「日本人」になれない外国ルーツの子供たち | 日本語を笑われ、いじめられ、行き場を失い…
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この記事読んでいたたまれない気持ちに。小4息子にも読んでもらうと「先生は、こういう風にいじめられてるのを知ってるの?ちゃんと見てよ!」と怒っていた。
小1娘に、身近に外国ルーツのお友達はいるか尋ねてみると隣のクラスにいるという。日本語はあまり分からない様子だけれど同級生や上級生と遊んだりふざけたりしてるし、先生は身振りで「着替えますよ」といったことを伝えている、と。近くの学生さん(母語が共通)が遊びにきてくれたこともあるという。
小学校低学年は遊びの中で親しくなれるのかな、と思いますが、せっかく日本に来てくれたんだから、もう少し何とかできるはず。労働者を「数」だけでみないでほしい。
自分もアメリカにたった1年だけど住んだ時、親切な同僚がいっぱい助けてくれたのを思い出します。保険で手違いがあった時は大学職員相手に電話口で怒って交渉してくれた。今も忘れない。子どもたちのケアやサポートの充実は言うまでもないですが、大人が外国ルーツの子どもたちに、大人が外国ルーツの子どもたちの親に接する頻度を意識的に高めるべきです。
子どもたちが外国ルーツの子どもたちに対して違いを感じたとき、何か特別な感情を抱いたり、行動を取ったりするのは、親や大人の振る舞いが影響する部分があると思います。
日本人同士でも無関係、無関心でつながりのないひとたちと話をすることはありませんが、そこを意図的につながりを作り、積極的に関与する大人の姿は、来るべき日本の未来を創ることに他ならないからです。
外国ルーツの子どもたちと触れ合う自分の子どもを見たり、話を聞いたりすると、自分の子どもが見えている世界や触れている価値観がよくわかります。"生まれたところや皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかると言うのだろう"
ブルーハーツの青空の歌詞を思い出した。
閉ざされたコミュニティではなく、開かれたコミュニティが必要だ。可能性に目を向け、手を取り合って未来に進めるコミュニティが。
そのために、自分が何たるかを知り、相手が何たるかを知る。これが最初の一歩。そしたら仲間を信頼して歩ける。
"青い空の真下で"