【新】新生マイクロソフトを牽引する平野拓也の素顔

2018/10/13
【平野拓也】マイクロソフトの全盛期は終わったのか?
「日本人なの? 本社から送り込まれた外国人なの?」
私が日本マイクロソフトの社長に就任したとき、多くの方がそう戸惑われたのではないでしょうか。「社長 平野拓也」という文字とビジュアルが一致しないぞ、と。
【平野拓也】両親の教え「自分を信じなさい」「何者かになれ」
母の教育方針は、いわゆるアメリカンスタイルでした。何か相談すると、返ってくるのは決まって「I believe you can do anything」。「自分を信じてベストを尽くせば何でもできる」って。ありがたい言葉だけれど、まったく相談の答えになっていません。
生粋の日本男児である父も「母ナイズド」されたのか、いつしか「自分を信じれば何でもできる」と言うようになっていきました。
そんな父の教えで印象的なキーワードが、「Be something」。何者かになれ、普通になるな。
【平野拓也】「ハーフ」という下駄を脱ぐために米国留学を決意
小さなころからずっと「いつかは日本を出たい」とぼんやり思っていました。
世界は「ここ」だけじゃないのに日本で収まるのはもったいない。
【平野拓也】仕事で結果を出すためには何が必要か?
私がマイクロソフトに転職したとき、複数の会社からオファーをいただいていました。その中で、自分のコアとなる価値観に最も沿っているのがマイクロソフトだったのです。
オファーの条件だけで言えば、マイクロソフトから提示されたのは最も悪いものでした。
【平野拓也】優秀な人はいくらでもいる。経験こそ宝だ
2年間の宣教師期間を終えると、いよいよ渡米。ユタ州にあるブリガムヤング大学に進学します。
「経験こそ宝だ」と直感的に思っていました。テストで優秀な成績を収めてAの評価を得ることより、さまざまな「経験」をすることを選ぼう。
【平野拓也】アメリカでは「普通」の自分、どこで差別化する?
日本にいるときは「どれくらい世界で通用するのか見定めたい」と考えていた私ですが、実際にアメリカで暮らすと自分がいかに「普通」であるかを実感しました。
見た目はもちろん中身も、です。ですから、どこで他人と差別化するかはよく考えました。
【平野拓也】3年同じ会社にいれば無能、5年いれば化石
日本の商社である兼松(Kanematsu US)に入社を決めます。
実は当時、兼松という社名も聞いたことがなくて、「かまぼこの会社かな?」くらいの気持ちで面接に臨みました。
【平野拓也】1年で半数以上が辞めたボロボロな会社を立て直す
シリコンバレーのスタートアップで働くのは想像以上におもしろかった。
会社から与えられた指示が「日本を中心としたアジア事業を軌道に乗せろ」だけだったのも、細かく指示が与えられる日系企業から来た身としてはエキサイティングでした。
【平野拓也】30歳社長を襲った2つの試練、MBAの何十倍もの学び
初の「社長業」は、波乱の幕開けでした。
就任して1週間目、マネジャー時代は仲の良かった営業部長が「君が社長として成功するのは難しいと思う」と言って会社を辞めてしまった。しかも、部下を連れて。
ショックでした。
【平野拓也】社長から一転、一社員としてマイクロソフトに入社
入社するとすぐに、マイクロソフトの日本における向こう3年間の成長戦略を描くという重要な仕事が与えられました。それを数カ月後、米国本社で日本法人の社長がプレゼンすると。
……正直、入社したばかりの人間に振る仕事か? と思いました。
マイクロソフトは組織が大きく複雑ですし、製品もソリューションも多岐にわたります。ITに関しては知らない単語ばかりだし、難しくて、難しくて。
とにかく、周りの社員に話を聞きまくってはデスクで頭を抱える日々でした。「もうダメだ、クビになる」と毎日妻にこぼしていた気がします。
【平野拓也】部下に「使える上司か」見定められるプレッシャー
法人営業の担当になって1年目は苦労しました。
まず、営業のプロフェッショナルである部下たちは、上司の力を見定めてきます。この上司はお客様の所に連れて行けるか、行けないか? 役に立つか、立たないか?
……これにはプレッシャーを感じました。
【平野拓也】海賊版90%の中東欧エリアで成果を上げた方法
会社に告げられた統括エリアは、中東欧エリアの全25カ国。日本語は言うまでもなく、英語も通じない国が多い。
しかもここは、流通しているマイクロソフトの製品の90パーセント以上が海賊版という、とんでもないエリアでした。
そんなエリアのビジネスを伸ばせ、という指令です。
これは生半可な気持ちじゃできないし、日本に帰れる保証もない。そう考え、背水の陣を敷くつもりで東京の家は売ってしまいました。
【平野拓也】「インパクト志向」と「大きなゴール」の重要性
中東欧25カ国のゼネラルマネジャー時代に受けた刺激は、いま、日本マイクロソフトの社長という立場でも大いに生かされています。
各国のカントリーマネジャーや現地で働く人たちは、ビジネスに対して強いパッションやプライドを持っていました。
そして何より、「インパクト志向」だった。
【平野拓也】社長就任。私の最大の強みは「専門がないこと」
私はキャリアの中で、だいたいいつも「間違ったポジション」に置かれてきました。
常に圧倒的なキャッチアップが必要な状況が多い。最初は「難しい」「無理だ」と尻込みしても、やるしかない。周りの力を借りながら、自分ならできると信じて作り上げていく。
こんなキャリアだから、私には「専門」がありません。営業パーソンでもマーケターでもないし、エンジニアでもない。本当に何者でもない。
でも、この「専門がないこと」が、私の一番の強みです。
【最終話・平野拓也】理想の働き方は「ワーク・ライフ・チョイス」
おかげさまで日本マイクロソフトの社長に就任して以来、会社をグローバルの成長率以上に大きく成長させることができました。
売り上げの半分以上が、クラウドを軸としたビジネスとなり、ビジネスのやり方、組織や人材のあり方、そして会社のカルチャーにおいても変革が急速に進んでいます。
その中でも、私が最も誇りにしているのは「働き方改革」です。
リーダーが果たすべき仕事は5つある、と私は考えています──。
連載「イノベーターズ・ライフ」、本日、第1話を公開します。
(予告編構成:上田真緒、本編構成:田中裕子、撮影:竹井俊晴、デザイン:今村 徹)