「自分が何者なのか」を語れる場、はすごく重要ですね。最近それを感じます。 そして、そういう場は、「大事だから作ろう」と言って作れるものでもないことも忘れてはいけないと思います。 安心で安全な場でなければ、who am I?をさらけ出せる人はなかなかいないから。だから、いきなり名刺交換の場で、何者なのかを語る人ってなかなかいないんじゃないか。笑
このパラドックスをほどくにはライフストーリーの語り直しが必要になる。記事にあるとおり、いつWHEN、どこでWHERE、何WHATが起きたのか。そのとき自分は(あなたは)どう感じたのか。それは今の自分(あなた)の生き方とどうつながっているのか。スティーブ・ジョブズがConnecting the dotsと語ったカタルシス的プロセスがこのとき起きる。そして今ここで生きる私たちの新しい物語が協働生成される瞬間がある。
最初、取材の依頼を受けた時に、個と個がどうつながるのか、という観点を問われたのですが、私は関係性/物語があるから個がある、と答えました。
つまり、我々は何らかの文化ないし物語という関係性の枠の中で、自分が何者であるのかを知るのであり、それがあるから見知らぬ他者も何者であるのかを理解することができるのです。
つながりが増えたとしても、自分が一体何者なのか(何のコミュニティのどのような価値観を反映した存在なのか)、どこからきてどこへ行こうとしているのか、という物語が曖昧にしか持ちえないならば、量は質に転換しえません。
よいつながりを持ちうるために、我々に求められるのは対話であろうと思います。対話を通じて、他者との関係性/物語を新たに作っていくこと、そうしたことに根気よく取り組むことが必要な時代になってきていると思います。それは一見遠回りに見えて、以前よりも手に入れやすくなった量的なつながりを質へと転換する近道でもあろうと思うのです。
そんなことをいろいろな観点から語っています。
よろしければご一読ください。
「自分が何者なのか」を語れる場、はすごく重要ですね。最近それを感じます。
そして、そういう場は、「大事だから作ろう」と言って作れるものでもないことも忘れてはいけないと思います。
安心で安全な場でなければ、who am I?をさらけ出せる人はなかなかいないから。だから、いきなり名刺交換の場で、何者なのかを語る人ってなかなかいないんじゃないか。笑
せっかく大学の先生にお話聞けるなら、原著論文知りたかったな。人文系の論文は検索の仕方がよく分からなくて…
そして、担当の方が燃え殻さんの担当編集ということで、アツイ。
追記
結晶性高めるために、ガンガン加熱、というあたり、さすがyamazakiさん、無機屋ですね。
再追記
中島さん、論文ありがとうございます!非常にうれしいです!
再々追記
yamazakiさん、その議論、ここでしますか?笑
有機化学の反応だと、立体的な因子と電子的な因子の2つがメインファクターです。
有機でも無機でも、超えるべき活性化エネルギーの大きさが大事なのは一緒では?
再々々追記
有機化学の反応は、基本的にはマイナスっぽい部分とプラスっぽい部分の反応ですが(電子的な因子)、その時に、それぞれの部位が、ごみごみした場所にない方が反応性が高い(立体的な因子)、という意味で書きました。
ここでいう「反応」は、分子と分子が共有結合を形成するもののことをイメージしています。
一方、Yamazakiさんが上で書かれているように、有機化合物の「結晶化」は、基本的には共有結合ではなく、分子間力などの弱い結合によって起きます。無機結晶と比べれば、ただ、並んでいるだけ、という感じ。あっためると、だいたい、結晶が融解するか結晶性がなくなるような…。もしくは燃える。(ここまで、念のために前提の確認)
だから、分子の構造もそうですが、もっと色んな要因で結晶性は左右される印象があります。無機の結晶の欠陥とかの議論と、共通する部分は大いにあると思いますけど。たぶん。小さなエネルギーにところで議論しているだけで。
材料の結晶性を強固にするには「熱」を与えてあげることが重要です。鉄鋼材料の精製には1500℃以上の温度を、セラミックスの焼結には2000℃以上の温度が必要となります。あるいは触媒のような媒介物を利用した化学反応を用いたり、ホットプレスのような外部圧力を利用することで、その必要な熱を押さえることが可能となります。
また、外部環境の変化やその変化度合いの影響も大きく受けます。例えば、高電場中や高磁場中で材料に熱を与えてあげると、結晶自体に配向性が生じるので、特定の材料特性が向上した材料に仕上がります。さらに、高温状態の材料における温度の下げ方も材料の結晶性を大きく左右するパラメータの1つであり、急に下げると硬く、ゆっくり下げるとしなやかさが出るなど、結晶の質が大きく異なります。
これらの結晶は、数ある結合種類の中で一番強い作用を示す「共有結合」や、砂糖のような有機結晶で見られる「イオン結合」によるものですが、他にも、水分子間で生じる「水素結合」や有機分子間の「ファンデルワールス力による結合」などのような弛い結合も存在します。
材料同士の相性や結合種類の適合性はあるにせよ、本来の目的やその用途を一次元的に統一することは不可能です。それぞれの結合を活かすようなアプローチを駆使しつつ、多様な場面で多元的に使っていくことが重要ではないかと思います。
材料の物性で決まる質(降伏応力)が重要ですが、大きなモノを動かそうとするには量(荷重)にも耐えうる材料が必要です。効率化や生産性の名のもとに、質だけを考慮してミクロで小さなモノしか動かせなくなるのはちっと視野が狭いんじゃないでしょうか?
(適当)
追記
書きながら材料を全然俯瞰できてないなあと思いつつ途中で放り出してpickしました。有機の反応に一番効くパラメーターはクリティカルな違いはなんでしょうか、タカオさん。
追記2
タカオさん、ありがとうございます!タイトルには合致してます笑
反応は活性化エネルギーで括るのが良さそうですね。立体的な因子とは分子構造(幾何学)的な相性という理解であっていますでしょうか?確かに分子自体やイオンの手の長さと数は重要ですね。無機材料は空孔や転位などの結晶性に影響が出ますが、有機結晶にも似たような議論はありますでしょうか?これで最後です文字s
宇田川先生、いつもいろいろな視点を有難うございます。
WHYは最も根源的な問いであり、人間を人間たらしめる探究心、好奇心の源にある魂の叫びであり、人類史という壮大な物語を生成する最大のエネルギーですらある。
だがここに強烈なパラドックス(逆説)がある。WHYは、私たちを強烈に駆動するとともに、私たちを底なしの不安や恐怖にも陥れる。その結果、多くの人の中でWHYがいつの間にか固定化する。未知の世界を探索するのでなく、過去の物語に固執し、馴染みのある感覚や知識の中に閉じ込められる。
するとWHYは「自明の世界」(自分が無意識的に選択する固定化した世界観)を自動生成するプログラムと化す。
このパラドックスをほどくにはライフストーリーの語り直しが必要になる。記事にあるとおり、いつWHEN、どこでWHERE、何WHATが起きたのか。そのとき自分は(あなたは)どう感じたのか。それは今の自分(あなた)の生き方とどうつながっているのか。スティーブ・ジョブズがConnecting the dotsと語ったカタルシス的プロセスがこのとき起きる。そして今ここで生きる私たちの新しい物語が協働生成される瞬間がある。
宇田川先生は、その瞬間を美しい語りの中で、「確かにそれは可能だ」という希望として提示する。
他者と対話すると見えてくる自分というものがある。
対話を他者を理解するものとしてとらえてしまうと、どうしても自分が正しいと自己保全したくなる。理解するのは他者ではなく、他者との接続を通じて自分を理解するものだととらえると、案外人間は他者の話が入ってくるものです。