一歩、二歩先のプロダクトを生み出す人の「頭の中」

2018/6/29
刻々と変化する、人間を取り巻く環境。社会のゲームは変わり、人は100年生きる時代になり、マインドフルネスやウェルビーイングという言葉が多く聞かれるようになった。企業がこれからの社会を生き抜くには、こうした要素を取り入れたプロダクトやサービスを開発することは避けられない。

そんななか、早稲田大学にはウェルビーイングをテクノロジーの力で促進しようとする気鋭の研究者、ドミニク・チェン氏がいる。心臓を手のひらで感じるデバイスや感情がポジティブになるコミュニケーションツールなど、人の心にアプローチする奇想天外なプロダクトを続々と展開する切れ者だ。

果たして、同氏の頭の中はどうなっているのだろうか。現在の研究に至った発想や、プロダクト開発の現場で取り入れるべきこと、エンジニアの生かし方など多角的に語ってもらった。
マイク付きの聴診器で取った心音が、四角い箱(振動スピーカー)に伝わる仕組みのプロダクト「心臓ピクニック」。この箱を握ると、自分や他人の心臓を握る感覚になる。目の前にいる人も同じように生きていることを実感し、不思議な共感が生まれるという。
テクノロジーによって人は幸福になれるのか
──ドミニクさんは、情報学の研究者であると同時に、IT企業の経営者でもあります。どういう背景から現在に至るのでしょうか。
ドミニク・チェン:もともとアートを起点に、アイデアを社会に実装したいと考え、共同で会社を立ち上げました。作りたかったのは、キーボードでタイピングした文字を再生する「TypeTrace」というサービス。私もプログラミングを習得して、開発に携わっています。
その開発の合間に、雑談の中から形にした「リグレト」というサービスがあります。これは、匿名で日頃のちょっとしたヘコみ話や悩みを書き込むと、それを見た人が寄ってたかって慰めてくれるというもの。
実は当初、遊び感覚でリリースしたのですが、この開発を通して雑談からアイデアが生まれる実体験と、ITは人の心理にも深く作用するという発見を得られたんですね。
ネット上で個人的な悩みのようなネガティブな発言を投稿すると、場合によっては「かまってちゃん」だと思われたり、炎上したりすることがあると思います。だけど、きちんと設計した場であれば、ネットサービスでも心理にプラスに作用する力を持てる。
しかも面白いことに、リグレトのヘビーユーザーは慰める側の人だったんですね。人を元気にすることで、自分までが活性化する。一人ひとりの個別の状態があるのではなくて、相互に関係して、動いている。
それに気付いてから、コミュニケーションや人の心理にアプローチするサービスの開発や研究をするようになりました。
日常のヘコんだ話やちょっとした悩みを投稿すると、それを見たユーザーから慰めてもらえるサービス「リグレト」。完全匿名だけど荒れないコミュニケーションを設計した。
──その原体験から現在の研究テーマ「ウェルビーイング」につながっていると思います。具体的に教えてもらえますか。
私は「ウェルビーイング」をテクノロジーがどう推進できるかを考えています。
ウェルビーイングとは、簡単にいえば心身ともに健康で、自分の能力が開花している状態のこと。テクノロジーで人間の心理状態を良くするというアイデアについて大学や企業で話をすると、エンジニアや学生たちの目が輝くのを感じます。
なぜ、この研究テーマにたどり着いたかというと、リグレトでの原体験もそうなのですが、現在の私たちを取り巻くインターネット環境も関係しています。
これまでの主流なITの考え方は、効率よくタスクをこなすことこそに価値、目的がありました。
それは今も同じですが、さらにインターネットでつながる時代になり、IT企業がユーザーの注意を奪い合うように進化してきた結果、アテンション・エコノミー(関心経済)が過剰になった。
あらゆるプレーヤーが、いかにしてユーザーの気を引くかという勝負に集中してきたことで、世の中にはユーザーにわかりやすいコンテンツばかりがあふれるようになってしまいました。
情報過多な上に、自力では欲しい情報が見つかりにくい。行動履歴からレコメンドされる情報や広告ばかりが目につき、ユーザーは疲弊しています。
この状況をよい方向に変えるため、日本社会ならではのウェルビーイングの捉え方について研究し、デジタルのサービスに落とし込んでいきたいと考えています。
──デジタル・ウェルビーイングを実装するため、開発中のものはありますか?
創業して最初に取り組んだプロダクト「TypeTrace」のWeb版を研究開発中です。キーボードで入力した文字は、思考の「結果」だけの情報。誰かが書いた文章を観察しても、その結果にたどり着くまでの思考プロセスを詳しく知るのは難しいですよね。
TypeTraceは、スクリーン上で文字入力の様子をそのまま再生するものなので、一度選んだ言葉を修正したり、考え込んで止まったりという、プロセスの情報も含まれます。
文章が出来上がるまでの思考プロセスをそのまま再生できる「TypeTrace」。
文字が持つ意味を認知するだけでなく、作家やアーティストの思考、友人や家族、恋人からの心のこもった手紙など、そのメッセージが紡ぎ出されるまでの「頭の中」を垣間見ることができ、読む人に相手の感情を想像させる。
たとえば、友人から「今日の態度は良くなかったと思うよ」というテキストのメッセージのみを受け取ると、反省する一方で少し嫌な気分になるかもしれませんよね。
だけど、そのメッセージに至るまでのキーボードの動き、書いたり消したりしている過程を見たら、すごく言葉を選んでその結果にたどり着いたことがわかるかもしれないし、逆に一瞬で書いたのが見えたら、意図が伝わりやすくなる。
たわいのないチャット中でも、相手の打ち間違いを見ているだけで「可愛いな」と愛着がわくかもしれないなど(笑)、プロセスがわかれば、メッセージを受け取ったときの心の状況は、全く違うはずなんです。
──たしかに、メールやSNSなど文字だけのやり取りでは誤解を生むこともありますね。そんな意図じゃなかったのに、というような。
文字だけでは互いの心の動きが伝わりにくいんですよね。TypeTraceは、同じ文字ではあるけど、あたかもその人がしゃべりかけているような錯覚を起こします。実際、実験によって「正の感情スコア」が上がるかもしれないことがわかってきました。
頭での情報理解から、体に作用する「情動」に働きかけ、正の感情を後押しできれば、ネット上で起こる論争やフィルターバブルといった状況に、一石を投じられるのではないかと期待しています。
アメリカだけでなく、日本においても「テクノロジーで人を活性化する」という「デジタル・ウェルビーイング」の話をすると多くの人に響いてもらえている状況に、希望を抱いています。
発想のプロセス=自分との雑談
──ドミニクさんは、他の人が発想しないようなプロダクトやサービスを開発し、研究を進めています。そのアイデアやインスピレーションはどのように得ているのでしょうか。
私は四六時中、思考しているように思います。インプットについても、仕事とプライベートの切り分けは特にないので、いつもアンテナを張り続けている状態ですね。
そうやって雑多にインプットした情報を、私は早朝や深夜の世界が動いていない時間、ノイズに浸されない時間に整理しています。思考の整理はもちろん、読んだ本の考察なども。とはいえ、多くの場合、ボーッとしているだけなのですが(笑)。
そのボーッとしている時間にしているのが、一人での「雑談」です。
僕は人と話すのが好きなので、もちろんそれも豊富な発想の源になっています。ただ、自他の境界が混ざったアイデア以外にも、一人でじっくり考える時間も大切です。漠然と「AとBがくっついたら何か新しいものができないかな」と、一人で雑談をする。
するとある朝、公園を歩いていたり、食器を洗ったりしているときに、突然「あ!」とインスピレーションを得ることがあるんです。
それから、研究で思うような結果が出ないときなどは、夢から着想を得ることもあります。夢ではいろんな記憶や思念がクラッシュして、そこから革新的なアイデアが生まれたり、突破の糸口をつかめたりすることがある。たいていはゴミですけど(笑)、その中にキラリと光る宝が見つかります。
──夢を覚えていられる。
夢の記憶は、起きて10秒以内に消えてしまうので、枕元に置いてあるメモ帳に殴り書きしています。まともに読める字じゃないけど(笑)、がんばって夢日記を書き続けていると、夢を覚えていられるようになりました。
散歩中や夢の中でのひらめきは、意識の側から無意識の方に近づき「自分でも整然としていない自分自身」と雑談し続けた結果なんだと思います。
異質をつなげる雑談の力
──最近、雑談はコミュニケーションを円滑にする手段として見直され、ハウツー本もよく見かけます。組織においても雑談は効力を発揮しそうですね。
雑談は役立てられなさそうに見えて、掘り下げられると異質なもの同士がつながる可能性に満ちています。そして雑談で組織やコミュニティが広く深くなると、持ち込まれるノイズが多くなり、掛け合わせの素材が増えるんですね。
まさに、私が一人でよくやっている、「AとBを掛け合わせて何かできないかな」の、AやBがものすごく増えていく、というイメージです。
だから、関わる人それぞれの「魂が宿ったプロダクト」を開発したいなら、相手が学生であれ社会人であれ、開発以外のメンバーも含めて一緒に雑談をするのが良いと思います。
すると、違う視点から「こんなやり方もあるのでは」「こんなことは実現できないのか」という意見が出る。結局、効率ばかりを追い求めて作ったプロダクトは人に刺さりません。
一見、遊んでいるかのような雑談の場を設けることが、かえってユニークな発想を共有できる環境作りという最大効率化につながるのではないでしょうか。雑談禁止のチームは尻すぼみになりがちだと思います。特に開発現場では、雑談を通して意見を交えることは大事ですね。
課題は営業とエンジニアの分断
──雑談がプロダクトやサービス開発において重要であることはわかりました。それ以外に、開発現場において課題に感じることはありますか?
リモートワークを選ぶ自由や、純粋に設備がいいといったハード面もそうですが、それ以上にソフト面に課題があるように思います。
いろいろな企業を見て課題に感じるのは、営業が仕事を取ってきて、それを開発チームに実装させるという社内での「発注と受注」の関係がまだまだ多いこと。
これは社内の分断を生みます。同じ意見でなくても良いけれど、ビジョンは融合しないと、うまく前へ進めません。
僕が見てきた学生の中には、営業とエンジニアの乖離(かいり)を現場で体感して、どうすれば解決できるかという問題意識を抱えて入学した人もいるんですよ。
──その分断をつなぎ合わせるために、組織や当事者はどうすべきだと思いますか?
提案したいのは、あらゆる仕事を経験すること。異なる立場から見えるリアリティを経験するのです。
たとえば同じ人にエンジニアリングだけでなく、マーケティングなど複数の役割に関わってもらう。異なる役割を持つと、より広い視野で事業やビジネス、組織を考えられるようになり、経営者と同じ目線を持てるようになります。
立場を溶け合わせて、セクショナリズムを取り払う方法ですね。
また、セクショナリズム以前にも分断が起きる原因があります。それは、エンジニア以外の職種の人やエンジニア出身ではない経営者が、エンジニアリングを特別なものだと考えすぎることです。
実際は「エンジニアという役割の人間」なのですが、「文系だ、理系だ」とカテゴリーで隔ててみたり、なんとなく「ギーク」や「オタク」のような先入観を持ったり。
私は今、文系の学生にデジタルテクノロジーを教えていて、7割以上が女性です。文系の学生や、女性がプログラミングをする風景は、日本ではまだ珍しがられますが、そういうバイアスを払拭していく必要がありますね。
これはエンジニアリングに限った話ではなく、いろいろな職種に先入観があります。だから組織としても、先入観を壊し続ける取り組みをするのがいいと思います。そのためにも、雑談の場を設けることは有効ではないでしょうか。
相互理解が進めば、エンジニアも新しい発想をしやすくなり、自分の魂を込めたプロダクト開発ができるようになる。企業や組織だけではなく、社会全体にとってエンジニアリングがもっと身近になればいいなと思っています。
(取材・編集:田村朋美、文:加藤学宏、写真:須田卓馬、デザイン:星野美緒)
新しいアイデアや着想を得て自身のバリューを発揮するために、エンジニアにとって重要になるのは、ハード面だけでなくソフト面も加味した、働く環境。

リクルートスタッフィングは、企業とエンジニアを「テクニカルスキル」だけでマッチングするのでなく、エンジニアが求める環境やカルチャー、成長したい領域を考慮し、一人ひとりの「志向」に合わせたマッチングに注力しています。

たとえば、HRテックを活用したサーベイの開発。最適と感じる働き心地は? 目指しているキャリアやスキルアップに対する志向は? といった数値化しにくい要素を全体の傾向としてではなく、個人のデータとして可視化することで、働くエンジニア一人ひとりの理解を深め、よりバリューを発揮するためのサポートができるようになります。

将来的にはAIなどのテクノロジーも取り入れ、人とテクノロジーの融合による精度の高いマッチングを生み出そうとしています。