幸福な人は仕事の生産性が平均で37%高い
日立製作所 | NewsPicks Brand Design
2018/9/25
人の行動のデータと行動経済学は、何を導くのか。10月に開催されるHitachi Social Innovation Forum 2018 TOKYOでの来日講演を前に、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授と、ウェアラブルセンサで人の行動を定量的に測定、分析する日立製作所の矢野和男フェローが語り合った。(全2回)
元半導体研究者の「生活データ」12年分からわかること
矢野 私は日立製作所に34年間勤務してきました。最初の20年間は半導体の研究に携わっていたのですが、15年前に半導体部門が閉鎖されたため、これまでの専門を捨てて全く新しい分野を開発することになりました。
さて、何をするかと考えたときに、コンピューターやソフトウェアもいいが、データはもっと大きなビジネスになると考えました。2004年当時は、「ビッグデータ」という言葉もありませんでしたが、ここに賭けようと思い、人間の行動を計測するようになったのです。
そこで、2006年に腕に巻きつけたり首から下げたりするウェアラブルセンサを作りました。以来12年にわたって、私の生活がコンピューターに記録され続けています。
セイラー 何を計測しているのですか。
矢野 私の身体反応、身体の動きです。
セイラー このグラフがあなたの歴史というわけですね。
矢野 そうです。毎日24時間の動きを記録し、赤がアクティブな状態、青が止まった状態を示しています。
セイラー 気の毒なことに、少しずつ年を取られている…。
矢野 その通りです(笑)。
セイラー しかし、ちゃんと睡眠も取られているのはいいことです。日中に青になっているのは、昼寝でしょうかね。
矢野 それは海外出張に出かけて、時間がずれている部分です。
セイラー なるほど。ニューヨーク出張かもしれませんね。
矢野 ここは新しい家に引っ越した日です。
セイラー 徹夜しましたね。
矢野 ダンボール箱に箱詰めしたり、働きづめでした。
セイラー 計測するデータは、ずっと同じですか。例えば、途中で心拍数を加えたりしているのですか。
矢野 心拍数は最初計測していたのですが、その後やめました。というのも、加速度センサで身体の動きを計測するだけで、非常に興味深い情報が得られることがわかったからです。
セイラー それは意外ですね。
矢野 ここに4人分のデータを1年間記録したものがあります。Bの人は、毎朝5時に起きている。Aの人は、週末には朝寝坊をしていますね。Cの人は日によって、行動パターンがころころ変化しています。
セイラー Cの人は非常に気まぐれなんでしょうね。
矢野 そうかもしれません。
そして、このCの人のデータの縞(しま)のような形は、毎日規則正しく通勤し、ランチを取り、夕方に帰宅するのを示しています。
Dの人のデータは、ここに2本の線が入っている。これは毎日2回電車を乗り換えているからなんです。
セイラー なるほど。
矢野 一つひとつは本当に取るに足らないデータなのですが、それを積み重ねていくと意味が出てくるのです。
例えば、人はそれぞれの性格、思い、生まれ育った文化の違いなどで一人ひとり異なるように見えます。しかし、実は身体運動の定量データを積み重ねると、U分布という美しい統計法則に従って同一形状になります。
また別の実験を通して、身体運動の特徴は、人の内面奥深くにあると思われていた満足感や幸福感、いわゆるハピネスと強い相関があることもわかってきました。
心理学者とも共同研究
矢野 10年前に、こういうことが徐々にわかってきたのです。それ以来、心理学者に協力してもらってこの身体運動のデータからより深い意味を抽出する研究をしています。
例えば仕事に集中している時の動きとの関係などを、クレアモント大学のミハイ・チクセントミハイ教授と共同研究しました。チクセントミハイ教授は、人が時間を忘れて何かに没頭し、それにより満足感を得る状態を「フロー体験」と名付けた心理学者です。
セイラー ここシカゴ大学で心理学科の学科長も務めた心理学者ですね。
矢野 そうです。チクセントミハイ教授との共同研究では、没頭することが多い人には特定の身体の動きが継続する傾向があることがわかり、それを論文にしています。
幸福度に影響のある要因を定量化したカリフォルニア大学リバーサイド校のソニア・リュボミアスキー教授とも共同研究を行いました。一緒に行った実験では、例えば今週起こった良いことを3つ書き出すだけで、その人の幸福感を高めたり、それが午前中の身体の動きを活発化したりすることがわかっています。
さらに、組織行動の権威であるフレッド・ルーサンス教授とも共同研究をやっています。こちらは、心理資本と呼ばれる持続的な幸福感と身体の動きのデータとの関係が見出せるのか、訓練や経験によって幸福感は生み出せるのか、といったことがテーマです。
幸福感が高い人は生産性が37%高い
矢野 この10年、まだIoTやビッグデータといった概念が一般的ではない時期から、人間の振る舞いを計測してデータ化し、心理学と結び付けて意味付けを行ってきました。
ハピネスレベルの高い人は仕事ができる、ということも大量なデータによる研究でわかっています。定量的には幸福な人は仕事の生産性が平均で37%高く、クリエイティビティは300%も高い。
社員が幸せに働くことが社員本人も会社も、両方を利するわけです。ハピネスレベルを上げることで生産性を高めるための実証実験も、数多く行っています。
セイラー 興味深い研究ですね。ところで、ウェアラブル機器をつけている本人たちには、具体的にどのようなフィードバックがあるのですか。
矢野 一例ですが、2年前、日立の営業担当者600人にバッジ型センサをつけてもらいました。そのときは、単に人の身体の動きだけでなく、職場での対面コミュニケーションも計測したのです。人工知能を利用してどういった行動や時間の使い方、対面コミュニケーションが、幸福感をもたらすのか分析しました。
セイラー ああ、それはとても面白いですね。
矢野 最初に浮き上がってきたのは、午後よりも午前中に上司とミーティングをした方がいい、といった個人レベルの小さなことでした。
こうした個人個人へのフィードバックに基づき業務を行った結果、実証実験中に組織活性度が上昇した部署は、下降した部署に比べて、受注額が平均で27%も上回りました。
セイラー 個人や組織の活性度が上がることで、社員の幸福度が向上し、更には生産性も向上するということが実証できたわけですね。
行動経済学における効用関数とは
矢野 セイラー先生は、強制するのではなく、人々を自発的に望ましい方向に誘導する手法として「ナッジ」を提唱されています。会議を午前にすることで幸福度や生産性が上がるというのも、ナッジに近い考え方ではないかと思うのです。
幸福度についてもご著書で書かれていますね。伝統的な経済学に比べると、行動経済学における効用関数に対する考え方は大分違うように感じます。
セイラー 例えば伝統的な経済学は、富の限界効用は逓減するという前提の下、高所得者が臨時収入によりわずかに富が増えたとしてもその効用は小さいとしています。一方で行動経済学では、富の状態ではなく富の変化が重要としています。
また、人間は目の前に利益があると、利益が手に入らないというリスクの回避を優先し、損失を目の前にすると、損失そのものを回避しようとする傾向があります。
矢野 テクノロジーによってこうした幸福度や満足度の変化に関する具体的なデータが取れれば、人の幸福をより詳細に分析し、それにより日常生活における人の心情変化も描写できると考えています。そこにはどんな可能性があると思いますか。
セイラー 友人であり行動経済学者であるダニエル・カーネマン氏(2002年ノーベル経済学賞受賞)はこの分野に関心を持ち、20年にわたって幸福度を計測しようとしてきました。彼なら、この研究に興味を持つはずです。
彼らは、調査対象者に様々な時間に電話をかけて、今何をしているのか、今どのくらい幸福なのか、といったような調査を行いました。その結果わかったのは、人は通勤が嫌いなこと、子どもは好きでも子育ては嫌なことなどです。まさにビッグデータ活用のはじまりです。
しかし、ビッグデータを使う際には、データを厳密に匿名化し、プライバシーが尊重されなければなりません。これは、データを持っている企業の責務です。
今、ソーシャルメディア企業が深刻な問題に直面していますが、まさに企業の将来はこの問題をどう解決できるかにかかっています。
矢野 確かにプライバシーは大きな課題のひとつですね。
セイラー いずれにせよ、行動経済学の役割は、人の心のメカニズムも考慮することによって、より満足度や幸福度の高い選択を行うことができるようにすることにあります。
テクロノジーで幸福度を定量化して高めようとする矢野さんの研究とは、より人々の幸福度の高い社会を実現しようという目的や、実証実験でデータを集めて分析し証明するというアプローチなど、共通点は多いですね。
(vol.4に続く)
(取材、翻訳:瀧口範子 写真:高山マミ デザイン:星野美緒 編集:久川桃子)
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