IoT家電が実現する、データドリブンの未来形

2018/11/2
創業以来、パナソニック繁栄の原動力となった家電事業。高度成長期には総合家電メーカーとして世界に躍進し、社会生活の改善と向上に大きく貢献してきた。そして今、IoTをはじめとするテクノロジーが、「くらしのアップデート」に寄与する新しい価値を生み出そうとしている。今後、IoT家電を介して集積されるさまざまなデータは、どんなサービスにつながり、どのような暮らしを実現していくのか?
家電の未来を展望すべく、パナソニック アプライアンス社の木下歩氏と、ビッグデータ分析のクラウドサービスを提供するトレジャーデータ共同創業者の芳川裕誠氏に語ってもらった。

家電の進化のカギは、「データの活用」にある

── 木下さんは2年前からパナソニックの家電領域を統括するアプライアンス社で、マーケティング部門の部長を務めていらっしゃいます。パナソニックでは家電のIoT化やデジタルマーケティングに注力されていますが、現在はどのような状況ですか。
木下 デジタルマーケティングの重要性は10年以上前から語られていますし、もちろんパナソニックでも顧客情報やIoT家電から集めた膨大なデータを販促に生かすべく、基盤となる「DMP(データマネジメントプラットフォーム)」の構築を模索していました。
ただ、概念としてはわかっていても、それを体系立てて整理し、活用するところまでにはなかなか至らなかった。データは豊富にあるけれども「どう使えばいいの?」というところで立ち止まっていた状況でした。そこで、シリコンバレーで実績を上げているトレジャーデータさんにご協力を仰ぐことになったんです。
1995年、松下電器入社。ブラウン管テレビの営業に携わり、アメリカや中国での営業責任者として海外事業戦略を立案する。2008年に帰国後、当時のAVCネットワークス社でプラズマ液晶の事業戦略、テレビ事業の構造改革を経て、本社コーポレート戦略本部経営企画部へ。2016年より現職で国内BtoC家電領域の企画を統括。また、次世代家電ビジネス創出を目指すスクラムベンチャーズと合弁会社・BeeEdgeを設立し、監査役も務めている。
── 芳川さんは2011年にシリコンバレーで起業し、現在は国内外さまざまな企業のデジタルマーケティングやデータマネジメントを支援されています。
芳川 私がトレジャーデータ(現・英Arm社のデータ事業部門)を起業した当時は猫も杓子もビッグデータと言っていました。しかし、それをいかに活用するかについては、ほとんどの企業が具体策を打ち出せていなかった。
ビッグデータ解析のソフトウェア自体はオープンソースで作られているため誰でもタダで使えます。しかし、それを構築・運用し、解析ができるところまで持っていくのが大変で、膨大な時間と手間がかかる。これを、GAFAのようなプラットフォーマー以外の一般企業が自前でやるのはほぼ不可能に等しいわけです。
── そこに目をつけたのが、芳川さんの「トレジャーデータ」であると。
芳川 そうです。要は、「面倒な基盤の構築やデータ解析はうちがやるから、その解析結果をビジネスに生かすところにフォーカスしてください」というのが、僕らのコンセプトでした。
ただ、やっていくうちに課題も見えてきました。特に難儀したのは「データの分断」です。企業活動における顧客データは「広告」「マーケティング」「CRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)」の3つの領域にサイロ化されていて、効率的な運用がなされていません。
そこで、それらを統合し、より使いやすくパッケージしたプラットフォームが必要でした。いわゆる「CDP(カスタマー・データ・プラットフォーム)」です。トレジャーデータでは1年前に「Arm Treasure Data eCDP」というサービスの提供を開始し、今ではパナソニックさんをはじめ、多くの企業にご利用いただいています。
早稲田大学在学中から米レッドハットに勤務し、エンジニアとしてのキャリアをスタート。2009年三井ベンチャーズのメンバーとして渡米し、2011年にシリコンバレーでトレジャーデータを共同創業。翌年日本法人を開設。クラウドコンピューティングを使ってビッグデータの収集・保管・解析の仕組みを提供する同社のサービスは資生堂やスバルなどのグローバル企業にも利用され、現在120兆件以上の顧客データを預かる。2018年8月ソフトバンクグループ傘下の英・Armがトレジャーデータを買収。現在、Arm IoTサービスグループのバイスプレジデント兼ジェネラルマネージャーを務める。

「お困りごと」を聞く文化を、テクノロジーで再生する

── 「CDP」でデータを統合すると、具体的にはどのような分析が可能になるのでしょうか?
芳川 たとえば、車を購入し、その1カ月後にオーディオなどのオプションを追加で買ったお客さんがいたとします。その場合、顧客情報に購入履歴のデータは残りますが、なぜそうした購買行動を起こしたかまではわかりません。
でも、たとえば会員サイトへのアクセスログデータを購入履歴と紐づけて見ることができれば、その人が車を買ったあとでどんなアイテムをチェックして購入に至ったのか、その過程を仔細に分析できるわけです。
すると、車を買ったお客さんに対する「次の一手」が変わってきます。これまでは自動車本体と同じレイヤーにオプションのキャンペーン情報を載せていたけれど、「先に車を買ってからオプションを検討するお客様も多い」とわかれば、対象を購入者に絞ったキャンペーンが有効だという判断になるかもしれません。
木下 我々メーカーにとっては、商品を購入いただくお客様との「ラストワンマイル」、つまりお客様との最後の接点部分で、ヒントや気づきを得られる、そんなプラットフォームだと思います。
パナソニックでも、トレジャーデータさんのCDPを使って構築したプラットフォームが今年4月に形になりました。膨大な顧客情報を含むさまざまなデータが整理、統合されたことで、お客様一人ひとりのことを深く理解できるようになり、不特定多数に向けたマスマーケティングではなく、個々のお客様が何を求めているかを把握し、それに応じたOne to Oneマーケティングが可能になりました。
じつはそれって、アナログの時代には別の形でできていたことなんですよね。
── といいますと?
木下 パナソニックには、街の電気屋さんがお客様の家にあがらせていただき、電球交換から冷蔵庫等の家電製品の不具合をご確認させていただくなど、お困りごとを直接お聞きする御用聞きのような仕組み・文化がありました。もちろん、今もあります。
一軒一軒の家電の状態がお客様台帳に集約されていて、「あそこの家の冷蔵庫はそろそろ買い替え時だから、この商品を提案してみよう」といった営業活動もできたし、販売店から事業部へお客様の声を届けることもあった。それこそ、カスタマージャーニーに基づいたOne to Oneマーケティングですよね。
芳川 そう、そういう意味では昔からデータはあったし、アナログのマーケティングもデータドリブンで行われていたんです。
デジタル領域ではコンバージョンのデータ──つまり、何を買った、いつ来店したというような、アクションのログは取りやすい。だけど、昔の家電屋さんが収集していたのは、今の僕らの言葉でいうところの「アトリビューション(コンバージョンへ至った経路や動機などの起因)」です。
たとえば、勤務先やおよその年収、家族構成など、消費者やユーザーがどういう人なのかといった情報によってわかることがあります。その家の長男が結婚するとなったら、ご両親が家電をプレゼントするかもしれません。
かつての家電メーカーは顧客と接することによってこういうことを知っていたのでしょうし、今のAmazonやGoogleはさまざまなチャネルから得られるデータによってすべてを把握しています。でも、量販モデルになって消費者との距離が開いてしまった今のメーカーは知らなかったんです。

モノとしての家電から、コトへのタッチポイントへ

── 今の時世では、家庭に入り込んでヒアリングするのは難しい。購入履歴やウェブサイトのアクセスログだけでは、そこまでパーソナルなデータを取ることは難しいのでは?
木下 おっしゃる通りです。ただ、その代わりにテクノロジーを用いて「価値ある情報」を集めることができます。パナソニックでいえば、IoT家電ですね。デバイスと人の行動が結びつくため、データの取り方や分析の方法によって各家庭のライフスタイルや行動習慣がわかる。
そのデータをうまく活用すれば、御用聞きとは違った形でお客様の利便性を向上させるサービスに生かすことができます。それだけでなく、データとさまざまな家電を連動させることで、新しいユーザー体験を生み出すことができるはずです。
── どんなデータが、新しいユーザー体験につながるのでしょうか?
木下 イメージしやすい例を挙げると、「睡眠」があります。睡眠環境を最適にして眠りの質を上げるには、寝具だけでなく、温度や湿度、明るさ、音、香りなどの要素がかかわってきます。
そこで、睡眠中のバイタルデータを計測し、エアコンや照明器具などのIoT家電から得られるデータとかけ合わせる。さらには、その人がどんな状況で寝入ったのか、翌日は何時に起きなければならないのかといったデータや、家の外の行動ログも活用できます。
そういうデータに基づいて快適に睡眠できるアルゴリズムを開発すれば、温度や湿度を自動で調節したり、目覚めに合わせて照明を徐々に明るくしたりといった、一人ひとりに最適な寝室空間をカスタマイズすることができるでしょう。
同様に重要なテーマである「食」の分野でも、お客様の嗜好や健康状態に応じて、必要な栄養素などを取り入れた最適なレシピ提案と調理ができる電子レンジ、電化調理器などが考えられます。
2018年3月のパナソニック家電ビジョンでは、「食」と「睡眠」が重点テーマとされ、寝具メーカー西川産業と睡眠関連サービスを共同開発することが発表された。
芳川 家電をタッチポイントにしてカスタマーに寄り添うサービスが提供できるのは、パナソニックさんならではの強みですよね。おそらくこれからの家電は、売って終わりではなく、売ってからが勝負になる。サブスクリプション的なビジネスモデルが増えてくると思います。
逆にいうと、それができなければ、GoogleやAmazonが分析したユーザーの行動ログに基づいてプロダクトを作るだけの、下請けになってしまうかもしれません。
木下 その通りです。すでに我々のライバルは家電メーカーではなく、GAFAのようなIT企業になっています。それは家電に限らず、あらゆる領域にいえることかもしれません。
芳川さんがおっしゃるように、パナソニック自身がお客様に寄り添い、データサイエンスによってお客様の「くらし」をより豊かに、快適にアップデートしていく。そして、それをスピーディーに製品やサービスとして形にすることが求められています。

新しいテクノロジーは、いずれ当たり前に受け入れられる

── データドリブンなサービスが次々と生まれていくと、50年後、100年後は今では想像もつかないほど便利になっているのだと思います。一方で、あらゆる行動が可視化されてしまう世界を不気味に感じる人も出てくるのではないでしょうか?
芳川 確かに、行動の可視化があまりに過ぎると、恐ろしく感じられるかもしれません。監視されているようで気持ち悪いという声も、実際に聞こえてきます。
ただ、僕は前向きにテクノロジーの未来を信じているので、最終的にはデータがもたらすメリットによって、ちょうどいいところに落ち着いていくと思います。
たとえば僕はシリコンバレーで働いていますが、親は日本に住んでいます。そうすると、家電のようなデバイスで親の安否を確認できることが、ものすごくありがたいんです。高齢者をリモートで抱えるコンシューマーはこれから増える一方ですから、同じように感じる方も多いのではないでしょうか。
それに、ヘルスケアや医療のデータを企業に渡すのは個人的にも抵抗がありますが、パナソニックの家電と付帯サービスによってコレステロール値を下げてくれるようなサービスがあれば、ベネフィットの方が大きいと思えて使ってみるかもしれません。
これは、どんなテクノロジーにもいえることです。おそらく、冷蔵庫だって最初は気味が悪いと感じる人はいたでしょう。「なんで電気で冷やすの? うちは氷を使うわ!」って。でも、今では当たり前にみんな使っていますよね。
木下 現状ではそのデータがどう使われるのかよくわからないから怖いということもあると思います。特に、バイタルデータのようなセンシティブな個人情報は、セキュリティ面を含めてより慎重な取り扱いが求められます。そこをしっかりクリアにしたうえで、「このデータを使うと、こんなふうに便利になるんだ」という納得感を醸成していくことが重要なのでしょう。
── その先でパナソニックがつくる100年後の家電は、どんな形をしているでしょうか。
木下 もはやそれを家電とは呼んでいないでしょうね。冷やすための冷蔵庫や温めるための電子レンジといった機能ではなく、家の中から外まで一日の生活がすべてつながり、一人ひとりのくらしにジャストフィットしていく。そんな世界観が重要ですから。
それが果たしてモノなのかサービスなのかはわかりませんが、これからの取り組みによって100年後の家電の形、100年後のくらしがアップデートされている。それが我々の目指すゴールなのだと思います。
(取材・執筆:榎並紀行、編集:宇野浩志、撮影:林和也、デザイン:國弘朋佳、タイトルイラスト:小笠原徹)