近年、あらゆる生物のDNAを書き換えられる手法が開発されたおかげで、ダン・カールソンのような科学者が引っぱりだこになっている。
角の萌芽を持たない「2頭の子牛」
2014年夏から始まった9カ月のあいだ、ダン・カールソンは研究室で行った実験の成果が産声をあげるのをじりじりしながら待っていた。
バイオテクノロジー分野のスタートアップ、リコンビネティクス(Recombinetics)に所属するカールソンの研究チームは、乳牛の角が伸びないようにするために、その遺伝暗号にちょっとした修正を加えていた。
そして、その修正したDNAが、代理母牛の体内で育つ胎児の細胞で、いままさに複製されていたのだ。
そうしたことをこれまで試みた者はいなかったため、うまくいくかどうかは定かではなかった。そして、培養皿上の遺伝子のカット&ペーストが数日もあれば終わることを思うと、数カ月にわたる妊娠期間は、苦痛を感じるほど長かった。
「すべてがうまくいくよう願っていた」とカールソンは話す。「角やその萌芽がない子牛が生まれるのを期待していたが、そうなるという確信はなかった」
クローン動物実験の多くがそうであるように、実験胚のほとんどは失敗に終わった。だが、2015年4月に生まれたブリとスポティジーという2頭の子牛には、いずれ角に成長するコブがなかった。それはつまり、その2頭が米国で育てられている無数の牛たちの運命から逃れられることを意味していた。
米国では通常、子牛が誕生した直後に、その角を熱した鉄や有害なペーストで破壊するか、成長してから切り落とす。カールソンは、農場を営む父がその作業に苦労していたことを知っている。
そうした痛ましい処置をとるのは、牛が別の牛や人間の監督者を角で突くのを防ぐためだが、「動物の倫理的扱いを求める人々の会(PETA)」などの動物愛護団体は声高に反対を唱えている(PETAは遺伝子編集についても否定的で、動物実験にあたると見なしている)。
遺伝子編集技術と安全性の問題
カールソンは動物福祉の向上だけでなく、作物の改良や人間の疾患治療の目的でもDNA操作を行っている。
現在のバイオテクノロジー界では、カールソンのような科学者が引っぱりだこになっている。就職支援サイト「インディード」によれば、米国ではそうした職種の求人が過去2年に比べて64%も増加しているという。
カールソンのような科学者がそうした仕事を遂行できるのは、2つの手法のおかげだ。
どちらもここ10年以内に開発された技術で、これらのテクニックのおかげで遺伝子編集がより安価で簡単なものになった(角のない乳牛の開発に使われたテクニックは「TALEN」と呼ばれるものだ。その少しあとに開発された、より有名な手法は「CRISPR」と呼ばれる)。
カールソンは現在、動物の遺伝子編集を用いた複数のプロジェクトに携わっている。そのうちのひとつが、豚が性成熟するのを防ぎ、去勢を不要にするためのプロジェクトだ。
カールソンが最初に遺伝学に夢中になったのは、高校生のころ、父親が遺伝子組み換えトウモロコシの栽培を始めたときのことだ。「(遺伝子組み換えトウモロコシは)背が高かった。なんの問題もなく直立していられた。私の知る父の生産物のなかでも、まさに過去最高の作物だった」とカールソンは振り返る。
その後、カールソンは動物学の博士号を取得し、バイオテクノロジーと分子遺伝学に重点を置くようになった。「あの瞬間から『このテクノロジーは本物だ。ものすごく大きな効果がある』と思うようになった」
カールソンのような科学者が世界を変えるためには、その前にまず、政府や疑い深い世間に対して遺伝子編集は安全だと説得する必要があるだろう。
米国では農務省と食品医薬品局(FDA)が、この問題に関してそれぞれ違う姿勢をとっている。
農務省は以前から無干渉主義をとってきた。一方の食品医薬品局は、2017年にガイドラインを提示した。それによれば、動物の遺伝子編集は一種の薬品と見なされ、したがって遺伝子改変動物を食品として供給する企業は認可を求める必要があるとされている。
自然界の事象を変える臨界点に
スポティジーもブリも、いまはもう生きていない。スポティジーは科学者が肉を検査するために、2017年に屠畜された(肉は正常だった)。ブリは2018年6月に安楽死の処置がとられたが、それまでに6頭の角のない牛たちの父親になった。そのうち、プリンセスと名づけられた1頭はメスだ。
あと1年あまりで、プリンセスも自身の子を産み、牛乳を生産できるようになるはずだ。リコンビネティクスはその牛乳を検査し、異常の兆候がないかどうかを調べる計画だ。
カールソンはその牛乳の安全性を確信しており、自身の3人の子どもたちにも、ためらわずに飲ませると述べている。
ノースカロライナ州立大学遺伝子工学・社会センターの共同センター長を務めるジェニファー・クズマは、それよりも慎重だ。
クズマの指摘によれば、遺伝子編集手法ではときにミスが生じ、意図しないゲノム領域を挿入したり削除したりすることがあるという(カールソンのチームはそうしたいわゆる「オフ・ターゲット効果」を調べたが、ひとつも確認されなかった)。
遺伝子編集ではしばしば細胞のクローニングが必要となるが、そうしたクローニングでも異常が生じることがあるとクズマは述べる。
さらにクズマによれば、この種の技術に関する根本的な倫理について、もっと幅広い議論を交わす必要があるという。「こうした遺伝子工学テクニックの導入が容易になり、威力を増しつつあるいま、私たちは自然界の事象を変える可能性のある臨界点に立っている」とクズマは言う。
リコンビネティクスは2018年5月、カナダの精液販売業者シーメックス(Semex)との提携を発表し、この技術の商用化にまた一歩近づいた。両社は今後数年をかけ、カナダと米国の規制当局に働きかけていく計画だ。
大きな障害がなければ、あと20年のうちに牛の角を切断する必要のまったくない世界が訪れるかもしれないとカールソンは話す。
「こうした動物たちの負担を取り除けるかどうかは、政府と世間が受け入れるかどうかにかかっている」とカールソンは言う。「それについて、私にできることはあまりない。私は自分の仕事をするだけだ」
原文はこちら(英語)。
(執筆:Aki Ito記者、翻訳:梅田智世/ガリレオ、写真:©2018 Bloomberg L.P)
©2018 Bloomberg L.P
This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.