頭のいい人が「音読と書き写し」を習慣にしている理由
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頭のいい人云々関係なく、語学習得に音読筆写が良いという話は以前からありますし自身の体験からもそう思います。「同通の神様」と言われた國弘正雄さんもそのようにして学んだと著書で話してますね。ただ、他の教科はどうでしょうか。
たまにする。
無意識に呼び飛ばすことが音読するとなくなる。注意深く一言一句の係り受けを意識して理解すべき文言は音読するのがよろしい。
書き写しも目的は似ている。記憶したいフレーズは書き写す。
もちろん情報収集の99パーセントは速読。文字は読むのではなく見る。そうでないと短時間で大量の情報を脳内にインストールできない。いや、正確に言えば、速読のつもりで、必要なセンテンスを検索している。ポイントを見つけてアンダーラインを引く。付箋をつける。書き写す(手に鉛筆を持ってうつすのではない。コピー&ペースト)。集まったノートから必要なドキュメントを作る。といった手順をたどる。
音読して覚えるとか、何回も書き写して覚えるとかはしなかったし、今もしない。私は何回も目で見て、諳んじて記憶する。これは体質によるだろうから何が一番正しいなどということはないだろう。記憶のための音読や書き写しは体質的に合う人がやればよろしい。
丁寧に説明すれば以上のようなことなのではないか。何事も、「すべて」と「ある」を一緒くたにしてはいけない。
タイトルはたしかに少々あおり気味。筆者が考えたタイトルではないように思う。コンプレックスを刺激するので読者は増えるだろうが、自分が賢いと思っている人には違和感を覚えられる。違和感の正体がスノビズムっぽいのもなんともいやはや。タイトルでしか見てないけど、中高から大学・大学院、新卒での就職先と日本でも屈指に平均IQが高いコミュニティに所属して来たはずだけど、こんな事してる人に出会った事ない