【水野良樹×為末大】成功の秘訣は、「自分に期待しないこと」

2018/10/20
現在、“放牧中”の「いきものがかり」のリーダー、水野良樹氏が、先輩クリエイターたちに話を聴きに行くシリーズ。第4弾に登場するのは「侍ハードラー」として名を馳せた為末大氏だ。かたやバンドのリーダーからソングライターへ、もうひとりは陸上選手から起業家へ、とキャリアチェンジを経てきた2人。大胆な変化を恐れない2人が語る、「次の一歩」を踏み出すための秘訣とはーー。

客観視で変革期を見極める

水野 インディーズ時代に地元のライブハウスで対バンしていたアーティストのほとんどが音楽活動を辞めている一方で、勢いが衰えても過去の栄光にすがりつくアーティストもいます。ですが、アーティスト以上にキャリアチェンジが難しいのがアスリートではないでしょうか。
為末 特に陸上選手のセカンドキャリアは学校の先生かコーチになるくらいしかありません。その中では起業するようなタイプは確かにあまりいませんね。
水野 では、為末さんがコーチや学校の先生のような既存のセカンドキャリアではなく、新たな一歩を踏み出せたのはなぜだと考えていますか?
水野良樹(みずの・よしき)/「いきものがかり」のリーダー、ギター担当。1982年、静岡県生まれ。5歳から神奈川県で育つ。1999年、高校生のときに現メンバーの山下穂尊(ギター&ハーモニカ)、吉岡聖恵(ボーカル)といきものがかりを結成。明治大学中退、一橋大学卒業。2003年にインディーズデビュー。06年にエピックレコードジャパンからシングル「SAKURA」でメジャーデビューした。
為末 自分を客観視できるかどうか、じゃないでしょうか。僕は高校時代からコーチらしいコーチをつけず、ひとりで練習をしていました。この経験で主観と客観、両方の視点を持てたことが大きかったように思います。
アスリートは日々無我夢中で練習します。つまり、目の前の岩を登ることに精いっぱいで、山頂を見る余裕がありません。
だからコーチが選手の隣で目指すべきゴールを確認して、適宜、指示出ししながら軌道修正します。僕は自分自身でコーチの役割も担っていたので、自分を客観視する能力が鍛えられました。すると、さらに俯瞰して「自分は社会のために何を提供できるか」という視点も持つようになりましたね。
今までは速く走ることが自分の価値であり、自分を表現することでした。
でも、だんだん肉体が衰えていき、アスリートとしての価値が下がっていきます。このまま陸上にしがみついてもジリ貧になっていくのは目に見えていたので、違う場所で新しい価値を発揮しなければと模索しました。
水野 自分を客観視することが、新たな一歩を踏み出すことにつながった、と。
でも、みんなそれができれば幸せですけど、やはり難しいと思うんです。どうしても地位や立場にしがみつきたくなってしまう。為末さんの場合、具体的に何かきっかけがあったんでしょうか?
為末 僕の場合はやはり引退が大きかったです。
30歳を迎えた時、アスリートとしての自分の扱いが変わったのを今でも覚えています。グラウンドに入った時に、“振り返る人”が減るんです。見向きする人が減っていく。そこに気づいちゃうと、今まで両手で物を渡してくれた人が片手でポンと渡すようになるのも気になり始める。
そうやって「自分の価値が下がっているんだ」と実感することが増えた時、引退を意識しましたね。支えてくれる人ももちろんいました。だけど、そこにこだわりすぎると視野や世界がどんどん狭くなっていく。それは嫌でした。
為末大(ためすえ・だい)/1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダルを獲得。男子400メートルハードルの日本記録保持者。陸上引退後は、Sports×Technologyに関するプロジェクトを行う株式会社Deportare Partners代表を務める。主な著作に『走る哲学』、『諦める力』など。
水野 シビアですね。引退した後は、現役時代の活躍が恋しくなりませんでしたか?
為末 引退直後はやっぱり過去がまぶしくて傷がうずくような感覚があり、泣いたこともありましたが、だんだん気にならなくなりました。それは新しい環境で一生懸命動き回って、活躍できるようになったからだと思います。
現状に満足できれば、どんなに輝かしい過去であっても「こんなこともあったな」と冷静に振り返れます。
あと、気持ちを切り替えたいなら捨て癖をつけることも大切です。引退した時、現役時代のユニフォームやら記念品やらは全部人にあげました。
僕は執着心が強いので、物を捨てて無理やり未練を断ち切ろうとしたんです。当時は陸上に背中を向けて視界に入れないように必死でしたが、3~4年経てばほとんどの感情は整理できます。

自分に期待しなければいい

水野 有名になるについて、プレッシャーも増えていきますよね。新しい目標にチャレンジする時、プレッシャーをどう乗り越えていらっしゃいますか。
為末 極論、自分に期待しないことが大切だと思っています。
プレッシャーの大きさは目標の高さに比例していて、目標が高ければ高いほど苦しくなる。日本一を目指す人より、世界一を目指す人の方が大きなプレッシャーを背負うのは当然じゃないですか。
だからといって目標を下げるのはもったいないので、意図的に自分への期待値を下げて、あまり責任を背負い込まないようにしています。
たとえばオリンピックに出場する時も、自分の全力は出すんですが「自分で自分を選んだわけじゃなく、自分を選んだのはほかの人です」と思っていると、いくらか気が楽になります。言い訳を作って、いざという時の逃げ道を作っておくんですね。
結局自分は自分でしかなくて、自分以上にはなれませんから。
為末 また、僕は自分の実績を「たまたま宝くじが当たった」程度に捉えています。
僕の実家は広島の畳屋で「普通の畳屋のせがれがこんなに成功するはずない」という意識があるんです。銅メダルを取った前と後で、僕の母親の対応もずっと変わりません。だからいくら東京で活躍して有名になっても実感がなくて、どこかバーチャル感がありますね。
「しょせん幻だ」と思うと気楽になって、思い切った行動ができたり、苦しくなった時に救われたりします。
水野 バーチャル感…。確かに僕も、初めて武道館に立った時にバーチャル感を抱きました。正直「この光景は自分のものじゃない」とすら思っていて、まるで他人の人生を生きているような感覚でした。
お客さんが笑顔でこっちを見ているし、舞台裏ではスタッフが感動して涙を流しているし、舞台の中央にはメンバーが立っていて、いきものがかりの物語が確かに動いているんだけど、僕はその中間に浮かんでいるような気がしたんです。
客観視する傾向が強い人はバーチャル感を抱きやすいものの、その分プレッシャーにも強いかもしれません。

不安は受け入れる

為末 いきものがかりは現在活動を休止していますが、一度足を止めることですべてを失う可能性もありますよね。安定的キャリアを築いてきた人にとって、キャリアチェンジは今までの土台を失う恐怖がつきものですが、こうした不安にはどう対処していますか?
水野 たとえ売れていても常にリスクからは逃れられないので、不安はあって当たり前です。だから自分にしかない強みや独自性をどこまで伸ばし、どう生かすかが重要だと思っています。
僕が客観視しがちなのは、メンバーとしてステージに立ちながらも、自分が歌って表現するわけではなく、バンドのフロントに立つボーカルと裏方にいるスタッフとの間の、真ん中くらいに自分の居所があるから。
このような立場に身を置くアーティストはあまり多くないんですね。作詞・作曲をしてバンドの重要なところを背負ってはいるけれど、ボーカルほど目立つわけじゃない。
でもステージに立てばボーカルと同じスポットライトを浴びて、観客10万人の熱量を体感できている。「どっちつかずの中間にいる珍しい存在だからこそ、その独自性をどこかで生かせるんじゃないか」と常に考えています。
為末さんは、年齢を重ねるにつれて“走る”という自信が崩れていく時、その葛藤をどう乗り越えたのでしょうか?
為末 今までの価値観から新しい価値観に移行しつつ、自分の価値を最大限伸ばすにはどうしたらいいか考えていました。
陸上の「速く走る人が強い」という価値観は変わりません。
それでも生き残っていくには「これからの自分は違う価値観に基づいて生きていくんだ」と腹の底から思って、今の自分を受け入れる必要があります。腹の底から思えないと「自分は言い訳をしている」「ただの逃げなんじゃないか」と思って葛藤を抱えてしまうので、自分を納得させるのが大事です。
なりたい自分になれず「何者でもない人生を生きていくかもしれない」という不安を抱えている人は、理想と現実の間にギャップがあるんですよね。これは期待値が高いからこその悩みなので、まずはありのままの自分を知り、どう伸ばせばいいか考えればいいんじゃないでしょうか。
(取材・文:萩原かおり+YOSCA、企画編集:武田鼎+FIREBUG、写真:栗原洋平、デザイン:國弘朋佳)