにまでなれると考えると、学びの意味は一気に拡張されます。

学びとは、新しい何かを生み出すことであり、それは即ち、創造的に生きることと同義です。生きる楽しさ、やりがい、意味などは、学びを重ね前進していく中で個人に付与されていきます。
小さな学びにまとまらず、学びの持つ無限の可能性を信じられる。そんな文化を日本でも根付かせていきたいですね。
この記事は必読ですね、自分も子供の可能性をエデュカーレしていきます!中高生にぜひ読んで欲しい1000冊 https://shingakunet.com/library/
好きなことを見つけ、それにハマることができる能力を育てる。その環境を整える。これがユダヤの宗教、民族の歴史として根付いている。苦難の歴史の末に残された、磨かれた本質なのでしょう。

批判と非難を区別する、潤滑剤としてユーモアを取り入れる。これも、よく指摘される話ではあるのですが、日本人に染み付いた文化みたいなところもあり、なかなか難しい。

そして、リベラルアーツ教育の不足。文学や哲学を知ることが教養なのではなく、自ら興味を持って深く問う姿勢、学び方を身に着けることがリベラルアーツの本質だと捉え直すと、近年のアクティブラーニングなんかの文脈にも合うのでしょうか。

親として、また自分がこれからも学び続けていく上でも、本当に学びが多い特集ですね。
「北風と太陽」というイソップ寓話にも通じる記事だなと思いました。

北風と太陽が「旅人の服を脱がせた方の勝ち」という勝負をした際に、北風は服を吹き飛ばそうとして逆に旅人が服を着込んで失敗したのに対して、太陽は陽の光でじわじわ照らしたことで旅人が自分から服を脱いだ、という話です。

ユダヤ人の子育ては、北風的アプローチではなく、太陽的なアプローチで、内発的な「学びたい」という動機を引き出しているのだと思います。

それにしても、蜜の話は興味深かった。いわゆるインセンティブ設計ですね。蜜という物理的な報酬に加えて、「楽しい」とか「褒めてもらえる」といった感情的報酬も含まれているので、うまくいくのでしょう。
この記事はすごいですね。孫正義育英財団の財団生のご両親からも以下の記事内容と同じコメントがあったのを思い出しました。

『好きなことを追求できているこの子は大丈夫!』、そう信じていただけです。