学力テストの結果を校長や教員のボーナス、学校予算に反映する危険
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注目のコメント
Education(引き出す事)を「教育」と翻訳した森有礼の罪も大きいと思いますね。Educationは学ぶ人が主体。一方、教育は教える側が主体。
福沢諭吉はこの翻訳に「天が与えた才能を引き出す意味の翻訳にそりゃねーだろ」と憤慨していました。
学校の大きな役目のひとつは「学ぶことは楽しい」と感じることだと思います。
テストで順位付けする「教育」を子どもや教員に強要する事で、それが実現できるとはとても思えません。
しかも、中学生の貧困と学力の相関が学術的に判明している一方で、大阪市は生活保護世帯の割合が非常に高いですよね。
大阪市が実施すべき政策は、実は貧困の解消なのであって、教員に無茶な目標を持たせてマネージメントする事ではないのではないでしょうか。
※尚、マネージメントの語源も、家畜を上手にコンロトールする事から転じて奴隷を意のままに操作する技術の事を指すようになったものです。小中学校での学びの環境とは相性が悪いと思います。
吉村市長が貧困と学力の関係に無関心なら問題だし、もし関係を知っていてこのような政策を進めるなら悪質だと指摘させていただきます。子供は、勉強が楽しくなると、どんどん自ら勉強します。
勉強して結果を残すことで、特別な勉強カリキュラムに触れることが出来るような、優秀な生徒を「差別」して「選別」するようなシステムが求められます。
それには、日本の公立小中学校での横並び教育は不向きです。
学校の先生も、より学習意欲が高い生徒に対して教育を行いたいはずです。
金銭的な報酬よりも、実績のある先生は、選抜した生徒を教えることが出来る、選抜された生徒のみ通うことが出来る、学校と連携した塾などを創設してはどうかなと思います。大阪市の吉村洋文市長は、「全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果が政令指定都市で最下位という結果を受け、教員のボーナスや学校予算に反映させる制度の導入を目指す」という方針をメディアに語りました。9月にも総合教育会議で、議論が始まろうとしています。
この方針に対して警鐘を鳴らす鈴木大裕さん(NPO法人SOMA・副代表理事)、苫野一徳さん(教育哲学者)、武田信子さん(武蔵大学・教授)の3名の方にお話を伺いました。
民主的な学び・教育=デモクラティックエデュケーションを日本中に広げることをミッションとして、教育関係者向けの研修の企画運営、現場の課題解決のための伴走サポート、教材やツールの開発・提案、キャンペーンづくりなどに取り組んでいる武田緑さんの記事となります。