【小山薫堂】「カノッサの屈辱」のアイデア出しと「屈葬睡眠」
2018/9/14
意図は「女の子を口説くため」
1987年春、大学卒業後は吉田照美さんの運転手とフリーの放送作家という、二足のわらじでキャリアをスタートしました。
初期の出世作のひとつに、1990年から放送された「カノッサの屈辱」という深夜番組があります。
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「カノッサの屈辱」は当時一番楽しみにしていた番組でした。もうタイトルからしていい。高校の世界史でこの単語と’憤死’という概念を学びましたが、その時の妙な空気感が番組に息づいていました。当時のトレンドと巻物風展開が私のツボにハマったのでしょう。しかし企画するのは大変だったのだろうと、今更ながらお察しします。屈辱睡眠(笑)。ごめんなさい、やはり笑ってしまいます。
モテるかどうか。これは制作者(ただし男子に限る。笑)にとって、変わらぬテーマのようですね。
小山さんはよく幻冬舎発行の雑誌「Goethe」で見城徹さん秋元康さんと鼎談しておりますが、御三方を見ていて思うのが、「欲望の総量が多い」ということ。
今回の小山さんのインタビューで「死ぬのがもったいない」という表現が出てきましたが、なんだか合点がいきました。
カノッサの屈辱、ファッション通信、DADA LMD
いずれも1990年あたり私が高校生のときに流行っていた番組です。
カノッサの屈辱を見て父や兄と話が弾み世界史が好きになり、
ファッション通信をみて東京に行きたいと思い、
DADA LMDをみて歳を偽り親不孝通りのクラブにいき、
紛れもなく東京の大学に行くための受験勉強のカンフル剤となりました。
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