【岩出雅之】組織の縦と横を強固にする「体験の場」づくり

2018/7/12
――岩出監督は帝京大学ラグビー部を率いて大学選手権を9連覇中ですが、就任以降は勝てない時期が10以上年ありました。その間に部の不祥事も起きています。そうした組織をどうやってイノベートしていったのですか。
岩出 僕が監督として来て、すぐに不祥事がありました。そのときは無我夢中で、本当の意味でクラブ(部)の運営方針を持たないといけないというところから入りました。スポーツスキルをトレーニングするとかではなく、学生たちをちゃんと導くプランニングが必要だなと。
以前もそうやってきたつもりですが、一教員としての範囲でしかやっていなかったので。ああいう大きな問題を経験して、社会とちゃんと向き合えるような力が大事だなと。大きな問題になればなるほど、こぢんまりした学校の村社会だけでやっているのではなく、個人もチームもちゃんと社会と向き合う力が大事だなと感じました。
そのときに、それまでのうちには説得力のある中身と行動がなかったのかなと感じ、そこから自分の気構えが入りましたね。
とはいえ、自分自身がそういう経験や考え方を持っていたわけではありません。クラブの経営方針を1枚のペーパーで出すために、「俺、どこからつくればいいのかな?」と思って、本屋に行って本を見ていたら1時間以上経っていて、出てきたら駐車違反になっていた。没頭していたんですね。
20冊くらい本を買ってきて、一瞬で読んじゃいました。人間って追い込まれていると、そうなるんですね。危機感って、そういうことですよね?
結局、学生のほうばかり向いていて、自分に矢印を向けていなかったかなと。そこら辺に気付きかけてから、(チームづくりの)方法論が変わってきました。
【岩出雅之】最強のリーダーが実践する「体育会イノベーション」
振り返ると、学生に対して指示になっていたなと思うことが多くありました。学生はすぐに気付いてくれないので、指示をしないといけないところも多々あるんですけど、それをどうやって早く気付かせるか。
今度はそう考えていくと、人間は結局、嫌なことは嫌なんですよね。育てるには当然厳しさも必要ですけれど、本人が求めていないような厳しさって効果的ではないから。
でも余裕ができると、本人が厳しさを求めだします。厳しさというのは、自分が必要と思うこととか、危機感とか。そうなると、本人が自分で対応したり、周りとの関係性で対応したりする。
上下の関係でそういうこと(厳しいこと)をやると“命令”になるけど、横の関係でそういう必要性を感じると、もっと素直に「そうだよね」って言える。社長や監督に「そうですね」って合わせるのは、忖度になっちゃいますからね。でも、横の関係に忖度は少ないですから。
岩出雅之(いわで・まさゆき)/帝京大学ラグビー部監督
1958年和歌山県生まれ。日本体育大学時代はフランカーとして活躍し、1978年大学選手権優勝。卒業後、滋賀県の教員に。八幡工業高校ラグビー部を7年連続全国大会に導いた。1996年帝京大学ラグビー部の監督に就任し、2009年度から9連覇中。帝京大学医科学センター教授
そういう意味では、何をフラットにして、何を縦にするか。縦と横の混ざり具合なんですね。糸みたいなものですよ。(中島みゆきの)歌の。横だけでは足りないんです。
なぜかと言うと、1年生たちの横(の関係)だけだと、絶対にまとまらない。成長マインドになっていないし、ノウハウを知らないし。過去の財産を持っていても、それは高校生の意識だし、上の管理下でやっていたことも多いし。そうした上意下達では、忖度や命令になります。

勝利は大切だが、すべてではない

――体育会イノベーションでは「4年生が神様、1年生は奴隷」という、下級生が忖度するような上下関係をなくしました。一方、上級生がリーダーとして自発的に下級生を成長させる関係が素晴らしいなと感じます。
上級生には余裕や経験があるからこそ、できるサポートがあります。それがまさにニュースタイルの縦と横。いつでも気兼ねなく付き合える。下級生が「嫌」とも「NO」とも言えるし、「YES」とも言える。「手をつなごう」とも言える。
「上下の手をつなぐ」っていうのは、いろんなことを探り合った中で、下が身の安全性を保つための忖度に近くなる。そうではなくて、上からサーバントでやっていく。だから上級生が下級生をサポートすることは、サーバントリーダーシップというふうになっていくと思うんですよね。
そういうふうにして、どう学生たちが絡んでいくか。絡ませる仕組みだけではなくて、どう楽しませるか。(監督に就任してから)うまくいかなかっただけに、うまくいいほうにいってほしいなって。
そうやってやりながら、スポーツだから勝ち負けは絶対無視していなくて。勝ちたいと思うから、学生も頑張る。エネルギーのバイタリティのもとなので、否定できないんですよね。
でも指導者が、それだけに頭を支配されることはやめたほうがいいなと。価値観をうまくバランスよくさせるというか。勝利がすべてではなくて、勝利を目指す中で得られる大きなことを生かしていく。そのために勝利は大切な存在だけど、すべてではない。何の勝利を目指すかっていうところに、ちゃんと価値観の共有をさせていく。
それを学生がどこまで感じるかが、我々のコンサルティングであるし、ティーチングであるし、カウンセリングであるし、セルフコーチングに持ってくるアプローチかなと思っています。

「プライド」とは何か

――日本のスポーツ界には小学生から上のレベルまで、育成や将来を犠牲にしてでも勝利至上主義にこだわる指導者が少なくありません。野球で言うと、子どもの試合で送りバントばかりやらせたり、肩を痛めるほど投げさせたりする。岩出さんが言うような、いろんな方向の関係を築けていないから勝利を媒介にしかつながれないのでしょうか。
密室なんですよ。社会との関係性が薄いと、そうなります。
でもそれって、社会との関係があってもなくても本当は成立できるんですよ。指導者本人が、選手を未来で羽ばたかせることこそ自分の責任だと思えるかどうか。それこそプライドだと思います。
プライドっていう言葉はよく使われるけど、何がプライドなのか。幼い児童生徒に対して「プライド」って言っても、わからないですから。
段階的な目標を設定し、選手の可能性を潰さない。まさに指導者のプライドが、矜持(きょうじ)が、必要だと思います。
選手としては、スポーツ少年がアスリートになり、さらにトップアスリートになっていく中で得られるものは、「自分の究極的な可能性を目指したい」っていうことです。
ゴルフだったらパーをとる。ダブルボギーをとらない。これ以上は絶対落とさないというところです。
ラグビーでは、「俺は絶対に抜かれない」「俺は決してボールをロスしない」と思って、そのためのスキルやフィジカル、スタミナをしっかり準備する。メンタルもそこに合わせた整え方を自分でしていく。それが矜持です。
それ、小学生にはわからないでしょ? だから、わかるアプローチをしていく。それが最適難度です。
でも大学生くらいになると、そういうところに芽生えてくる子がいるから、そういうところをどこまで感じさせられるか。指導者ができるのは、体験の場をつくってあげることです。
ずっと思っていたのは、僕にできることはコーチングではなくて、体験の場をつくることだなと。コーチングやティーチングの中にも、体験の場をつくる。それがないと、本当の意味で選手自身の成長になっていかないですから。
指導者がそういうことを考えながらやっていると、選手は体験の場で、自分に生かせるような経験をしていく。最初に話したフローもそうだし、チームワークにつながるようなコミュニケーションもそうだし、それも体験の場にあることです。
ミーティング一つも体験の場です。先輩から質問されたり、問答対応されたりすることによって、自分の能力を引き出せるのも体験の場。先輩にとっては、そうすることも体験の場です。
さまざまなことに体験の場が必要で、そうしてインテリジェンスが高められて、バイタリティがつくられて、そこにインテグリティがしっかり乗っかって、それぞれの相乗効果がある体験の場をうまくつくっていくと、学生は我々の手を離れるぐらいどんどん成長していくと思うんですよね。
僕はそれを見ていて楽しいし、それがまさに責任を全うしていることになるし。勝つことにこだわる責任より、もっと魅力のある、豊かな責任がある。それこそ、プライドかなと思えるようなね。

悔しさのエネルギーは無限でない

――本来、指導者には勝利より大事なプライドがあるわけですね。
生意気言うと、勝たしてもらっているから、今、言えるところがあるかもわかりません。ハングリーな人たちは、勝つことだけを言っちゃうんですよね。だから、「勝ちにハングリーになれ」なんていうテーマを出す人が多いと思います。
うちでも学生がそうやって言っています。やっぱり緊張感も、ハングリーから出てくるし。
今年、春季大会で明治に負けました。忘れません。学生も「忘れんでおこうね」って言っているのをよく聞くし、僕も「忘れないほうがいい」と言います。それはいい、と。
でも、それをバネにしたエネルギーは、無限ではないぞ、と。悔しいから、悔しさを忘れないでやるのは、いつかは慣れてしまいます。
もちろん今日、「いざ、鎌倉」のときは、「あのときの悔しさを忘れないでおこう」と思い出すのもいい緊張感を持つためには必要だけど、年がら年中「あのときの……」とか言っていると、摩耗するぞと。
それより楽しさを追求したほうが、発想をもっとドカンと持てる。自分らが伸びるためのアイデアの豊富さとか、対応力のほうが、なんか、鳥肌が立つぐらい楽しいぞと。
「あのときの悔しさを忘れるな」って言ったら、なんか、こぢんまりとしちゃうというか。その中にプライドを乗せたほうが、よほどいいものが生まれるんじゃないか、と。
こういう話を3、4年生にはしているんですけど、1、2年生には、「お前らがどこまで解釈できるかやな」と。段階的に伝えています。
もちろんハングリーさは必要だと思うので、使い方とタイミング。年がら年中ハングリーでいたら、なんか、切なくなるじゃないですか。おなかが減っていても、切なくなるのと一緒で。
――今の日本人がハングリーをエネルギーにするのは厳しいですよね。
合ってないですよね。そういう時代なんですよ。
僕ら、悲しい歌が多かった時代に生まれているから。今の歌って、よく優しい声で歌われるでしょ?
僕は授業で、ほとんど大きい声を出さないです。ざわざわした中で始まるんですけど、「こんにちは」と優しい声で言って。ちょっとしたルーティンで、息を整えて、姿勢を整えて、身の回りをちょっと整えて、姿勢を正して、深呼吸をする。目をつぶって3秒、鼻から吸って腹式呼吸をさせると、数秒でシーンとします。
このくらいの声で。「はい、こんにちは」って言って。マイクでね。
――小さいですね。
「はい、静かにして……静かにせえ!」って大きな声で言ったら、ノイズになっちゃうんですよ。人ってノイズを聞くと、「うーん……」と心理的に拒否するじゃないですか。
そうではなくて、「おはようございます」って優しく言う。それはノイズではありません。でも、(授業が始まる)場面は学生たちにイメージ化されているので、うまくルーティンにはめていく。すーっと数秒、わざと小さい声でしゃべっちゃう。
――北風と太陽みたいな話ですね。
そんな感じです。だから、不思議なんですよ。人間って天邪鬼なんです。「ありがとう」って言えば、「ありがとう」って返ってくる。「こら」って言えば、「こら」って返ってくる。リアクション動物なんですよ。
そう考えると、いい環境をつくっていくと、いいリアクションが返ってくるじゃないですか。そうじゃないかなと、細々とやっています。
*明日掲載の第3回に続きます。
(撮影:是枝右恭)