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「街」を歩き、声を聴く――『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)刊行記念対談

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  • 藤井誠二「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」を読了。
    親しい女子が「沖縄って、海が青くて明るいみたいなイメージあるけど、行ってみると何だか暗いんだよね。九州は明るいのに、沖縄は暗い。戦争の記憶があるからとか、そういうこととも違うみたいな暗い感じ」と言っていて、まだ沖縄に行ったことのない自分はその意味を掴みかねていたのだけど、本書を読んで、その意味がどこから来るのかを改めて知りたいと思った。
    本書が描き出すような、戦後史が水面下に沈めてきた一種の「凄惨さ」が、名状しがたい影となって彼女の感じた沖縄の暗さを醸し出していたのかもしれない。
    終章「作家・沖山真知子の記憶」にて、特飲街に生きた女性の声を記録した自費出版作家の言葉が以下のように引かれている。
    「なぜ私がコザで売春していたお姉さんたちのことを記録しようと思ったかというと、彼女たちがあまりにもすさまじい生き方をしていたからです。『ひめゆり』は、従軍看護婦として大勢の少女が犠牲になったことで知られていますが、戦後、それとは時代も状況も違うけれど、戦争で親を亡くした年端もいかない少女たちが、どう生きたかを見つめたかった。彼女たちは体を売るより以外なかったんです。体を張って、身を削って生きているのを私は見てきましたから」
    このような言葉に至る沖縄の戦後史が本書には多角的に収められている。米兵による婦女暴行事例のあまりの壮絶さには活字を前に目を覆いたくさえなる。その状況下、売春街の設立により米兵の性を発散させ一般家庭の婦女子を護るのだという所謂「性の防波堤」論が沖縄の売春街史上多く登場した歴史的単語であることが本書から分かるのだが、作家の佐木隆三による以下の言葉が印象的だ。
    「私は『性の防波堤』という言葉自体を認めたくない。何かを守るために何かを犠牲にしていいという発想自体がダメだと思いますよ。(中略)生存する権利として自分の性器を売る行為を、いったい誰が非難できるのでしょうか」
    この言葉の重みは、沖縄が戦後<ヤマトのかわりに>何を負ってきたのか、という問いの重さに直結しているのだろう、と本書に記された数々の歴史や証言からその一端を知ることができる。

    テーマ的に受け付けない人もいるだろうが、そうでなければ全国民の必読書としても良いのではないか、とすら思う一冊である。沖縄には必ず行かねばならないなと感じた。


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