【木崎伸也】「自分たちのサッカー」の先にある、W杯8強への道

2018/7/10
勝負事は「結果」がすべてである。だが、それゆえに「結果」だけに目を奪われ、プロセスを見ないと本質を見落としてしまうことがある。
思い起こせば4年前、2014年W杯の惨敗が、その後に日本サッカー界が冷静さを失うきっかけになってしまった。
ザックジャパンはブラジルの地で1勝もあげられず、「自分たちのサッカー」への反発が高まった。横パスをつなぐばかりで、縦に勝負する勇気に欠けていたからだ。
ただし、より俯瞰(ふかん)してみれば、他にもっと重大な敗因があった。大会前に練習を激しくやりすぎ、疲れが抜けないまま臨んだという「コンディション調整の失敗」と、試合会場とキャンプ地の気温差が大きかったという「拠点選びの失敗」だ。しかし、選手の言葉が独り歩きし、サッカースタイルのみが槍玉にあげられた。
その結果、日本サッカー界に「自分たちのサッカー」アレルギーが生まれてしまった。
2015年3月にヴァヒド・ハリルホジッチがやって来ると、そのアレルギーは熱狂的な支持層の形成につながった。ハリルが提唱した縦に速く攻めるスタイルが、まさに「自分たちのサッカー」に欠けたものだったからだ。
だが、すべての人にとって誤算だったのは、ハリルは古い体制を壊す「破壊者」としては優れていたが、新たな組織を創る「構築者」としては能力が限られていたことだ。
(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
ビジョンはあったものの手法に乏しく、選手が質問しても言語の壁・サッカー文化の壁があるためか、具体的な答えが返ってこないことが多い。「前を狙え」「裏へ走れ」と繰り返すだけで、どうやったらそれがうまくいくのか、踏み込んだアドバイスがない。各自に創意工夫して欲しかったのかもしれないが、選手たちから見たら「戦術がない」ように見えてしまう。
次第にハリルの求心力は弱まっていった。

今こそ疑うべきこと

先入観を持たずにサッカーの内容を分析し、選手たちの声に耳を傾ければ、もっと早くハリル解任論が強まってもおかしくなかった。
だが、「自分たちのサッカー」アレルギーが過度なハリル擁護につながり、批判しづらい空気が生まれた。いまだに選手がハリル時代の内情を語ると、その選手がネットでたたかれる傾向がある。解任が遅れた原因は世論にもある、というのが個人的な見解だ。
結局、2018年W杯において、後任の西野朗監督が選んだのは、「自分たちのサッカー」への回帰だった。