政府、難民受け入れ拡大へ 倍増視野、20年運用目指す
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難民政策は政治的な問題です。人道上の問題ですが、国内の経済や社会、外交にも関わる要素とがあり、それらの要素やコストもまた無視されるべきではありません。国内においては衣食住を短期間提供すればいいという話ではなく、雇用や教育、社会への統合といった課題も出てきます。外交においては、難民を受け入れさえすれば世界中に褒められる、という話ではありません。難民は、迫害する人々がいるから難民になるのであり、難民を受け入れるというのは、迫害する側を非難し、迫害されている側に立つ、ということにもなります。ある意味、外国の情勢への介入です。手塚治虫の『アドルフに告ぐ』に出てきたような話で、1939年の時点で日本がユダヤ人難民を受け入れれば、米国は評価したでしょうが、ドイツはいい顔をしなかったでしょう。人の命を救う介入ではありますが、現在の日本人は、政府も企業も、良くも悪くも外国の情勢に介入したがりません。
内政にも外交にも関わる課題であるため、何らかの政策上の理由から、特定の地域からの難民を集中的に受け入れるということはありうるし、多くの先進国もやっていることです。日本にとっては、中東やアフリカよりも東南アジアを含む東アジアが重要であることは自明です。ミャンマーから逃れてきたロヒンギャ難民200万人ほどを日本が受け入れれば、最も高く評価するのはまずバングラデシュでしょう。バングラデシュは200万人のうち100万人を受け入れており、相当な負担になっています。20万人ほどを受け入れているマレーシアも評価するでしょう。迫害する側であるミャンマー政府は微妙ですが、要はミャンマーの政府・軍は、ロヒンギャの人々をミャンマー国内から消滅させたいので、日本が受け入れるというのであれば、構わないでしょう。
難民政策は、人道的観点から無制限に受け入れるだけでは継続できないので、外交上の検討に加え、日本社会に来てもらうことでどのような影響が予想できるのか、経済や教育なども含めて、よく研究して、検討されるべきでしょう。定住前提での難民受入は「日本人が増える」のではなく「異文化が加わる」ということです。
大多数の日本人が「外国人が日本に定住する」ことを「=日本人化する」と思い違いしていますが、現実には特定の国や文化圏の人間が増えれば、当然祖国と同じような生活を望む声が強くなり、やがては○○タウンと呼ばれるような特区が形成されていきます。
純粋に「困っている人を助けたい」という気持ちも大切ですが、10年、20年先を考えた時に、隣人として彼らの存在を容認できるかどうかもしっかりと考え、覚悟を決めて受け入れる必要があります。「難民」の存在の認識はもちろんのこと、日本社会におけるマイノリティに関する議論を喚起する意味で、このニュースは大きく取り上げられるべきだと思っています。
また、難民を雇用した企業の立場で言うと、日本は難民に限らず外国人のための生活(定住)インフラがかなり不親切。改めて実感しました。この辺りも改善されるべきですね。難民受入以前の問題として。