【鈴木大輔】Jリーグに復帰して感じる、“いい子”の限界

2018/10/18
ご存じの方もいるかもしれませんが、今年の夏、スペインのヒムナスティック ・デ・タラゴナから柏レイソルに移籍しました。
日本に帰国し生活していると、以前、日本に住んでいた頃には感じることのなかった違和感を多く覚えます。おそらく海外かぶれになっているのだろうと思いますが、それだけではないという気もしています。
スペインでの経験は、自分にプレーの主体性が欠けていることを感じさせてくれました。それは教育の違いによるところが大きいと思っていますが、教育の違いによって起きる主体性の欠如は、サッカーだけではなく、子育てや普段の生活にも出ていると痛感することがありました。

お客様にマニュアル対応

日本で生活していて一番感じるのがホスピタリティの高さです。どこに行っても丁寧に接してくれて、対応する人にエゴのようなものは一切なく、まさにお客“様”として接してくれます。
これは日本が世界に誇るべき素晴らしいところで、「おもてなし」という言葉があることからも文化として根付いている部分だと感じます。
しかし一方で、「ルールやマニュアルにこだわりすぎる傾向にあるな」と以前よりも感じるようになりました。それぞれがルールにとらわれていることによって、優しさに義務感があると感じたことや、細かい融通が利かないことがありました。
新幹線で移動した際に、座席の上に切符を落としたまま改札に出てしまったことがありました。駅員さんには「電車が終点に着いたのち座席にあるのを電話で確認が取れたら改札から出られますので、端の方で15分ほどお待ち下さい」と言われました。
完全に自分に非があるので指示に従うのは当たり前なのですが、暑い中で子どもを2人連れていて、泣いている子どもを抱えながら改札の端で待たせるのはかわいそうでした。ずうずうしいのは承知ですが、「改札を出たところにすぐベビールームがあるので、そこでいったんお待ち下さい」と対応してほしいなと思いました。
また子どもを連れて遊びに行った際にも、「ルールが多いな」と思うことが多くありました。遊ぶゾーンがきっちり決められていたり、シールを貼るまで子どもが遊び場に入ることを認めなかったり、「そこまでいちいち注意しなくても」というような場面を数多く見ました。確かにその分安全で、子どもを安心して遊ばせることはできると思います。
しかし、日本ではみんなと同じように行動できる子が“いい子”と呼ばれる節があるのではないでしょうか。
別に屁理屈を言いたいわけではなくて、これらは日本が安全できっちりしている国だという証拠だと思いますし、実際にスペインではそれぞれが強い個性を持っているため、もっと規律の部分できっちりしてほしいと思うことが多々ありました。
しかし日本ではルールやマニュアルがきっちりしすぎているため、状況を把握して判断し、柔軟に対応することが欠けているのも事実だと思うのです。

海外組の状況対応力

スペインでプレーする中で自分が感じていた課題が、この状況判断の部分でした。
サッカーとは、目まぐるしく状況が変化していく中で状況を把握して、判断を変えていかなくてはいけないスポーツだと思います。だとしたら日本で言う“いい子”だと、技術面や知識という形だけの選手になりがちで、状況の変化に対応しづらい選手になってしまうと思うのです。
ワールドカップでは海外組の選手たちの活躍が目立ちましたが、彼らは試合の状況を個々で判断し、ポジショニングを変えたりプレッシャーのかけ方を変えてみたりと、柔軟に対応しているように映りました。ヨーロッパでプレーする中で自然に身についたものが少なからずあるのではないでしょうか。
サッカーにおいて感じたこの違いは、これからの時代、全ての人に求められてくる能力なのではないかと感じています。
「近い将来、ロボットが人の仕事を奪う」というようなことをよく耳にしますが、そうなってくると、人に求められるのは人にしかできないことのはずで、それは状況を把握して柔軟に対応することなのではないでしょうか。ルールやマニュアルが一番重要視されるのであれば、その仕事はロボットで十分でしょう。
世界で活躍する日本のトップクラスのアスリートたちがスマホやソーシャルメディアを利用して、それぞれがこれまでの経験を通じて培った「生き方、哲学」のようなものを発信していく。それが将来、優秀なスポーツ選手を育てるにとどまらず、世界をリードする人材育成に少しでもつながると信じています。
これからの世界を変える人材が日本から多く輩出されるために、日本の教育に変化を起こしていく。サッカーだけではなく、スポーツにはその一端を担えるだけの力があると思うのです。
(写真:Etsuo Hara/Getty Images)