新着Pick
1512Picks
Pick に失敗しました

人気 Picker
必要ない仕事をしてる人たちが、いわゆる今までの仕事をせずにプライドと充実感を得られる人生の役割を与えてあげないといけない。なので、エンタメとかスポーツ系の事業に私は関わっている
インタビュー前半はお二人にしか語れないお話。刑法の知識はほとんどないのでトンチンカンかもしれないし、これが人を殺めたような人の話だったら当たり前だ、と思ってしまうのかもしれません(そして、それも危うい発想なのかもしれません)が、人権とは何なのだろうかと考えてしまいました…

本題の組織論は後編に期待、ですね。
あまり検察批判の記事ばかり出していると、そのうちUZABASEやNewsPicksにもダンボール箱を抱えた人たちが乗り込んできてしまいやしないかと、余計な心配をしてしまいます。それに足るだけの萎縮効果があります。
今年読んだ面白かった本のひとつは『江副浩正』ですが、江副氏を交えた鼎談を見てみたかったですね。

雇用慣行における歪みと感じるのが、人員削減については厳しい批判が浴びせられる一方で、新規採用を抑制したところで、大して咎められもしないこと。社会から見れば起こっていることは同じなんですけどね。
余剰人員を抱え込みすぎた組織を率いるのは、むしろ好んでハンデキャップを負うような行為。それよりも、若い組織で規模が水膨れせぬように注意を払う方が、同じ経営であれば精神衛生上もよほど良いでしょう。何か新たなものを生み出すうえでは、その方が建設的ですし、効率的な方法だと思うのです。

豊富なアセットを誇る大組織よりも、海のものとも山のものともつかぬ零細スタートアップに自分の心が惹かれるのは、この点が最も大きく作用しているのだと思います。
ここに描写されているような日本型組織をなんとか取り仕切って価値を生み出すという過程があまりにも面倒すぎる。当事者としては人生の浪費に思えてしまうのです。
逆に大組織を率いることに心意気を感じる方がいらっしゃることもよくわかりますし、好みの問題なんでしょうけどね。
やはり「皆と同じ時間、同じ場所にいること」が暗黙の仕事のルールになっていると、「そこにいるけどサボる」ことがインセンティブになりかねない側面があると思います。「そこにいること」は決して仕事ではないという通念が出来ればいいと思います。
サボリーマンをなくすために、企業が社員をもっと解雇しやすくすべきだと思う。

本当に企業と個人が対等に選び選ばれる関係を作れば、相互が選ばれるための努力をするはず。

個人が企業に一度就職しても嫌であればいつでも転職できるようにすべきなのと同様に、企業も個人を一度採用してもいつでも解雇できるようにすべき。
村木さん、とても優しくて、それでいて芯の強い憧れの方でした。→労働省にいた時
ついでに、旦那様の村木さんも優しくて気配り抜群の方でした。
村木さんが逮捕された聞いた時は、確か道でバッグ落としました。それでも、労働省の先輩、後輩たちが支えたと聞いています。堀江さんの弁護士のようにはいかず、長く拘置所に入られて辛かったと思います。
堀江さんと村木さんが、組織論を交わすのは個人的に大変興味があります。部下に対するアプローチは全く異なる2人かと思いますので。

追記
労働省には喫茶店でサボる暇はありませんでした…
組織を崩したくない親分が、部下のために仕事を作る。必要のない仕事を。それが親分の仕事だと思っている人が多い。

デジタル・トランスフォーメーションとか、RPAなどを推進しようとすると、自分の組織を壊されるのが嫌なトップが抵抗します。

部下がXXX人いると自慢することの、なんと虚しいことでしょう。生産性が低いことを自慢しているようなものなのですが。
サボリーマンを生むのは組織の問題とするのが解決策を考える方法だけれど、「日本型組織では解決しない」というスタンスがより根本的な対策を生み出すのかもしれない。
と、思わさせるインタビューでした。

それにしても、堀江さんの体験は幅広い。
天才か凡才かは議論しても結論は出ないけれど、体験の質と幅はその人を知る上で大切な要素。
(KYコメで恐縮ですが)高齢者の年金医療介護のために現役〜未来世代が苦しむ原因には歴代厚労事務次官の怠慢もあると考えます。

https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2018/html/zenbun/s1_1_6.html
検察にいじめられた2人の対談は面白い。村木さんは無罪になったけど、僕は堀江さんもたかだか執行猶予だったと思う。部下と検察がグルになって実刑にしたわけだ。
この連載について
2019年の4月30日をもって、平成という一つの時代が終わる。この30年で日本は、どのように変わったのか。 本企画では各ジャンルの有識者が「平成という時代」を自らの仕事、人生とリンクさせながら語るとともに、「平成の次の時代(ポスト平成)」についての思いを語る。