今日のオリジナル番組


詳細を確認
予防医療は人生のリターンを高めるのか?
本日配信
2020Picks
Pick に失敗しました

人気 Picker
「おっさんのせい」なこともあるけど、「おっさんのおかげ」なことも多くあると思う。
知識とか経験とか、権力とかお金とか、なんなら決済のハンコとか、世の中を少しずつ動かしていくものを持っているのは、間違いなくその「おっさん」なわけで、現状、おっさんで世の中まわってると言っても過言じゃない。(ちょっと過言かなw

でも、だからこそ、自分の経験だけで支配しようとする「おっさん」じゃなくて、私たちの思うことやもっと若い世代の思うことを一緒に面白がってくれる「先輩」がもっと増えたらうれしいなと思うことはある。

ということで。
さよなら、おっさん。こんにちは、先輩!
記事に書いてあることはまあもっともだったけど、タイトルが好きじゃない。わざと一定数の読者の反感を煽るようなタイトルで注目を集める、要は炎上狙い、釣り狙いのタイトルですよね。そんなことばっかりやってたら、NPがタブロイド紙に成り果てますよ。もとい、良質な読者は釣りタイトルでは固定読者になってくれません。とりわけある種の人を一括りにして貶すようなタイトルはもってのほか。

人の反感を煽る釣りタイトルは、内容で勝負できない2流メディアがやることです。せっかくNPは内容で勝負できる素晴らしいライター陣を擁しているのに、このような貧困な発想に陥ってしまったことが残念でなりません。NPが今後も高い言論の質を保ってくれることを切に望みます。

【追記】注目されるタイトルをつけることはもちろん大事。でも誰かを攻撃して注目を集めるのは2流のやる仕事ですよね。一流のコピーライターはウィットとクリエイティビティーでポジティブかつ注目を集められるタイトルを考えられるはず。やはりこの特集は残念でしかない。

【追記2】もう一つ。差別の定義は"act of discriminating categorically rather than individually"です。人を、個々人の性質や能力ではなく、カテゴリー的に一括りして判断することは差別です。現に、もし「さよなら中国人」「さよなら金髪女性」なんて英語で記事に出したら速攻で裁判沙汰ですよね。"Good-bye, senior males"なんて英語で主要メディアが出したら裁判かもですよ。本当に、NPがこんなタイトルで記事を出すということが残念でならない。現代的感覚からも国際的感覚からもずれている。

【追記3】もう終わりにしますが。なんでどうして、せっかく記事の内容はポジティブで前向きなものなのに、こうやってネガティブで批判的なタイトルをつけちゃうかな・・・・・。もうね、もしこのタイトルを考えるときに炎上狙いなんて考えていたとしたら、その発想の貧困さが「オッサン」化そのものですよ。

【最後の追記】批判ばかりでもしょうがないので代わりのタイトルを提案しておきます。
「おっさん2.0」
「おっさん再興戦略」
「新たなおっさん」
「おっさんの逆襲」
「おっさんの帰還」
「おっさんの覚醒」
最後の4つが分かった方、お友達になりましょう(笑)
「おっさん化」を防ぐために何よりも大事なことは、「ワクワクするもの」「未来につながるもの」を、どんなに小さくてもいいので有言実行で創っていくことだと思います。

創造は楽しく、過酷ですので、おっさん化する余裕すらなくなります。創造する個人が増えれば、きっと社会のおっさん化も防げるはずです。
男子校問題(問題ではなくカラーと開き直るもアリですが)
の男子(&女子)たちのポジションが更に上がり、学校が大規模になりだすと、知らずに「おっさん化」し出す事も。

規模の巨大化、渡り合う相手の規模や濃度が高まった時に、いかに「忖度2.0」を発動せず、自立していられるかに期待です。
時に、自らを見直し、フラットに意見を取り入れられるか。

テレビの前の独り言は許してあげて下さいw
私は「NPの“フリップ芸”て優秀だよねー」とか言わず、
「インフォグラフィック」というワードを照れずに使う所から「さよなら、おっさん。」化をはかります。
人間には現状維持バイアスという特性があります。

目的に到達することよりも現状を維持することを無自覚に選択してしまう心理特性です。現状維持バイアスを引き起こす原因の一つにサンクコストがあります。今まで積み上げてきたものを無駄に終わらせたくないという理由で非合理的な選択をしてしまう心理特性です。

「おっさん」という態度は、今まで積み上げてきたもの、つまりはサンクコストが大きいあまり、現状維持バイアスに強くかかってしまっていることから生まれているのかもしれません。

大前研一さんは人間が変わる方法は3つしかないと言いました。一つ目は会う人が変わること。二つ目は住む場所が変わること。そして三つ目は時間の使い方が変わること。

私も年齢的には完全に「おっさん」なのですが、精神的に「おっさん」にならないために、オフィスに篭って同じ人とばかり会うのではなく、今までに会ったことのない人に会い、行ったことのない場所に行く時間をしっかりと確保しなくてはと思います。私にとっては、Newspicks もその一助です。

いつまでも変わり続けられる自分でいたいですね。
30代も半ばになり、世の中一般的に「おっさん」である自覚は十分に持っていますが、ここで描写されている「おっさん」的なるものに対して違和感を持つ人物であれば、ジェンダー的・年代的に「おっさん」と形容される層に該当したとしても、そこまで過剰に反応することもないのではないかな〜と思ったりはします。

尖った表現ではあるので、それがどのように受け止められるのか、好感されるのか、嫌悪されるのか、あるいはスルーされるのかは、単純に興味はありますね。
内容そのものは「日本3.0」と一貫しており大して変わりないので、コピーの違いがどれだけ人の気持ちをざわつかせる上で違いを持つものなのか、しばし拝見します。
<追記>
おっさんの会社で偉くなり、変革するか、おっさんの会社を辞めて、起業して、おっさんの会社をつぶすか買収して変えるか。ファンドでもいい。
それが実践だ。グダグダ言って、おっさんの会社にいるのは、いわば、社蓄、おっさん以下だろう。改革しよう。
私も、かっては、アナリストとして外から吠えていたが、変わらないので、ファンドを起業して変えようとしたし、、今は、大学で、四面(3面くらい)楚歌の中、変革に悪戦苦闘中、起業と同じ。自ら動き汗をかいて実績を残さないと変わらない。

ニュースピックスに文句がある方は、もっといいメディア?を創業すればいい。そこで成功するか失敗して、考えてほしい。

<元>
昭和は「オヤジ」だったが、平成は「おっさん」、戦争もなく、高度成長も止まり。

「オヤジ」・・・角栄、井深・盛田、本田、ハイテクベンチャー創業者、多くの名もなき現場の方々。現場が好きで、厳しいけど熱く温かい、率先実行、信念、雷は落とすけど。野にして粗だが卑ではない。

「おっちゃん」・・・出世はしてない、フラフラしているけど、深く、暖かく優しい、教養がある、意外と学歴も高い、寅さん、など、親戚にもよくいた。

そして、「おっさん」を作ったものは、戦後の教育(⇔旧制高校の教養主義)、特に偏差値、○×式、変なコンプラ。
2000年以降、旧制高校や戦前の教育を受けた方々がいなくなった。
2005年が、おっさん元年だ。多くの大企業没落も。

最近、驚くのは、アイデアを出すノウハウを学ぼういうこと。アイデアを出すのは人間の自然でアクティブな喜びなのに。

「おっさん」化より、恐ろしいのは、「ロボット」化だ。

どんどん、AIに負けるような、AIに依存するような発想の方々が増えている。アナリストのレポートもつまらないし、タクシードライバーが道がわからず、ナビを使う。イキモノでなくなる。
日本は停滞しており、大きく変わらなければいけないことは明らかです。ピーター・センゲは、我々に見える世界には、階層構造があり
 ・「現象」の背後には、「パターン」があり
 ・「パターン」の背後には「構造」があり
 ・「構造」の背後には、「マインド」がある
ことを指摘しました。
 記事の「おっさん」という一種の「パターン」と日本の閉塞的な状況にもこの階層構造があります。背後にある構造を見極め、効果的な行動を起こすことが重要です。
 日本の停滞の背後にある基本的な「構造」は、トップ経営者の持株比率の低下と議決権を含む判断権限の弱体化です。
 日本にだって元気な会社はあります。ソフトバンク、ユニクロ、日本電産、ニトリ、楽天...。皆トップ経営者の持株比率の高いために、強い判断の権限を持っている会社です。
 この背後には、経済の主体である株式会社の基本的な「構造」があります。株式会社では、通常、創業から時間が経って、資本調達を重ねると、トップの持株比率が下がっていきます(希釈化していきます)。持株比率は、会社の大きな判断の権限に直結します。
 戦後に、日本には多くの成功した企業群が現れました。しかし、高い持株比率の創業者が引退し、そのまま部分改良に終始し続けるとともに、トップの持株比率が低くなったために、大きな手を打てる権限を持つ人がいなくなってしまったわけです。権限が分散した状態になってしまっています。
 この背後にある「マインド」は、なまじ経済がうまくいっていたので、資本主義経済というよくできた制度に対する無理解を正当化するおごりがあったと思います。そのおかげで、リーダーシップを「強権」というような言葉で揶揄して過小評価する風潮もうまれてしまいました。これらは成功に伴う油断と思います。
 ここで論じられている「おっさん」は、この構造によってうまれたパターンの一つです。「おっさん」を変えても、背後の構造は変わりません。
 上記の構造を変えるには、起業、スタートアップして持株比率の高い企業をつくるしかありません。加えて、それだけでは時間がかかるので、大企業からの第二創業のような形も必要です(イトーヨカドーからセブンイレブンが生まれたようなことをイメージしています)。
 多くの人が、このいずれかの動きに参画すれば日本は変わるはずです。私も行動したいと思っています。
この広告には、出口がない。一時的に、購読者数は増えるだろうし、認知度UPにつながるけれど、時間が経つにつれ「おっさん」がコミュニティ内に流れ込み、分裂がいたるところで現れはじめる。

「おっさん」を否定すればするほど、自らの内部の「おっさん」は強くなる。本当に「おっさん」に、さよなら、して欲しいのなら、「おっさん」を愛さなければ。
ここて述べられている「新しい経済圏」は、社会の構造変化(産業構造、人口構成、情報流通など)に伴う変化であって、別にそれを目指すこと自体に価値はありません。新しいトレンドに乗るか抵抗するかだと思います。そして抵抗することにも意味はあります。それが人間というものです。

まあ、それを「牽引」するメディアがあっても良いのですが、自らの目的を「正義」化し、その対極に必要となる悪の象徴として「おっさん」というわかりやすいコンセプトを打ち上げるというのは、メディアとしてどうかと。メディアが社会の二極対立を感情的に煽ってしまっては、どこぞのファシズムに向かう道と同じではとすら思ってしまいます。

フロムは没落しつつある中間層は、理性が不足している分、何事も二分法的に思考し、権威主義的になると指摘しています。(だからといって理性主義がよいわけではありませんが)

他のメディアにないレベルで多様な意見を集約できる可能性を持っていたNPが、所詮は「アップデート」し続けるだけのメディアなんだなと、改めて思い知らされました。


追記
彼女が、「学ばないからこそおっさんは可愛いんだ」と怒り狂ってました笑
この連載について
日本に新しい時代が到来しようとしている。明治維新から敗戦の「日本1.0」、敗戦から今日までの「日本2.0」に続き、2020年前後から「日本3.0」がスタートするのではないか。そんな予測を拙著『日本3.0』で記した。では、「日本3.0」はどんな時代になるのだろうか。各界のトップランナーとともに、「日本3.0」のかたちを考えていく。