【正能×豊田×牧浦】人材ではなく、人物になろう

2018/9/21
大企業に入って、一生働き続けるという時代は過ぎ去った。これからは、自分が何に価値をおいて働くのか、何をしたいかが問われている。8月30日に虎ノ門ヒルズで開催された「CAMP NIGHT 2018」では、CAMPのキャプテンに、はたらクリエーティブディレクターの佐藤裕を迎えて、「はたらくを楽しむ」をテーマにトークセッションを開催。夕暮れを挟んだBefore Sunset、After Sunsetの2部構成で、新しいはたらき方のヒントを考えた。太陽が沈みかけるBefore Sunsetのテーマは、「ジブンらしさ」の追求。さまざまな立場でやりたいことを実現している正能茉優、豊田剛一郎、牧浦土雅の3氏が登壇し、学生、そしてすべての働く人々に向けて「やりたいことの見つけ方」「ジブンらしく働くヒント」を語りかける。
「ジブンらしく働く」ことの見つけ方
佐藤 今回はさまざまな立場で働く3人の先輩に集まっていただき、「ジブンらしく働く」ことの見つけ方についてお話を進めていきたいと思います。まずは簡単な自己紹介をお願いします。
正能 私は、大学時代に地方の商材をかわいくプロデュースして販売する「ハピキラFACTORY」という会社を、大学の先輩と立ち上げました。卒業後は、その会社の社長を続けたまま、広告代理店に就職して。その後2016年にソニーに転職して、今はソニーモバイルで「スマートプロダクト」という商品群に携わっています。
(株)ハピキラFACTORY 代表取締役・ソニーモバイルコミュニケーションズ(株)スマートプロダクト担当・慶應義塾大学大学院特任助教。1991年生まれ。慶應義塾大学在学中の2012年、地方の商材をかわいくプロデュースし発信する(株)ハピキラFACTORYを創業。大学卒業後は広告代理店に就職。現在は、ソニーモバイルでスマートプロダクトに携わりながら、ハピキラの経営も行う「パラレルキャリア女子」。2016年度には、経済産業省「兼業・副業を通じた創業・新事業創出に関する研究会」の委員にも。
豊田 僕は大学卒業後、脳神経外科医として日本やアメリカの病院で勤務していました。臨床現場で働く中で、そのうち医療や社会の将来や仕組みに課題を感じるようになって、医療を現場の外から変えるような仕事に就きたいと考えるようになったんです。それでマッキンゼー・アンド・カンパニーでコンサルタントとして働いた後、今はメドレーという医療ITベンチャーに共同代表としてジョインし、医療課題を解決するためのサービスを広めています。
(株)メドレー 代表取締役医師。1984年生まれ。2009年東京大学医学部卒業。脳神経外科医として勤務後、渡米しミシガン小児病院で脳研究を行う。その後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、ヘルスケア業界の戦略コンサルティングなどに従事。2015年2月、株式会社メドレーの共同代表に就任。著書に「ぼくらの未来をつくる仕事」。
 医療はまだまだインターネットサービスの概念が遅れている分野。そこにインターネットの力をもっと活用していくことで、日本の未来のためになる仕組みをつくっていきたいと思っています。
牧浦 私は13歳でイギリスに渡りました。現地の大学を中退し、2012年に東アフリカのルワンダへ。農作物を余っているところから不足しているところへ輸送するという仕事を1年くらいやっていました。
Needs-One Co., Ltd. 共同創業者。1993年東京生まれ。英国ブリストル大学中退。2014年から東アフリカで国際協力機関と農民とをつなぐプロジェクトを牽引。TED「世界の12人の若者」に選出。現在は世界中で数百万人の熱心なユーザーを有するIT教育サービス“Quipper”の世界展開にも従事。
 その後、タンザニア、タイ、インドネシア、フィリピンと1年ずつ違う国に住んで、オンライン教育やヘルスケアなどの事業を手がけてきました。
 現在は、ネクストスペースという事業を立ち上げ、この10月からは西アフリカのガーナに移住する予定です。
 人工衛星の画像やデータを解析して、農作物の収穫量や生育状況を把握。そのデータをバイヤーに提供して、効率的な食料流通の仕組みをつくっていきます。
佐藤 モデレーターをさせていただく佐藤です。はたらクリエーティブディレクターとして、さまざまなキャリア支援を行っています。今回のイベント、キャリア教育支援プロジェクト「CAMP」では、キャプテンを務めさせていただいています。
キャリア教育支援プロジェクト「CAMP」キャプテン・はたらクリエイティブディレクター。これまで3万人以上の学生と接点を持ち、2017年には、年間216本の講演・講義を実施。アジア各国での外国人学生の日本就職支援なども行う。文部科学省留学支援プログラムCAMPUS Asia Programの外部評価委員。パーソルホールディングス株式会社グループ新卒採用統括責任者、パーソルキャリア株式会社新卒採用責任者。
自分は自分。職種はあとからついてくる
佐藤 早速ですが、職種にとらわれず自分らしく働くための秘訣を伺っていこうと思います。まずは、正能さんが大学時代にハピキラを設立した経緯について教えてください。
正能 きっかけは、大学1年生の時に、長野県小布施町の「まちづくりインターン」に参加したことでした。私は小学校から進学校に通っていたこともあり、小布施に出会うまでは、いい大学に入っていい会社に就職して、いい車に乗って、いいごはんを食べて、いいおうちに住んで…という「物質的に豊かな暮らし」が、幸せであり、人生で目指すところだと思っていたんです。
 でも、初めて行った小布施という町は、人口たった1万人の長野で一番面積の小さい町で、おしゃれなお店もなかったし、歩いて行ける距離にコンビニもなかった。でも、小布施で暮らす人たちは、小布施に住んでいることを誇りに思っていて、すごく幸せそうに暮らしているんですね。
 その様子が私には衝撃的で、「幸せってなんだろう?」「豊かさってなんだろう?」って、小布施や地方という場に興味を持つようになったんです。そこから地方で「小布施若者会議」というイベントをやったり、地方の特産品を女の子たちが「かわいい!」と思うようなパッケージにして売ったり、と地方での活動を始めました。
で、そうこうしているうちに、会社をつくることに(笑)。
「かわいいパッケージをつくりたい」という気持ちと、「きょう、おいしいものを食べたい」という気持ちは、私の中では同じ「やりたいこと」っていう感覚なんです。だからあまり「起業するぞ!」という感覚はなくて。単純に「やりたいこと」に向き合ったら、私の場合は、起業することになったという感じです。
豊田 僕の場合、脳外科医の仕事はものすごく忙しかったけれど、充実していて楽しかったんです。
 ただ、マクロ的に見ると、医療従事者が激務のなか働き続けたり多くの医師が当直をし続けたり、医療費の抑制が叫ばれるなかで効率化の動きがなかなか進まなかったりと、こういう現状の仕組みは続かないだろうという危機感がすごくあった。じゃあ、自分に何ができるんだろうと考えるようになりました。
 脳外科医としての僕が1人減るよりも、日本の医療を外から変えるような動きをする医者が1人増えるほうが、これからの未来にとって価値があるのではないか、と。
 そんなときに、当時の脳外科の上司から、「だったらマッキンゼーで働いてみたらいいんじゃないか」と言われて。コンサルなんて全然知らないのに、面接に行ったらすごく楽しかったこともあって、まず外から医療を見てみようと、転職することにしたんです。
 マッキンゼー時代もすごく充実していたんですが、やっぱりコンサルという仕事は裏方で、誰かの依頼を受けて、その課題を解決する仕事なんですね。自分はプレーヤーとして、世の中を変えたいという気持ちがどんどん強くなっていった。そんなときに今のメドレーの共同代表、実は小学校の塾の友達なんですが(笑)、彼から共同代表にならないかと誘いを受けてと起業しようという話になって、今に至るというわけです。
 結局、僕の場合は、医療をいいものにしたいという強い思いがいつも根底にある。その実現のために、そのときどきでベストな選択をしてきたら、人から見て変わったキャリアになってしまいました(笑)。
 自分としては、キャリアを変えてきたという意識は、全然ないんですよ。職種という言葉自体、あんまりしっくりこない。自分は自分。職種はあとからついてくるものだと感じています。
虎ノ門ヒルズ・オーバル広場の芝生で、都会の中の自然を感じながら和やかな雰囲気のトークセッションに
牧浦 私の場合、藤原和博さんの影響がすごく大きかったですね。藤原さんは、僕が通っていた中学校の校長先生だったころからの恩師です。
 最初にルワンダに行くことになったのも、藤原さんに「お前、とりあえずアフリカのルワンダに行け」と言われたのがきっかけです。
 ルワンダってアフリカでも比較的小さな国なんです。そこに当時、17歳くらいの日本人の若者が出かけて、何か面白い活動をすればメディアで話題になるはずだ、と。それをレバレッジにして、ほかの仕事に広げていけ、というのが藤原先生のアドバイスでした。
 そのアドバイスどおり、ルワンダに出かけて、最初は教育系のNPO活動をやっていたんですが、地方の農村では食料が余っていることに気がついたんです。なぜかというと、道路や市場が遠いから。インフラの問題で、農作物の流通がうまくいってないんですね。
 一方、都市部では難民が押し寄せて食料が不足している。このふたつをつなげて、必要なところに届けたらいいんじゃないか、と。トラックで食料の輸送を始めたんです。それが2012年から2013年のことです。
 ところが、去年、アフリカのルワンダやタンザニアを訪れたら、5年も経っているのに、驚くほど状況が変わってなかった。それで、冒頭にお話ししたような人工衛星を使って、今は国連と共同開発で食料を効率的に流通させる仕組みを考えています。
可能性ボタンを連打して、自分らしさをつかむ
佐藤 聞けば聞くほど、個性の塊のような3人ですね。そんなみなさんから「自分らしさ」をどうやって見つければいいのか、ぜひアドバイスをいただきたいと思います。
牧浦 とにかく目の前に流れてきたチャンスをどんどん自分のものにしていくというのが大事ですね。そこから別の機会に芋づる式につながったりするもの。だから、私はとにかくイエスマンに徹して、なんでも断らずにやるというのを心がけています。
正能 そういうチャンスが流れてこないと悩んでいる学生さんも、この中はいそうですよね。
牧浦 いやいや、流れてきているんですよ。それを桃太郎の桃だと思っていないだけで。このご時世、川に桃を流している人は絶対にいる。
 インターンでもバイトでも、チャンスをつかむ場所はいくらでもあるじゃないですか。やりたいことがないと思っている人こそ、どんどんつかみ取りにいくべきですね。
佐藤 桃というのは、刺激や興味、楽しいというようなことだと思いますが、そういうことを見つめるために、どこから手をつけたらいいんでしょう。
牧浦 直感ですかね。
正能 私は「可能性ボタン」と表現しているんですが、何かチャンスが来たらとりあえず押すようにしています。全部連打しているうちに、押したほうがいいボタンと押さないほうがいいボタンの見分けがつくようになってくるんです。
 だから、流れてきた桃は、とりあえず全部割ってみる。割ってみたら、腐っていたり、おいしくなかったり、実はリンゴだったりとか、いろんなパターンがあるはずです。
 なんでも最初は手探りだけど、やっているうちにどれが自分にとって本当のチャンスなのかわかるようになりますよ。
失敗するのは怖いことか?
牧浦 よくアドバイスを求められて、「とりあえずたくさん失敗することが大事だよ」って言うと、「いやいや失敗することが怖いんですよ」と返ってくる(苦笑)。
正能 私は失敗が怖いから連打している。そのうち成功に着地するから(笑)。まだ次のボタンを押せるうちは、失敗じゃない。
豊田 僕は「挑戦癖」をつけることが大事かな、と思いますね。いきなり大きなことしようと思っても無理。少しずつチャレンジする癖を自分のものにしていくしかない。日々の生活でも、仕事でも、そうやって自分に癖づけしているうちに、チャレンジに対する直感や嗅覚みたいなものがついてくる。
これからの自分の未来をどうつくっていけばいいのか。3人の話に真剣に耳を傾ける学生たち。
 もうひとつは、とにかく徹底的に一生懸命やってみるということ。医者をやっていた頃は、病院に年間350日以上詰めているような生活で、充実感もあるけれど、やっぱりつらいわけですよ。
 でも、自分は3年半の医者時代をとことん頑張ったという経験が、自信やプライドに確実になっている。それが、今の仕事に対して、情熱を持って向かう原動力になっていると感じます。
 一生懸命やっているうちに、いつの間にかそれが自分らしさに変わっていくんだと思います。
やりたいことは全部やってみる
佐藤 なるほど。次に、みなさんが生きていく上で、そして働く上でこだわっている価値観について聞いてみたいと思います。
正能 「ビュッフェキャリア」って呼んでいるんですが、好きなことを好きなバランスで好きなだけやっていくことを大事にしています。
 私、自分の会社を持ったまま、就職したんです。いわゆるパラレルキャリアなんですが、やっぱり周囲の人たちから、どうしてひとつのことに集中して専念しないんだ、って言われたりする。でも、みんな、ラーメンライスとか食べますよね。それだって、両方選んでいるじゃん、と。
 そう考えたときに、自分の心地よい状態って、ホテルのビュッフェみたいに好きなものを好きなバランスで好きなだけ食べることだな、と思ったんです。
 好きなものがカレーならカレーだけでもいいし、いろいろ食べたかったらいろんなものを食べたっていい。それは仕事でも同じで、食べたいもの、つまり自分のやってみたいことを我慢する必要なんかなくて、とりあえずいろいろやってみればいい。食べてみて、おいしくなければ、やめればいいから。
 自分はひとつのものだけ食べ続けたいなら、ずっと会社員でもすてきだし、ずっとお医者さんでもかっこいいわけです。
豊田 僕は正能さんとは反対で、好き嫌いはあんまり考えずにやるべきことをとにかくやる、というのを大事にしています。自分の主観をあえて外すことにこだわっている、とでもいいますか。
 もちろん、好き嫌いはありますが、そこにこだわると自分で勝手にハードルを決めちゃうことにもなる。どうせやるなら一生懸命やったほうが結果につながるし、嫌だと思って避けて通ることで、自分の可能性を自分で摘んでしまうことにもなりがちです。
 年齢やキャリアを重ねると、自分のアイデンティティが確立してきます。それだけに余計、好き嫌い、得意・苦手という感情で考えないように意識しています。
牧浦 私がアフリカにこだわっているのは、シンプルにデカイからです。この先人口もどんどん増えて、改革の余地がまだまだある。しかも、水や電気、道路などのインフラが全然整備されていない。だからこそ、この先デカいことができる、というのがアフリカの魅力です。
 常に大きく挑戦していくことを考えていて、ひとつの目標があったら必ずプラス2ぐらい大きく動くことにしています。それくらいしないと、目標なんて達成できない。
 あとは、海外にどんどん行ってほしい。近場の韓国とかでもいいんです。全く違う文化と触れ合うことが、価値観を大きく変えてくれる。凝り固まった考え方を改めるには、環境を変えちゃうほうが断然早いです。
自分の名前で勝負できる人間になる
佐藤 どの意見も、非常に刺激的ですね。最後の質問です。今、学生で仕事は楽しいものだと思っている人は15%以下。80%くらいが働くなんて楽しいはずがないと思っている。
 そういう学生に向けて、働くことって楽しいし、楽しんで働くためにどうしたらいいのかというアドバイスをお願いします。そもそもみなさんには、“働いている”という感覚がないように感じられて、そこにヒントがあるような気がしますが。
正能 私からは「人材じゃなくて、人物になろう」ですね。働くって聞くと、エンジニアとかお医者さんとか、どうしてもスキルや職種にとらわれがちになる。だけど、働くってそういうことじゃなくて、生き方そのものなんだと私は思います。
 自分がやりたいことをいろいろやってみて、その一つに働くということもあって、その結果が自分という人間に蓄積して、みんなその人として生きていくんです。
 私も、「何が本業ですか?」とよく聞かれるんですが、ハピキラもソニーも慶應も、やっていることすべてがくっついて、「正能茉優」という人物なんです。だから、本業とかじゃなくて、正能茉優なの。豊田さんもいろんな職種を経験しているけど、豊田さんは豊田さん。
豊田 僕は2つあります。ひとつはやりたいこと、やるべきこと、自分しかやれないことという3つの円を考えて、なるべくその3つが重なるところを意識するということです。
 年齢や興味で円の大きさは変わりますが、この重なっているところで働くのがベストというのは変わらない。それができると、働くことが生きることと同義語になるくらい楽しいことになります。特に、自分にやれることは早めに見つける努力をしたほうがいい。それが見つかるだけで、自分の可能性が広がっていくと思います。
 もうひとつは正能さんと同じで、「自分の名前で勝負する」こと。これからは、その人じゃないとダメだという人が信頼される時代になっていく。まずは、そういう人物になって勝負することを目指してほしいですね。
牧浦 私からのアドバイスは「笑おう」です。ほとんど海外にいて、たまに日本に帰ってくると、みんなうつむいてスマホを触ってる。そうじゃなくて、笑って生きるのが、人生を、働くことを楽しむということ。
 笑いを意識するだけで気分が上がるし、自分にとっての幸せ、やりたいことが見つかると思っています。だから、私も常に笑うことを意識しています。ぜひ、みなさんにもそうしてほしいですね。
当日、集まった135人の学生たちと一緒に。自分らしくはたらくヒントがつまったセッションとなった。
佐藤 ありがとうございます。今日のみなさんは、自分というものがちゃんと言語化されていて、それが強い魅力となっている。その魅力に多くの人が引っ張られているのだと感じました。
 自分が人に引っ張られるのではなくて、引っ張るような存在になるには、人材ではなく人物というのは、非常に説得力があるお話でした。学生のみなさんには、3人のお話を自分なりにもう一度受け止めて、考えてもらえたらと思います。
(編集:久川桃子 構成:工藤千秋 撮影:稲垣純也 デザイン:國弘朋佳)
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