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ライフワークとして闘ってきた江川氏ならではの論考。一読に値すると思います。問題は、この人の背景が古典的な唯物論に近く、カルト批判は当然としても、それを超えて宗教一般への否定が強すぎることです。そうは言っても、実際は江川氏のような人々しかオウムとは真剣に闘わなかったのは事実で、実に重たい問題。
江川紹子さんは週刊文春でずっと公判の傍聴記録を長期連載で書き続けました。しかし週刊誌もビジネスですから、オウムへの世間の関心が薄くなり、やがて連載が打ち切られてしまう。誰かが記録しなければいけない。いわば公的な使命を背負ったのです。毎日のように法廷に通うのは並大抵の努力ではできない。何よりもそれを発表する場がなければ続けられない。江川さんに相談され、僕は他の週刊誌を探しました。出版系は文春がやめたものをやらない。そこで新聞社系にあたり、週刊読売で継続が決まりました(現在廃刊)。
今回の江川さんの論考に説得力があるのは、事件を一過性のものとせず、取材を継続しなければいけないと自らに果たした責務より発している。
江川さんの普段の考察には正直首をかしげることが多いのですが、ことオウム事件についての考察はさすがに鋭いというか、情報量の多さが違うと思いました。

ただ、多くの人が言っている真相が解明されていないというのは、なぜこれほどまでに人がはまってしまったのかということです。裁判記録で麻原彰晃が支離滅裂だったということはわかりましたが、なぜそんな人の下にあれだけの人が集まったのか、集められたのか、本人がどこまで意図をしていたことなのか等、多くの人の疑問には記録からでは答えは見えてきません。
当初から本件を追っていらっしゃる江川さんならでは。読みがいのある記事です。

7人同日死刑執行について。まず麻原だけを単独処刑し、その後呪縛から解き放たれた幹部から話を聞くこともできたのでは、と素人なりに考えていましたが、もっと深い問題を孕んでいることもわかりました。
”同じ事件の共犯者の死刑は同時執行されるという暗黙の原則も、今回は適用されなかった。今回執行された早川紀代秀は、教団外の人を殺害した5事件(地下鉄サリン、松本サリン、坂本弁護士一家殺害、公証役場事務長監禁致死、VX襲撃)のうち、関わったのは坂本事件のみだが、同じ立場の岡崎一明は今回は執行されていない。坂本事件に加え、松本サリン事件でも有罪となった端本悟も同様だ。
 地下鉄サリン事件を起こした頃のオウムは、組織を国家の省庁制に模して、そのトップを「大臣」「長官」などと呼んでいた。今回、執行の対象に選定された6人は、いずれも「大臣」「長官」の立場にいた者だった。死刑囚のうち、麻原に引き立てられ、最も近い存在だった6人をまとめて執行した、ということのように見える。
 裁判の執行の順番が、国のルールではなく、このような教団の立場や序列によって決められる、ということには強い違和感を覚える”

司法のルールより、注目を集める、さらにいうと見出しにしやすいまとめ方をしてしまったことに怖いものを感じます。

当日のメディアの報道にしても、まるで選挙速報のノリであったと。もし昔の事件を知らない子供がこれを見ていたら、死刑は単なるイベントの一つと捉えるようになるでしょう。とても後味の悪い終わり方です。
【社会】今回の死刑執行で最も注目していたのはジャーナリストの江川紹子の言動だった。(2015年に亡くなっていなければ佐木隆三の言動にも注目していただろう)。

この記事を読む上で注目したいのは、「ただし、元弟子6人を教祖と同時に執行したのは、極めて遺憾であった」という点と、「しかし、彼らはカルトによる未曾有のテロ事件の生き証人である。その彼らを何ら調査研究に活用する機会を永遠に失ってよいのだろうか」という点である。江川は、自らを抹殺しようとしたオウム真理に対しての「絶対的な憎悪」ではなく、つとめて教麻原彰晃こと松本智津夫の一連の事件に対する「責任」から物事を語っていると思う。

江川の常日頃の「リベラル」的な言動を考えると、死刑廃止論の立場を取ってもおかしくないと思う。しかしながら、少なくとも麻原彰晃に対してのみは死刑を当然のものと考えた。長年丹念な取材を続けてきた江川もってしても、この考えに至る。それだけこの事件が重大であったことを示していると思う。
事件当時はまだ生まれたばかり、今回はじめて事件の全体を改めて知った。

死刑が確定された方の手記を読んで、胸が痛くなる。被害者も加害者も、その周りの家族も辛い思いをするこんな事件を繰り返さないために、反省から学んでいきたい。
とても読み応えのある記事でした。事件を長年追いかけている江川さんによる考察と提言、その通りだと思います。FBIが何度もヒアリングしたと聞いていますが、我々日本はこの事件からカルトの本質を掴めたのだろうか?我々の心の隙間に潜む弱点を突かれない方法を見出したのだろうか?刑事事件という面だけではない学びの部分、考えさせられます。
江川さんの提言には賛成です。カルトの負の側面に関する教育と退会時の身の安全を確保する制度は必要だと考えます。
江川さんの論考めっちゃ待ってたー。大変読み応えがあり説得力がある内容でした。

容疑者と事件が複数複雑に絡み合ってるからこそ、いろんな話題で広げやすいけど、まずは裁判の見方や位置付けがよく理解できました。関連する裁判を全て見てきた江川さんだからこその書ける内容なんだなと改めて。

ここまで詳細な記録をメディアは教えてくれない。なんでもない人がカルトに熱狂し、殺人をしてしまうに至る恐ろしさを教えてくれるよい教材の1つだなとも思ったし、もっともっと、これくらいの内容をメディアがしっかり発信してほしい。

昔テレビであんなにバラエティで持ち上げてるからこそ、反省を示しながら、社会への注意喚起としてしっかり伝えてこそメディアではと思う。江川さんは命がけですごいです。

裁判記録がわかる弁護士さんにさらに解説してほしすぎる…
宗教をはじめとしたストーリーを身に付ける目的には、「合理的な防御行動を得ること」「世界を自分の思い通りに動かすための説得手段を得ること」という側面もあるのかもしれません。

もしオウム真理教が数千年前からあったとしたら?

そして昨今話題のコミュニティービジネスとの根本的差異は?

そんなことを考えてしまいます。


>オウム事件の最大の教訓は、人の心は案外脆い、ということだ。どんな人であっても、タイミングや条件が合ってしまうと、思いの外簡単にカルトに引き込まれてしまう。
>オウムは、生きがいややりたいことを見つけあぐね、自分の居場所探しに悩む若者たちを巧妙に絡めとっていった。どのようにしたら、自分らしく、意味のある人生を歩めるか模索する若者や、家族や友人との関係に悩む人たちに、「解脱悟り」「人類救済」などといった、一見高尚でやりがいのある目的と、「グルと弟子」という強い結びつきを与えた。
>こうした人生の悩みは、普遍的である。昭和の末期から平成の始め頃の若者たちだけではなく、今でも、そうした悩みを抱えている人はたくさんいるだろう。
>カルトの怖いところは、そこに絡めとられ、最初は被害者だった人たちが、そのうちに勧誘や集金活動で人を騙すなどの加害者になっていくことだ。
>彼らがいかにしてオウムに引き寄せられ、心を絡めとられ、従来の価値観を放棄し、柔軟な思考を止め、挙げ句に殺人の指示まで唯々諾々と受け入れていったのかなどを、心理学や精神医学、あるいはテロに関する専門家が、刑事司法とは異なるアプローチで調べ尽くせば、今後のカルト・テロ対策に有益だったろう。

>個々に悩みを抱える人たちが、カルトの被害者にも加害者にもならないように、オウム事件からもっと教訓を学び、事実を次の世代に伝えていく必要があると思う。
>生き証人が活用できればよいが、執行によってそれができなくなるとすれば、裁判記録である。死刑囚となった者はもちろん、それ以外の被告人や証人らが、法廷で多くの証言を残している。法に基づいた手続きによって集められた証拠と、公開法廷の証言・供述によって構成される裁判の記録は、事実を知るための第一級の資料である。すべての事件の記録を保存し、できれば早めに国立公文書館に移管して、必要に応じて閲覧ができるようにすべきだ。


今後のキーワードは研究と伝承となりそうですね。