京都とハイテクという二元性

2018/7/5

京都にハイテク企業が集まる理由

公共哲学とテクノロジーのコラムで、なぜ伝統の町「京都」がテーマとなるのか? 
そう思われた方もいるかもしれない。しかし、京都は京都大学を中心にアカデミズムの拠点が数多く存在し、京セラやオムロン、村田製作所といった世界レベルのハイテク企業が昔から拠点を置いている。
イノベーションハブを目指す民間初のリサーチパークが1989年に誕生したのも京都だ。
実はこのグローバルシティであるという点とテクノロジーは、深く結びついている。先月、LINEが京都に開発拠点を開設したことで話題になった。そこで働く技術者を応募したところ、1000人のうち約8割が外国人だったという。
テクノロジーの世界は国境を持たない。だから世界中の技術者が、どこでも身ひとつでやってくる。
まして、京都は彼らにとって魅力的な町だ。ただでさえ訪れたいのに、仕事まであるとなると、殺到するのは無理もない。
優秀な技術者は今世界中で取り合いになっている。海外の大手ならお金でいい人材を魅了するのだろう。しかし、中小企業やスタートアップだとそうはいかない。
そこで京都という地政学的要素を武器にすれば、外国人技術者を魅了することができるというわけだ。

九鬼周造の「いき」──内と外の二元性

私は京都出身なので、京都の本質はある程度肌で感じてきたつもりでいる。それはよくいわれる内と外の二元性だ。
知人に対する態度と、外部の人に対する態度が異なるとか、何にでもダブルスタンダードがあるという話だ。でも、この内と外の二元性が内包するものはもっと深い。
たとえば同と異の二元性、日本人と外国人の二元性、学生と大人の二元性、仏教と神道の二元性、昼と夜の二元性、公と私の二元性、伝統とハイテクの二元性……。数え上げたらきりがない。
しかしこの二元性こそが、京都に独自性をもたらしているのは間違いないだろう。かつて京都学派の流れをくむ哲学者・九鬼周造は、名著『「いき」の構造』の中で、「いき」という概念を提起した。
「いきだねぇ」と言うときのあの「いき」だ。もともとこれは、芸者と客との男女関係に見いだされる理想的な態度を指している。
九鬼周造は祇園のお茶屋から京大の講義に通ったという伝説も(写真:magicflute002/iStock)
つまり、お互いにぎりぎりまで近づくものの、決して合一することなく、一定の距離を置いた関係を保つという二元性の思想だ。

長い歴史の縦糸と、イノベーションの横糸が交錯する

九鬼は、西洋の一元的な合理主義に対抗しうるものとして、そんな「いき」の持つ二元性に着目したのである。いわばそれは、決して交わることのないシナジーであるといっていいのではないだろうか。
交わらない相乗効果なんて、なんだか撞着(どうちゃく)語法にも聞こえるが、京都に限ってはそうではないのだ。京都の町の隅々に、こうした意味での二元性が深く複雑に張り巡らされているように思えてならない。
長い歴史が京都を紡ぐ縦糸だとすれば、この二元性はさながら横糸といったところだ。
伝統とハイテク、日本人と外国人、公と私といった二元性を構成するおのおのの要素がときにミスマッチな交錯を繰り返すことで、イノベーションが生まれる。
イノベーションとは意外なもの同士が偶然交錯することで生じるものなのだから。奇しくも九鬼周造は、偶然性の哲学のパイオニアでもある。
二元性がもたらす偶然──。
京都には意外性が秘められている。だから皆、京都に憧れるのだろう。
*本連載は毎週木曜日に掲載予定です。
(執筆:小川仁志 編集:奈良岡崇子 バナー写真:pigphoto/iStock)