「アート×ビジネス」の美意識に基づく、21世紀型経営
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注目のコメント
『アートにはマーケティングが介在しません。』
どのアーティストがそんな事言ったんですかね。
日本人の成金が買ってちょっと一般的に知られるようになったバスキアも、ウォーホールが売ったから売れたんですよ。
因みに、日本語の「芸術」と英語の「art」は本質的に意味が違いますから、この記事で言うところの「アート」が日本語の「芸術」という意味を指すのであればある意味正しいと思います。何故なら日本に於ける「芸術」とはマーケティングやマーチャンダイジングできないモノ(若くは、してはいけないモノ)を指す言葉と等しいからです。
120億円も対価を支払われたストリートアーティストの落書きは、「それが価値のあるものである」と超売れっ子ポップアーティストが定義したから今になってそんな値段で取引されてる。簡単に言えば、ウォーホールがバスキアをマーチャンダイジングしたんです。その行為自体がウォーホールのアートなんですけど。彼はマーチャンダイジングをアートに変換したんです。
むしろ経営とアートを連結するならそこんとこの復習が足りてないですよ。
マーケットとアートなんて30年以上も前に刈りつくされたレッドオーシャンですよ。「20世紀=経済の時代」から「21世紀=文化の時代」へ。
楠木さんの『好き嫌いと経営』における、文明(良し悪し)と文化(好き嫌い)、誘引(インセンティブ)と動因(モチベーション)、機会優先のO企業と能力優先のC企業、の対比構造を思い出しました。
世界は二分されているわけではなく、対立概念が絡み合いあい、揺らぎながらそれらが融合して進化していくし、ほとんどの歴史もスパイラル上に発展してきたと思っています(たとえば建築の様式美ははてしない合理⇄感性のスパイラル)。
山口周さんのいう「アート・直観」×「クラフト・経験」×「サイエンス・分析」ではないですが、経済と文化、ビジネスとアートも対立構造というより今後はもっと融合していくのでしょうね。
美意識を磨くために、人に言われる「良し悪し」ではなく、自分の「好き嫌い」を意識的に並べてみることから始めていきたいな、とあらためて思いますビジネスという比較的リニアな領域において、アートという抽象性の高い言葉が最近バズワード的に消費されているのが気になります。
本文にある通り、アートというのは自らの美意識を追及するような側面があって、裏を返すとどんなに技巧を磨いても世間と価値観がズレていたら鳴かず飛ばずでおしまいという結果になりかねません。作家さんたちがそれを良しとするかというと違っていて、世間とのすり合わせ作業は少なからず発生します。そもそもカメラの発明に対して写実性がプレゼンスを失ったときに印象派やキュビズムといった多様性が生まれたわけで、アートがマーケティングと無縁という考え方は的を外していると思います。認められてこそのアートだし、アートは自己の発露と世間とのすり合わせの上に歴史を刻んでいます。
そういった前提をぼかして経営とアートという耳障りの良い切り口でもてはやすのには何だか違和感を覚えます。