トヨタの10年先をゆく、日本人が知らない「ベンツ」最前線

2018/7/2

自動車「発祥の地」の異変

6月中旬。ドイツの首都ベルリンから、新幹線ICEで南西に移動することおよそ5時間半。
ライン川を隔ててフランスと国境を接する、緑豊かなシュヴァルツヴァルト地方に降り立った。
その目的は1つ。ここに、「未来のモビリティ」のヒントがあると聞いたからだ。
別名「黒い森」とも呼ばれ、ぶどう畑や森に囲まれた盆地にある、中心都市シュトゥットガルトの中央駅には、日本人にとっても馴染みのある「スリーポインテッドスター」が輝いている。
シュトゥットガルト中央駅のてっぺんには、メルセデス・ベンツのトレードマークがくるくると回りながら存在感を示している。
ここは、高級車ブランド「メルセデス・ベンツ」を抱えるドイツの自動車メーカー、ダイムラーが本社を構える、ベンツの城下町だ。
だが、そのお膝元で見えてきたのは、保守的な高級車ブランドというイメージとは程遠い、我々の見慣れないベンツの「別の顔」だった。
最初の目的地に向かうために、シュトゥットガルト中央駅からタクシー配車アプリをスマートフォンで開き、タクシーを呼んだ。
といっても、世界トップシェアを誇る配車アプリ、米ウーバー(Uber)のサービスではない。ドイツ発の「マイタクシー(mytaxi)」だ。
mytaxiでタクシーを呼ぶと、ラグジュアリーな「メルセデス・ベンツ」車がすぐに迎えてくれた。
「ここシュトゥットガルトでは、Uberは走っていないんだ。あいつらは違法行為ばかりで最悪だよ。でも、mytaxiは素晴らしい。手数料は7%と低いし、仕事はやりやすくなったよ」(mytaxiのドライバー)
今や世界65カ国を席巻しているUberだが、ここドイツでは忌み嫌われている。
一方で、地元自治体や規制当局、そして地元のタクシー会社ともうまく関係を築きながら、欧州で最大の勢力となっている配車サービスこそが、mytaxiなのだ。
実はこのmytaxi、すでにダイムラーの傘下企業だ。2012年に出資、14年には買収して取り込み、創業した若き起業家は現在、ダイムラーの幹部となっている。
中央駅からmytaxiで30分ほど南に走っただろうか。シュトゥットガルト市の最南端を東西に走る幹線道路沿いに、目的の場所はあった。
その地こそ、世界最大のカーシェアサービス企業「car2go」の本社だ。
car2go本社前に並ぶ、ダイムラーの小型車「smart」。
2008年にサービスを開始したcar2goは現在、欧州やアメリカ、中国など世界8カ国でサービスを提供する、カーシェアリングのパイオニアだ。
そのユーザー数は、実に330万人。日本の最大手「タイムズカープラス」の会員数が100万人弱(2018年5月時点)だから、ざっとその3倍以上である。
しかもcar2goの場合、決められたエリア内で「どこでも乗り捨て自由」という、極めて便利なサービスだ。それを世界24都市において、認可を得て実現しているのだから、同じ「カーシェア」とはいえ日本のそれとは“似て非なる”体験だ。
例えばここシュトゥットガルトでは、面積101平方kmのエリア内において、550台の電気自動車(EV)が走り回り、市内のあらゆる路上にくまなく駐車されている。
東京都でいえば、千代田・中央・港・渋谷・新宿・台東・文京の7区を足したくらいの広さで自由に乗り捨てが可能だといえば、想像しやすいかもしれない。
そして何より驚くのは、これが新進気鋭のスタートアップ企業ではなく、これまたダイムラーの「社内事業」として誕生したサービスだという点だ。
日本ではつい先日の2018年4月、トヨタ自動車がタイムズカープラスを運営する「パーク24」と業務提携を発表したばかり。
しかしダイムラーは、その10年も前から都市交通情報やユーザーの声というデータを自前で拾い集め、サービスの改善と運営経験を積んできた。
ベンツという高級車の所有者とは違うユーザー層と密な接点を持ち、ひっそりと盤石な顧客基盤を築き上げているのだ。

「移動の再発明」に挑む破壊者

いまから約130年前の1886年。
カール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーという2人のイノベーターが、ここシュトゥットガルトからほど近い場所でそれぞれ別々に発明した、「自動車」という乗り物は、後に世界を大きく変えた。
それから約40年後の1926年に2人の会社は合併し、ダイムラー・ベンツ社が誕生。以来、その本社機能と工場は、ここシュトゥットガルトに置かれている。
実はそんなシュトゥットガルトの語源は、「シュトゥーテン・ガルテン(雌馬の庭)」だ、とメルセデス・ベンツ博物館のガイドが教えてくれた。
雌馬を育て、大切な動力源である「馬」をたくさん生産していたこの地で、130年前に「馬なし馬車」は誕生した。
そして今度は、自動車という破壊的な発明をしたイノベーター自身の手によって、自らを破壊しかねない「移動の再発明」が、この地で行われようとしている。
メルセデス・ベンツ博物館に展示されている、馬車の模型。
「ガソリン車の発明から130年。次のモビリティを発明するのも我々だ」──。
ダイムラーのこうした変貌ぶりを語る上で外せないのは、12年前にトップに就任した、破壊者ディーター・ツェッチェ博士の存在だろう。
1998年にダイムラー・ベンツが吸収した、米クライスラーの業績が悪化した2000年にアメリカに送り込まれ、クライスラーのCEOに就任。
社員食堂にワイシャツとスポーツ靴というカジュアルな姿で現れ、ドイツ人社長を警戒していた労働組合幹部からも、一目置かれた人物である。
また、世界各地で開催されるモーターショーにおいては、名だたる自動車メーカーの社長が多数の取り巻きを従えて闊歩する中、ツェッチェだけは1人で会場内を歩く姿がよく見受けられる。
一見、大企業のトップとは思えないふるまいだ。
そして、2006年。
ダイムラーのCEOに就任するやいなや、城のような本社建物を売却し、クライスラーとの“離婚”も即決。「破壊者」として一躍有名となる。
しかしそのツェッチェが、まるで時代の変化を見据えていたかのように、10年以上も前に「移動の再発明」に着手していたことは、あまり知られていない。
なんとトップに就任した翌2007年には、「ダイムラーモビリティサービス」を設立。「商品としての自動車」(Mobility as a Product)ではなく、「消費するサービス」(Mobility as a Servise)としての可能性を探り始めている。
それから約10年後の2018年。トヨタの豊田章男社長は「モビリティサービス企業に生まれ変わる」と宣言し、「トヨタモビリティサービス」を設立。日本でも称賛の声を浴びたことは記憶に新しい。
しかし気づけばダイムラーは、すでに世界最大のカーシェア企業を自前で育て上げ、欧州最大の配車サービスまで展開する「モビリティサービス企業」として、はるか先を行っていたのだ。
本特集「ベンツ解体新書」では、我々の知る高級車メーカー「メルセデス・ベンツ」ではなく、モビリティサービス企業としてのダイムラーの顔に注目し、全8回にわたって解剖していく。
特集の前半では、カギを握る組織「ダイムラーモビリティサービス」のトップへの独占インタビューや、現地で重ねたキーマンたちへの取材を通じて、ベンツの知られざる「顔」をお届けする。
また、特集の後半では、ベンツの筆頭株主に躍り出た、新たな「株主」の実像や、ベンツを支える世界最大の自動車部品サプライヤー、ボッシュの実力にも迫る。
ちなみに余談にはなるが、影の実力者ボッシュや、高級スポーツカーで知られるポルシェが本社を構えるのも、ここシュトゥットガルトだ。
ポルシェの生みの親、フェルディナント・ポルシェはかつてダイムラーに学び、後に独立。ボッシュもまた、古くからベンツを支え、ともにこの地で自動車産業を築き上げてきたからだ。
まさしく自動車産業の「発祥の地」といえるシュトゥットガルトは、これまでの世界130年の歴史を変えた。
そして、これからの100年についてもまた、人々の移動を変えた「再発明の地」として、歴史に名を刻むのだろうか。
脱・自動車メーカーを掲げる日本企業トヨタの未来を占うためにも、「破壊者ベンツ」の最前線から学べることは多いはずだ。
(執筆・撮影:池田光史、デザイン:すなだゆか)