2年で黒字、3年で100店舗。最速成長ブランドの仕掛人

2018/8/24
ストライプインターナショナルが2016年に立ち上げた新ブランド「アメリカンホリック」は、アパレル業界では「赤字で当たり前」とされる2年目には黒字化を達成。昨年は700万枚を販売した。店舗の展開スピードも速く、すでに全国に100店舗を構える。
一貫してアパレル畑を歩んできたマネージャー・浅見幸宏氏、コンサルから転身したマーチャンダイザー・馬慕欣氏。ブランドの屋台骨である2人に焦点を当て、急成長の裏側と、ストライプならではの成長戦略を紐解いていく。
「15億失敗してもいい」と口説かれたブランドマネージャー
アメリカンホリックを立ち上げ、現在もブランドマネージャーを務める浅見幸宏氏は2015年にストライプインターナショナルに入社した。
「20年近く勤めたアパレル企業を退職するため、お世話になった方々にご挨拶をしていると、ストライプに転職された方からご連絡をいただきました。『今いる会社がすごくいいので、浅見さんもどうですか。専務を連れていくので一緒に会いましょう』と」
展示会などですでに面識があった専務に会うと、その場で「15億円失敗しても私が責任を取りますから、うちの会社に来てください」と口説かれた。浅見氏が前職を退社すると、再び連絡が入り、今度は石川社長と面会することになった。
石川社長からの話はシンプルだった。「浅見くん、一緒に1兆円企業作ろうや」
逆に浅見氏は、以前から温めていたブランドの構想をプレゼンした。10冊ほどの雑誌から写真を切り抜き、スケッチブックに貼って、ブランドの世界観を説明すると、石川社長は「売れるね、やろう」と即決した。そこで立ち上げることになったのが「アメリカンホリック」だ。
「入社も、ブランド立ち上げの決定も、その後、出店に至るまでも非常にスピーディーでしたね。また、ストライプは数字へのこだわりが強い一方で、僕が弱気になっているときにはちゃんと気づいて励ましてくれる人がいる。
数字と“情緒”とでも言うべきソフト面の両立が、ストライプの強さの一因でしょう」(浅見氏)
浅見氏がこれまでアパレル業界で築き上げてきた信頼と、ストライプ自体への信用の相乗効果によって、アメリカンホリックが初年度に展開したのは38店舗と出だしから順調だった。しかし、あるとき、浅見氏が信頼していたマーチャンダイザー(MD)が退職することになる。
「彼の退職に際して、石川が『後任には一番能力のある人を連れてくる』と言ったので、一体どんなおじさんが来るのかと思っていたんですよ。そうしたら若い女性だったので、正直驚きましたね(笑)」(浅見氏)
コンサルから転身したマーチャンダイザーがブランドを支える
石川氏に「一番能力のある人」と言わしめたのが馬慕欣氏だ。馬氏は、新卒から3年間、主に中小企業を対象として企業再生や戦略策定などを行う経営共創基盤でコンサルとして働いてきた。ストライプインターナショナルに転職したのは、2018年2月のことだ。
他業種からストライプに転職した際、まずは経営企画室で働くことが多い。全社の事業部門と連携する部署であるため、アパレルについての知見を深めることができ、その後もスムーズに事業部門に移ることができるのだ。
馬氏も例に漏れず、経営企画室に配属されたが、5月にはアメリカンホリックのMDに就任した。
ブランドにおけるMDの仕事は多岐にわたる。一言で言えば、「過去の競合や顧客動向、自社のリソースから、どのような商品を、いつ、いくらで、どのように売るのかを策定する」(馬氏)ということになるが、ただ数字とにらみ合いをするだけでは仕事は進まない。
製造、物流、販促に加え、売場での商品の見せ方を考えるVMD(ビジュアル・マーチャンダイザー)、そして店舗の販売員。あらゆる方面と連携を取りながら、ブランドとしての施策を実行していくプロジェクトマネージャーのような存在なのだ。
浅見氏によれば、馬氏は「コンサル」という前職のイメージをいい意味で裏切る活躍ぶりだという。
「コンサルらしい、数字を見る力や、行動力に加えて、コミュニケーション能力が抜群です。メンバーと一緒に課題を見つけ、話し合いながら解決に導く。コンサルと聞くと、自分で考えた解決策を押し付けるようなイメージがありましたが、彼女がそれを覆してくれました」(浅見氏)
一方の馬氏は浅見氏をどう見ているのか。
「浅見はまさに『職人』です。誰よりも時間をかけて競合を見ているし、布も縫製も、製品の細部に至るまで目を光らせています。価格に対するクオリティを少しでも上げようとする浅見の姿勢が、作製を請け負ってくれる企業に伝わり、結果、お客様がラブコールを送ってくれている。
アメリカンホリックの成功は、浅見の職人気質抜きには語れません」(馬氏)
コンサルは“ストライプありき”の武者修行だった
入社してまだ半年ほどの馬氏だが、ストライプインターナショナルとの出会いは、学生インターンだった7年前にまで遡る。
中国への進出をはじめていたストライプで、馬氏は中国語の通訳として働いていた。その際、石川社長から「通訳だけじゃなくて、一緒に事業をやってみよう」と声をかけられ、中国出張も5回ほど経験した。
日系アパレル企業が中国に進出しはじめたのは、20年ほど前のことだ。しかし、数字に強く、交渉力もある中国でのマネジメントは容易ではなく、多くの企業が挫折。10年後にはほとんどが撤退モードになっていた。
「中国に苦手意識を感じる日本企業の経営陣は、自分が先頭を切るのではなく、課長職を部長に格上げして進出を任せることが多いのです。それでうまくいくはずがありません。
一方で石川は、中国にも家を構えて、1人で乗り込んでいました。中国でゼロから事業を作るという意気込みを感じましたね」(馬氏)
「earth music&ecology」中国1号店の前でテープカットをする石川社長
ストライプで石川社長とともに事業を成長させたい。しかし、今の自分にはそれを実現させる力がない。そう考えた馬氏は“武者修行”を行うことにした。それが経営共創基盤への就職だった。
「経営共創基盤は、どんどん勉強して、卒業して、いろいろなところで活躍してほしいというマインドを持った会社です。3年という期間ではありましたが、さまざまな業種・業態を見て、十分な修行を積めたと感じたので、ストライプに戻ることにしました」(馬氏)
コンサルの役割は、ほとんどが分析と立案で、実行までかかわることはできない。「事業会社で売上を作る仕事がしたいと強く感じていたので、今は毎日が刺激的です」と馬氏。
企業再生に携わって、再生には“答え”があると知った。特に小売業では、店舗の撤退や人員整理で支出を削ることが第一歩。しかし、売上を伸ばすには、論理的なフレームワークだけでは不十分だ。
「浅見のようなチームリーダーが“執念”と呼べるくらいの強い思いを持ち、なおかつメンバー全員が同じ方向を向いたとき、初めて売上が立つ。これが、アメリカンホリックに移ってから実感したことです」(馬氏)
異業種人材が切り拓くアパレルの未来
とはいえ、馬氏にも戸惑いがないわけではない。
企業がコンサルを導入する場合、「こういうことを言って、社員の意識を変えてほしい」という経営層や上長の思惑があることは多い。そのため、コンサルに求められるのは“正解”であり“正論”だ。
「しかし、事業部においては、“正論”が現場に大きな負担を強いるものだったり、実現不可能であったりするケースが往々にしてあります。浅見と話し合ってブランドの目指すべき方向を決めたら、その実現のために、現場レベルにまで浸透させなければいけません。
納得を得るため、1対1のコミュニケーションや飲み会のような“寝技”も含めて、使えるものは全部使うという覚悟はしているのですが、まだまだ反省することも多いですね(苦笑)」(馬氏)
業界で長年活躍してきた“職人”ブランドマネージャーと、コンサルで経験を積んだ“敏腕”MD。このコンビは今後、アメリカンホリックをどのように発展させていくのか。馬氏は次のように語る。
「成長のための課題ははっきりしているので、まずはそれを着実に潰していくことですね。さらに、秋からは価格に対するクオリティを上げるためにSKU(ストック・キーピング・ユニット)数を減らしていきます。要は、リスクを取って品数を減らすということです」
「何が当たるかわからない」という状況では、品数を増やすことがリスク低減につながる。しかし、それでは作製コストを下げることは難しい。
企画の精度を上げ、品数を限定し、発注量を増やすことでコストを下げる。予測が外れたとしても、販促や価格の見直しなどで商品を売り切る。3年かけて蓄積してきたアメリカンホリックのブランド力、組織力があれば、その転換を乗り切れると馬氏は見ている。
一方、浅見氏は、アメリカンホリックというブランドを超えて、馬氏の可能性をさらに大きく伸ばすことを考えている。
「馬は、新時代のブランドマネージャーのパイオニアになれる実力の持ち主です。アパレルでも分業が進み、企画とMDは担当者が別というのが一般的ですが、その両方を高いレベルで身につけたハイブリッド人材が生まれれば、アパレルの世界はガラッと変わるでしょう。
石川もストライプからそんな人材を輩出したいと考えているし、全社的に、そのためにできるサポートをしていこうという意思があります」(浅見氏)
石川社長が掲げる「1兆円企業」という目標や、アパレルの垣根を超えて「デジタル」や「多角化」によって成長していこうという姿勢に共感する馬氏のような異業種人材が増えれば、ストライプインターナショナルはもっとおもしろい企業になっていく。
アパレル界の“ゲームチェンジ”の日は、すぐそこまで来ているのだ。
(執筆:唐仁原俊博 編集:大高志帆 撮影:片桐圭 デザイン:九喜洋介)