IoTによって弱体化する「野生の思考」
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注目のコメント
何が言いたいのかわからない。
便利になって考えることが減ったことはたくさんあるけれど、それは必ずしもIoTに限ったことではないし。
だからこそ、山に登ったりスポーツしたり、「不便益」などというコンセプトが流行ったりするわけで。
「野生の思考」が失われたとして、それで何か他に具体的悪いことがあると言っているわけでもない。あくまでなんとなく、だ。
もっとも、そうだとしても"適度"に「野生の思考」を取り戻せるようにIoTでマネジメントすれば済む話だ。
世の中もっとサバイバルである方がいいなら、法治をやめれば良いわけで、そんな世の中を目指せとでもいうのだろうか。もしかしたらそうなのかも知れないが、それを公共哲学と呼ぶのなら、本来もっと深い考察が必要だろう。
今は個々人がバランスを取っているはずのものを、それでは不十分だからと自分以外のシステム(政府やサービス)が介入した意思決定をどの程度すべきか、それを感じさせなければ良いのか、つまり社会厚生のKPIとは何か(最大多数の最大幸福なのか、不幸の最小化なのか、社会秩序の維持なのか、公正公平さなのか、など)という問題ではないだろうか。野生の思考と野生は似て非なるもの。無人島て裸で暮らしたからといって野生の思考が芽生える訳ではないでしょう。IoTで野生の思考が弱体化しているのではなく、野生の思考が弱い人向きのサービスが多く登場しているだけ。便利にするのは簡単だから。これからは、IoTで野生の思考が強化されるようなサービスが登場してきて、昔とは違った野生が目覚める事になると思います。
このシリーズ、相変わらず好きだなぁ。メルロ=ポンティの身体論に続き、今度はレヴィ=ストロースの「野生の思考」。
その場しのぎでうまく物事をやってのける=なんとかするブリコラージュ(起用仕事)的な発想って、たしかにどうやったら育てられるんでしょうかね。たくさん経験することでしか身につかない暗黙知のような気もします。
さらにテクノロジーが進化して、一定割合の(クリティカルではない)エラーがわざと起きるようにプログラムをくんで、たまに「野生の思考」を鍛えさせるような形にしてしまうとか?
ビルゲイツも一年のうちの一定期間、インターネットにまったく触れずに「ディープワーク」することを習慣にしているそうですが、野生を取り戻す仕組みを持つ必要があるのかもしれませんね