美しいという言葉の定義は意義深いと同義である
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写実性を美と感じることも、流木をアートにして美を感じることも、本質的には同じ事なのですが、根源となる情報ソースを外に持つか内に持つかという違いなのではないかと思います。美の本質というのは「イデアとの相対的近似性」としてパラメータ化できると僕は考えています。
イデアを持たないうちはイデアの探求と美の探求が同時に行われるので、現実とそこから抽出された工芸の類似性が現実にあるイデアの発見と同時に起きるので、現実物により似たものを美として認知します。
逆にイデアが内在する場合、工芸そのものを見た瞬間にイデアとの比較が行われて、美についての評価が決定されます。だから抽象度の低いイデアしか内在しない人にとって、多くの芸術は美を感じにくくなる。抽象度の高いイデアを持っている人はそのイデアが多くの作品や自然物にイデアとの相似性を確認できるので、様々な場面で物事や作品を美しいと感じやすくなる。
抽象度の高いイデアというのは例えば、流木というイデアより円柱というイデアの方が抽象度が高い。更に言うと円柱より直線というイデアの方が抽象度が高い。視覚的要素だけを抽出するなら、幾何学的により純粋なイデアを持っている人の方が美を感じる感度が高いと言える。
※イデアというのは「概念」ではなくて「理想」なので、頭で単純に思い描くものとは違います。
注目のコメント
最近ふつうに生活している中で、目に飛び込んでくる光や音の全てに心動かされています。なんだそれはと思われるかもしれませんが、動物が周りの環境の情報を得るために取り付けたセンサーに視覚と聴覚があって、それはおそらく光や音が物質でなく波であるからで、そのシグナルのコントラストで獲物が近いか遠いか、天敵も近いのか遠いのか、生き残るためのものだと考えの末たどり着きました。
それに気づいた時から目に見えるなんでもない風景や音に感動している自分がいて、なんでだろうかって考えていました。
正直こんなことで感動してるなんてレベル低いんだなぁとは思いますが、自身の体験とこの「意義深い」というところがマッチしてとても納得しました。
これからはもっと深い自分の価値観を育てて生きたいなぁ