• 特集
  • 番組
  • トピックス
  • 学び
プレミアムを無料で体験

幸福の自己責任論

note(ノート)
533
Picks
このまま本文を読む
本文を読む

コメント


のアイコン

注目のコメント

  • 精神科医

    精神科臨床の場で思うこと感じることなどを、お読みいただいた方の少しでもお役に立てたらとNPコメントを続けています。しかしいつも似たようなコメントを繰り返しているので少し長いですがnoteにまとめ、プロフィールからリンクできるようにしてみました。もちろん幸せの形も人生の意味も人それぞれですから、noteに書いた内容はひとつの考え方に過ぎません。その辺りを念頭にお気軽にご笑覧いただけたら幸いです。

    〈追記〉
    たくさんのコメントありがとうございます。嬉しくて泣きそうです。個別にお礼を書いてたら途中で1000文字を超えたため書き直しました。自己責任という言葉には冷たく突き放すようなイメージがありますが、端からみてイージーモードにせよハードモードにせよ前に進む方もいればそうでない方もいるように感じています。結局の所、前進するにはその意思が何よりも大切だと思うのであえて自己責任という言葉をタイトルに使いました。不快にさせてしまったら申し訳ありませんでした。


  • 中東 出羽守 エネルギー関連

    Takahashiさんのコメントでいつも勉強させてもらっています。

    とにかく後味。保存用メモ。

    >人に期待せず「自分で」やること。常に「自分を」最優先すること。先入観よりも後味を、そして快楽よりも充実感を「大切にする」こと。眠い中で歯を磨くかどうかという小さなことから人生の大きな選択まで、とにかく迷ったときは後味の良さそうな方を選ぶこと。

    <追記>
    あ~、でも物凄い辛い中華で後で絶対お腹くだすって分かってても食べちゃうのはやめられない笑


  • エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所代表

    「自己責任」といってしまうと、冷たい印象になってしまうが、書かれている内容は、皆に幸せになって欲しいと願うTakahashiさんの暖かさに満ちていますね。

    「自分の幸せに責任を持つこと」をして「自己責任」と表現されているのでしょうが、「自己責任」という語感は「シリアで過激派に拘束されても危険を承知で行ってるなら自己責任」というように、「不幸はその人自身"だけ"の問題」であるように聞こえてしまうからでしょう。

    もちろん、同じ状況でも気の持ちよう(ここでは自己肯定感など)で幸福にも不幸にもなれるという意味では、幸福は本人の問題であることには間違いなく、いつも他人や環境のせいにばかりしていることに対する警鐘としては正しいのですが、自己肯定感が低い人は幼少期からの境遇も大きく影響しているので、幸福を自己(だけの)責任と言われてしまうと反感を覚えてしまう人が出てしまうことも理解できます。

    確かに現代では、自分の人生は自分で決めるという生き方が尊ばれつつあります。江川達也の「東京大学物語」で村上が最後の少し前に同じ境地にたどり着いてますね。

    しかし、自分の人生を自分で決めることって楽しくもありますがなかなか辛いことでもあります。全ての可能性が自分に委ねられているが故に、人生は常に選ばなかった選択肢の後悔に埋もれ、無限の選択肢の中で苦悩し続けなければならないからです。

    なにか重大なことは誰かに決めて欲しい。そう思う人が多いことも事実。自己決定のプレッシャーが強くなれば、その退避行動として新興宗教(最近ならサロンやコミュニティ)に走る人も出てくるでしょう。

    自己肯定感が幸福感と相関が高いとの事ですが、自己肯定感と幸福の自己責任とは必ずしも因果関係はないと思います。例えば、殆どのことを自分で決められない厳しい戒律をもつジャイナ教の信者は、高い幸福感を持っていることが知られています。

    幸福とは、主観と客観とがあり、それは必ずしも一致しません。人それぞれだから難しくもあり、だからこそ素晴らしいものでもあると思います。

    ここでの自己責任論、16世紀カルバン派の思想とも言えますが、未来は予測可能で個人を意志決定可能な自由意志と理性を持つ人格として捉える考え方かなと思いました。自分と他人とをはっきり区別することは、わかりやすい反面、それ自体が自分を苦しめる要因にもなり得ます。


アプリをダウンロード

NewsPicks について

SNSアカウント


関連サービス


法人・団体向けサービス


その他


© Uzabase, Inc

マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか