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私が松本智津夫元死刑囚に単独インタビューしたのは1990年12月でした。静岡県富士宮市の道場で、今となっては恐ろしいのですが、後に死刑囚となる幹部数人に囲まれてのインタビューでした。坂本弁護士一家のことは聞かないことを条件に取り付けたインタビューでした。しかし、聞かないわけにはいきません。宗教のあり方、宗教の行方などについてひとしきり聞いた後、「ところで坂本弁護士一家は‥」と切り出すと、取り巻きの幹部が立ち上がり「約束が違う!」と怒鳴りました。その時、新実智光死刑囚が一番怒っていた印象があります。すると松本元死刑囚は「いいんだよ、いいんだ」と幹部を制止しました。幹部たちは「尊師はどうしてそんなにお心が広いのですか」と応じました。松本元死刑囚は私の質問には直接答えず「坂本弁護士は早く出てきてほしい。そうすれば、私たちへの誤解が解ける」とだけ言いました。その時は坂本弁護士一家が殺害されてから1年以上経っていました。私が教団幹部から受けた印象は、幼稚でどこか漫画的だということでした。幹部の多くが優秀な理系学生であり、残虐で大規模な犯罪に手を染めたことが、今ももう一つ胸に落ちてきません。ただ、オウム事件の怖さとその本質は、その落差にこそあるのだとも思います。
事件当日、フジテレビの記者で8時台にテロの現場にいたのは私だけだった。最初はサリンが撒かれたことなど知る由もなく必至にリポートを撮っては本社に送った。午前中の特番は生々しい現場のそのリポートが流れた。神谷町の駅前は地獄絵図だった。のたうちまわる人々で交差点が埋め尽くされ、白目を向いて悶絶する人、口から泡を吹いている人もいた。声をかけても話すことすら出来なかった。時間が経つと目が見えなくなってきたと訴えるOLの人なども駅に戻ってきた。すぐに病院に行くよう、現場の救急隊員のところに案内した。程なく警視庁がサリンテロだと発表した。あの阿鼻叫喚の映像は今でも頭にこびりついている。許すことのできない凶悪犯罪である。

「地下鉄サリン事件を忘れない 」
https://japan-indepth.jp/?p=16518
オウム関連の裁判が終了し、ご即位、絢子さまのご結婚などを考えると、今年のうちに執行は予測されていました。

私は死刑廃止論者ではなく、それなりの罪に対する罰として、死刑はあるべきという考えで、オウム関連の死刑は妥当だと思います。
ただ、オウム死刑囚のうちの1人に死刑判決を出した裁判官が、普段はとても厳しい方なのに、死刑を言い渡す時の複雑な思いを口にされていましたし、「刑事裁判官は死刑さえなければいいのにな」とおっしゃる裁判官もいました。
人に死刑を言い渡すとは、どんなに重たい責務なのだろう、と正直、想像もつきません。
粛々と少人数ずつ分けて執行し、事後に公表する方が常識的と思うのですが、このように進める方が将来的にリスク低減になるという判断があったのでしょうか?

それはともかく、オウムという現象ですが、拝金主義の反動が暴走したとか、世相に原因を求める解説も多いのですが、やはり日本の宗教風土にも原因があるように思います。

明治期に日本の伝統宗教である神仏習合が崩れて、社会における宗教の意味合いが弱体化したことが背景にあるのではないかと感じています。国家神道が否定された一方で、大乗仏教だけでは物足りない中から、この種のエセ小乗のようなものが出てきたという見方です。

アメリカでも、旧約聖書を軽視して新約の中の黙示録などを過大評価する中で、ブランチ・ダビディアンなどのダークサイドへ走る動きがありました。

いずれにしても、社会全体で宗教というものがキチンと論じられ、理解されることが薄くなった中での現象という一面もあったと思います。

その一方で、事件から四半世紀を経た現在は、経済的にも社会的にも、より苦しい時代になってきていますが、日本の場合はあくまで脱宗教的に乗り切ってきているというのは、立派と言えば立派であり、こちらについてはオウムというのが、明らかに反面教師として機能したのかもしれません。
会社に入って初めて見た裁判が麻原彰晃でした。長い時間がかかったなと改めて感じます。

今回死刑になったひとりの国選弁護人にかつて話を聞いたことがありますが「時給で言ったら100円以下。しかも、オウムの弁護をするのかと非難される。それでも誰かがやらなきゃいけないんだ」と語っていたのが印象的でした。
松本死刑囚の執行に関しては、多くの人たちにとって異論はないと思います。

井上死刑囚は最初の再審請求の最中の執行ということで、初めての事例ではないでしょうか?

いずれにしても、日本の文化や風土を考えると、欧米各国からの「死刑を存続させているのは野蛮だ」という批判は的外れだと思います。

詳細については以下に書きました。
ご一読いただければ幸いです。
http://agora-web.jp/archives/2027097.html
来年は改元なので、慣例として死刑執行自体行われない可能性が高いですし、新天皇即位に際しては恩赦の可能性もあり、死刑制度存続の問題と合わせて議論されかねないので、今年のうちに終わらせておこうという意思も見え隠れしますね。

しかしそれはそれで良いのだと思います。
オウム真理教事件の原点、坂本弁護士殺害事件はまさに平成元年の出来事でした。
平成の終わる年にオウム事件に一つの終止符が打たれるのなら、それもまた一つの時代の終わりを意味しているということなのでしょう。

いつか我々が平成という時代を振り返る時が来た時、オウム真理教事件は、この時代の何かを象徴していたシンボルとして、語られることになるでしょうが、今はそれが何かは私にはわかりません。
今NHKでやっているが、高橋克也被告の上告が棄却されたことから事件自体の裁判が終わったことを受けての執行とのこと。
そして今年3月に東京拘置所から13人の死刑囚のうちの7人が仙台・名古屋・広島・大阪・福岡拘置所に移管。移管自体は特に関係ないと法務省は言っているとのことだが、一つの拘置所では同時に二人までの執行といわれており、執行に向けた動きではないかと言われていたとのこと。
ほかの死刑囚の執行についても、これからどうなっていくだろうか。
朝生で、いまだに存在する某新興宗教と対立的に出ていて、明らかにオウム側に分があった。人材が違う感じ。それを受けてその週の別の番組で、今や世界的な大物タレントが、「麻原は本物だな!」と言っていた。あの時点では、同じような感想を抱いた人が多かったのではないか。凄みがあった。只者ではないぞという感じ。
その後に起こった事実は、別の意味で只者ではなかったのだが、ああやって引きつけられ持って行かれるんだなという、感覚はしっかり記憶している。また、当時長い大学生活のあるクラスメイトが、「これ知ってますか。ホントに飛ぶんですよ」と、例の胡坐書いて飛んでいる写真を、真顔で持ってきた。東大の理系で、なんでこんなの信じるんだろうと哀れに思ったのを覚えているが、その後ものすごい数の「テストエリート」が、持って行かれているを見て驚いた。
この社会を変えてやるという反政府やテロの組織に、高学歴者が多いのは分かるが、あんなオカルトを信じる人が大勢いるのが、驚きだったのだ。
ひとつの時代の終わりを感じて感慨深いです。地下鉄サリン事件。当時大手町に通勤していたわたしはまさにこの千代田線のこの電車を利用していたんです。たまたま当日私用で有給休暇をとっていてわたしは危うく難を逃れました。それを知らぬ同僚やら家族から携帯電話にバンバン連絡が来たことを思い出します。そういえばアナログの携帯電話がようやく普及し始めた時代でもありましたね。バブルの崩壊もありました。当時の就活生がロスジェネ世代でいまや会社の中堅です。