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日大アメフト部の悪質タックルから1ヶ月半。オリンピックアスリートであり、また起業家として集団を率いる為末大さんとの対談で、胸にあった思いを語り合いました。
「僕が選手だったら、タックルしていたかもしれない」と言った為末さんですが、同時に雑談の中ではこうも仰っていました。
「ああした追い詰められる状況になったら、僕は(その状況から)逃げますね」
ヘッドコーチの指示に従うしかない、やるしかない、と相手のQBに襲いかかった日大の選手と、「逃げる」、つまり、自分の属する集団から離れてもその事態を容認しない、と語った為末さんの間には何があるのか。
この対談の続きを、ぜひまたやりたいです。
小松さんが松井選手への5打席連続敬遠の話題をされたので、とても議論が深く勉強になりました。
まさに戦前の軍もそうだったのでしょう。みんなが間違っているとは薄々気づきながらも、結果がでている、今の方が都合がよいで、暴挙を容認する雰囲気をつくりあげてしまい、もはや誰も何も言えなくなってしまった組織になってしまった。

これは日本だから起こる問題ではなく、世界中どこの国の組織でも起こる問題でしょう。それは歴史を見ればわかります。

こういう組織は時代に合わなくなった時に暴走し崩壊しますが、どうやってそうした組織を産まないようにするのかは社会として大きな課題と思います。でも、人である限り、こうした組織を防ぐのは相当に難しいのかもしれませんね。
非常にバランスの良い内容だと感じました。

雇用の流動性担保と、外部の人間と情報や意見を交換できるコミュニティの大切さ。いろいろな世界に属している人はそれだけで豊かだと思うし、さらに硬直した組織の雰囲気に飲み込まれない・革新の起爆剤になる可能性があるということだと思います。

ここで言う個人が属する「世界」は、会社組織はもちろん、友人同士のコミュニティもそうだし、web上のコミュニティもそうだと思います。様々な世界に属していることの豊かさと、革新を起こせる可能性に思いを馳せながら、いろいろな世界を覗いてみる生き方が好きです。

また、人を傷つけずにだけど新しい考えに納得してもらう、伴走しながら一緒に変わるという在り方も、個人的にもやもやと目指したいと思っていた在り方に大変近いです。きちんと言語化されていて学びになります。
私も高校の体育会系でスパルタ経験ありますから、選手の気持ちは何となくわかります。やはり、全日本に選ばれるような選手はアメフトに人生かけており、そこで指示に従わなければアメフト人生奪われますから、noという選択肢はなかったでしょう。会社とかでしたら転職の選択肢がありますが、学生はそれがありませんし。
僕があの場に置かれた選手だったとしても「NO」は言う自信はないです。
組織の波に飲まれるってそういうことだと思います。なので組織とは違う考えを持つ、場所を持つことが大切になってくると思っています。
「僕が(日大アメフト危険タックル事件の加害)選手だったら、タックルしていたかもしれない」。為末大さんはそう切り出します。

なぜ、タテ型組織には、そこまで選手が追い詰められてしまう空気が漂うのか。なぜ、この問題は、ここまで国民の怒りを駆り立てたのか。上と下との”共犯関係”というキーワードで議論が白熱します。
個人ではなく組織の問題。

「人間同士を野放しにしておくと表面化する粗暴性やバイオレンスを、高度に統合されたシステムによって排除する」という理念は、アメフトに限らずスポーツやエンタメ全般に言えることなのかもしれません。

組織従属のマインドセットが「対等」であれば「損得」や「価値観」でしょうし、「家来」であれば「忠誠」になるのでしょうね。

山本七平さんの『「空気」の研究』(空気がいったん全体を包むとそれに抵抗する人は容赦なくたたかれるという性質。特に自由を拒否し、責任を取らない立場を守ろうとする人が多いほど、いったん空気が生まれると流れを止めがたい。)は勉強になりました。

>ソーシャルメディアの持つ同時性、共時性に引きずられて、流されてしまうことです。勢いのある意見に同調して流されるのであれば、それは「勝っている内田監督に乗っかろう」という、かつての日大関係者と同じ穴のムジナです。

これは単なる風見鶏ともとれるのである意味テイカーとして動いているだけ??


最後、全部読んで出てきた感想は「アサーティブ大事」!
"自由を拒否し、責任を取らない「立場を守ろう」とする人が多いほど、いったん空気が生まれると流れを止めがたい"というのはなるほど。

組織的な不正や不祥事の原因を考えるうえで、「不正のトライアングル」というのがあり、以下の3つの要素で構成されます。

①動機:行動や意思を決定する際の心理的な直接のきっかけ
②機会:管理や制限がないなど不正が可能な状況
③正当化:責任転嫁や都合の良い解釈をすること

「何がなんでも勝ちたい」「やらねば外される」という動機もあったでしょうし、それが空気として蔓延している中で従うしかなかったという中で、おそらくこれを変えることは簡単ではなかったと想像します。

動機をつむと同時に、そういう機会を与えない(=厳しいルールをつくる)、正当化をさせない(=しっかり責任をとる構造にする)ことも重要だと思います。こういう不祥事を他人ごとではなくわがことと見てしっかり学びたいですね
組織における「結果責任」とリスクのあり方について考えさせられる。

結果を出していると善となる、それはスポーツも企業も一緒。一方で、意思決定はリスク(不確実性)とリターンのバランス。
リスクはそもそもつぶせるものとつぶせないものがあるし、つぶせるものであってもどこまでのコスト(時間も含めて)をかけるかのトレードオフ。リスクつぶしにコストをかけすぎれば、リターンは悪くなる。またつぶせないものでも、顕在化してから一定対処できるものと、顕在化したら不可逆なインパクトを持つものもある。

そのなかで、出てきた結果で責任含めた評価をするというのはシンプルなやり方だし、どんな場合でも必要な事。そのために、責任者がリスク含めて意思決定をするのも「一定」合理的。特に、リスクについて徹底的につぶす方向にすれば、逆に何もできなくなるから、責任と併せて集約をさせることでスピードを重視する側面もある。
だけど、一個人がやることならともかく、組織の場合はその結果は責任論だけでなく、組織自体に影響をしてくる。
それを考えると、トップの能力として、リスク判断力だったり、逆に個に依存させない形としてリスク判断を担う存在をほかに置くか(この点に関してSakakibaraさんのコメントにとても共感)、またボトムアップでリスクを顕在化のまえに議論・判断・対処する風土がどれだけあるか。それがないと、結果を出してきた責任者が取るべきでないリスクを取り、それを止められないことにもつながる(東芝が代表例だろう)。
こういったことの複合が、組織としてのリスク対処能力なのだと思う。そして、結果が出ている間に、リスクまでも一定コントロールできるかは組織の質。顕在化するまで見えにくいが、だからこそ有事に如実に現れるとも思う。
この連載について
日大アメフト部の危険タックル問題、財務省次官のセクハラ問題 ……etc.「日本型タテ社会の構造」が引き起こした問題が 続々と表面化している。これら問題の根幹は権力を握る者、意思決定層が “おっさん“により独占されており、おっさんのおっさんによるおっさんのための社会が作られているからではないかーー。NewsPicksは「脱・おっさん社会」を導くため、今、訂正を余儀なくされている日本型タテ社会の問題について考察してゆく。